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モスアゲートは基本的に自己反省を迫るパワーストーン。ちょっと手厳しいところがありますが、時には必要なアイテム。

モスアゲート・逆転のチャンスが巡る/運命の輪

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

2016年10月14日 モスアゲート・逆転のチャンスが巡る/運命の輪

何となく、一昨日辺りから続いてとうとう「運命の輪」にたどり着いた感じがありますね。

今現在、ことがうまくはかどっていない人にとってはかなり良いカードになるでしょう。今の苦境から這い上がろうとしている人にとっては絶好の時です。まさに運命の輪が回ります。

またある意味ではこれまであなたがしてきたことにジャッジが下る日でもあります。真面目に取り組んできたならば、必ず現状打開となるでしょう。

この宇宙にそのままの状態で永遠にとどまっているものは何もありません。必ず変化しています。同じ状態がずっと続くことはないのです。

そして今現在が調子良く幸福の中にあるなら、将来のための備えをしましょう。幸せの絶頂にいると、この点がおろそかになるものです。

このようなときにオススメのパワーストーンはモスアゲート

基本的には「自己反省」を強いられるパワーストーンですが、同時に「執着心を消す」という作用があります。これまでのうまく行かない何事かにとらわれることなく、運命の輪の回転をうまく乗りこなすことが目的です。このあたり、意味辞典の方では触れていません。

時間の不思議

世の中のビジネス系の啓発ノウハウにはほとんど「時間管理」がつきものです。「何々をうまく行うには時間管理を徹底しよう」といったように使われていますね。

しかしながら「時間」それ自体が定義できる人はなかなかおらず、物理でも哲学でもその説明は空間とか運動とかをまぜこぜにした堂々巡りの解説に終始してしまいます。確かに時間は謎です。

そこで、このコラムでは今まで触れらていないであろう側面から「時間」の問題を取り上げてみます。

まず、時間というのは空間とそこにある何かの動きによってもたらされることであるのは確かなようです。この宇宙に全く動きがないとしたら、時間は意味を持ちません。

次に、人間が「時間」と呼ぶものは実際のところ「合意」以外の何ものでもありません。このコラムに何度も出てくる「合意(もしくは同意)」です。

誰にとっても一時間は一時間ですよね。これは地球上のどこに行っても共通認識です。

そうです、「時間」は多くの人々によって「合意された何か」であることは確かです。

しかし、合意される以前に、時間というのは「考え」である可能性が大なのです。これをちょっと説明しましょう。

ある物体が、地点Aから地点Bに移動するとして、それを何人かが観測しているとします。その観測には観測者の数だけ視点があり、それらの視点間の合意が規則化されたものが時間となっています。これはしかし「考え」です。「合意するよね、これが1分だよ」、という「考え」です。

もう本当に、多くの人がこの「時間」に対して合意していますよね。反対しようにもそれができないほどにです。

そうなると、元が「考え」であったにかかわらず、自分自身は何も考えず「時間」に関してその他大勢に合意を依存している状態となります。

さて、そこで時間に関する「逸脱」が始まるきっかけとなります。

自分自身で時間管理できない人、というのは「時間」のコントロールを完全に他の誰かや何かに依存している状態です。

時間のコントロールとは「自分で時間を作ること」に他なりません。そして過去、現在、未来を区別できることに他なりません。

過去と現在を混ぜ合わせにするなんて考えられないと思いますか?いえいえ、多くの人が混ぜ合わせ状態ですよ。

さもないと、過去の何かについて今現在悩む必要などないし、後悔などありえません。

また、過去と現在を混ぜ合わせ、そしてさらには過去と未来を混ぜてそれを現在に持ってきて悩む人もいますよ。その状態とは将来に対する不安を抱えている人です。

これらはすべて時間に関する「逸脱」です。なぜそれが起こるのかといえば、時間を創造するこができずに時間をコントロールできないからですね。

そうなる理由は、時間に関する合意を完全に他人に委ねていることです。

それから抜け出る方法は、自分で時間を作り、その中で自分がしようと思うことをしてみるのです。最初は大それたことをしなくて良いです。たったの5分でも自分で決めた時間を自分で使います。

そして以下の言葉を読んで、その通りにしてください。

「いくらか時間を作ってください」

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・自分をよく見て切り抜けよう/月/リバース

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

2016年9月23日 モスアゲート・自分をよく見て切り抜けよう/月/リバース

あらら、ちょっと注意なカードが出ていますね。

でもそれに対応するアドバイスで乗り切れますね。

くすぶっていた「不安の種」の存在を無視できなくなりそうな日。全体としては恐れていた不安や見たくはなかった現実に直面させられるといったことが起きそうです。

愛情関連でいえば、何をしても手応えがないところに状況は悪化するというところ。

しかしここで問題の原因を外の世界に持って行くことは苦悩を深めるだけになりそうですよ。

できるだけ心を穏やかに保ち、自分を静かに見つめることに気を配りましょう。そうすれば好転は早いです。

このようなときにオススメのパワーストーンはモスアゲート

モスアゲートに求めるのは「内面を見ること」ですね。これってかなり厳しいこともあります。誰も自分の本心を見たくないこともあるのですが、むしろ良いところも見ていなかったということに気づくこともありますよ。

コミュニケーション、そして「なる」ことの応用(その3)

ややこしい話、まだ続きます。

前回は、「なる」以前にそこに何かが「ある」ことに十分に気づいていないということを書きました。今回は、「なる」にからめて「ある」に気づくことについて触れておきます。

ここでは先に、「ある」は二種類あることを確認します。

まず第一の「ある」は自分が今ここに「ある」ことを認識していることです。「ある」を言い換えれば「存在する」ですね。英語で端的にいえば「be」となるでしょうか。

そして第二の「ある」はそこに何かが「ある」ことを自分自身が認識していますよ、といいうことです。日本語でぴったりくる言い換えはしにくいですが、英語では「is」となるでしょうか。

さて、この二種類の「ある」ですが、先に来るのは当然第一の「ある」。自分自身の存在ですね。それがあってこそ、自分以外の何かがそこに「ある」ことを認識できます。

そしてこの両者にまたがって最重要なのが、あなた自身が「現時点」にいることです。

第一の「ある」と第二の「ある」が関係を持つには「コミュニケーション」が起こらなければなりませんが、コミュニケーションが成立する前提として、あなた自身が現時点に「ある」ことが必要です。

「なんだって?人が現時点にいないとか、いるとか、それってどういうこと?」

と思われるでしょう。

それでは「人が現時点にいない」を説明しましょう。

これは簡単、世に言う「心ここにあらず」という状態です。

そうなっている人は、身の回りにある環境に対してコミュニケーション不全を起こしています。なぜなら、文字通り「心ここにありません」。

この状態の人は声をかけても気づかず、赤信号の交差点でも渡ってしまいそうになることでしょう。

多くの場合、この状態は心理的にショックな出来事に遭遇しているときに起こってます。そのショック中身は何らかの「喪失」または「喪失に対する恐れ」です。(もちろん、他にも挙げればきりがないでしょうが、代表的なものです)

喪失や喪失に対する恐れが心に及ぼす影響は、その喪失に似たような過去の出来事に左右されるということがわかっています。過去に起きた喪失の感情で今がコントロールされてしまっており、それを称して「現時点にいない」というわけです。

なお、「喪失に対する恐れ」は「喪失するかもしれない」という未来に対する不安なのですが、その不安の原動力はやはり「過去の喪失」です。

人が「現時点にいない」というメカニズムの一部のお話でした。

PS:人はちょっとしたきかっけで簡単に現時点にいなくなります。ほとんど日常的なことです。

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・自分の倫理観を振り返ろう/悪魔/リバース

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

2016年8月19日 モスアゲート・自分の倫理観を振り返ろう/悪魔/リバース

ううむ、正逆どちらに出たとしても、良いカードではありません。

ある意味、戒め(いましめ)と思いましょう。

心に邪悪な部分が芽生えているかもしれませんよ。自分自身で気づいているかいないかにかかわらずです。

ちょっと立ち止まってよく考えてみましょう。また、自分がいくら良いことだと思っても、相手がそれを望んでいないこともあるのです。

自分の心身とともに周囲の状況にも「浄化」の時が来たのでしょう。

リカバーする秘訣はただひとつ。清らかさ(浄化)です。

特に内面をキレイに。

このようなときにオススメのパワーストーンはモスアゲート

自己反省、これに尽きます。自分を省みることに対してかなり厳しいストーンではありますが、このような時には強力な助っ人になります。一生に何度もお世話にはなりたくないですけどね。

倫理、そして第六感の続き

このコラムでは何度も「感情のレベル」について言及してきました。これは実のところ今回のカード「悪魔」について深い関係があります。

悪魔の逆位置カードでは、自分が何か邪悪な考えで動いていないかと自己点検を迫っています。

要は倫理的な考えや行動が取れているかということですよね。

さて、この倫理観のレベルはその人が現在いるところの「感情のレベル」に一致していることがわかっています。

以下に感情のレベルを復習します。

▪ 陽気      合理的
▪ 強い興味     ↑
▪ 保守的
▪ 満足
▪ 退屈
▪ 敵対心
▪ 怒り
▪ 秘めた敵意
▪ 恐れ
▪ 同情
▪ 悲しみ      ↓
▪ 無気力     不合理

このレベルの上の方にいるほど倫理的で、下ならその逆です。

「怒り」とか、「秘めた敵意」なんてそれはまずいだろうことは簡単にわかりますよね。ことに「秘めた敵意」にいる人は、その人自身が自分の倫理観の低さを隠していますから特に要注意なのです。

もっと下にいる「無気力」では、自分自身も含めて何もかもをないがしろにしています。これはかなり倫理的にまずい状態であることがわかるでしょう。

この感情のレベルは、その人の存在性、コミュニケーションのレベルなどとも一致していますよ。

できることなら、高い感情のレベルにいるのが吉ですよ。

さて、次に昨日書きました「第六感」について追加情報を記しておきましょう。

まずは、それが第六感か、単なる幻覚か、それを判定することはかなり困難でしょう。

そして、一般的には普通の五感でさえが勘違いやうっかりで、その機能が十分には発揮されておらず、ほとんどの場合がコミュニケーション不全です。

見ているつもりで見えていない。聞き間違いをしている。ものに触れてもはっきりとその感覚を意識していない、または過剰に反応してしまう。味覚音痴である。このように、そもそもが五感だけでもかなり怪しいのです。

そこへ持ってきて第六感です。この感覚が正しく機能しているかどうか、これはもっと怪しく、五感と違って検証が大変難しいでしょう。

そこで、実は普通の五感を先に何とかせねばなりません。

そして第六感とは特別な何かで五感の上位にあるのでなく、それは五感を補うか、または立場として並立している感覚だと思えます。(そうとしても組み合わせの爆発は起こりますよ:前日の記事参照)

さて、五感に関しては一般論として「合意形成」ができているのですが、前述のごとく、これがそもそもいい加減です。

そこで、五感がまともに働くためには、まず自分自身が「現時点」にいることです。過去の時間に引っかかったままの状態では、現時点で目の前にある何かをまともに処理などできないのです。

このことは8月17日の記事で触れた、自分の空間や視点を持つことなどで少しのヒントになっています。

ちなみに、自分自身が現時点にしっかり視点を持っている人は、単純なことに「びっくり」することが少ないです。

例えば、後ろに誰かいることにまったく気づかず、振り返って驚く人がいますよね。こんなことは起きにくいのです。

現時点にいる人は、現時点で落ち着いています。

明日が良い日になりますように。

アゲート・疲れ切る前に相談/ワンドの9/リバース

ブルーレースアゲート(Bluelace-agate)
ブルーレースアゲート(Bluelace-agate)
モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

2016年7月29日 アゲート・疲れ切る前に相談/ワンドの9/リバース

ううむ!良くない!

でもくじけない!

心にあった小さな心配の種が表面化しそうな日。また、思いもよらぬ邪魔が入ったり、大丈夫だと思っていたことでもそれが失敗に終わりそうなことも。

もうどうして良いのかわからずに途方にくれそうなことに。

しかし一人で疲れ切るまで空回りするよりも早めにSOSを。

これが最後の試練だと思って乗り切りましょう。意固地にならず、助言をちゃんと聞いてみよう。

このようなときにオススメのパワーストーンはアゲート類の全般。

アゲート類は「心の安定性を取り戻す」という意味において重宝するパワーストーン。たとえばブルーレースアゲートは悲しみや怒りを鎮めることができます。モスアゲートは自分を振り返って自問自答の中から答えを見つけることができます。(ただしファイヤーアゲートだけはちょっと特殊ですので使わないでおきましょう)

後悔の克服(その2)

今回もなんだかパッとしないカードですね。

でもめげないで行きましょう。人生には良いことばかりではありません。それが普通。なんとかなりますって。

さて、昨日は「後悔の克服」についてネットの記事から少しだけ触れました。

今日もその続きとして「後悔」について少し触れましょう。

世の中には「たら・れば」ということがあります。聞いたり読んだりしたことがありますよね。

たとえば、勝負の世界に「たら・れば」はない、といった表現ですね。

「〜〜していたらなあ」「〜〜していればなあ」などなど、ああしていたら、とかこうしていたら勝てたかもしれないという後悔にまつわる言葉を象徴して「たら・れば」と言いますよね。

勝敗が決してから、「たら・れば」を言っても意味がなく、現時点においては取り返しがつきません。また、実際に「やらなかったところの、それ」をしていたとしても勝敗が逆転できたかどうかは誰にもわかりません。

という具合に、勝敗そのものについては「たら・れば」は意味がないわけですね。

そうです、「たら・れば」などという後悔は何の意味も持ちません。

ただひとつ、意味があるとすれば「反省材料にできる」ということです。少なくともデータ取りとしては役立ったわけですね。

しかしデータとしても使えないような「たら・ればの後悔」だけはよしましょう。

後悔しそうになったら、心の中でつぶやいてみてください・・・

『その後悔が現時点と将来に役に立つか?』

役立たないと思ったら、すぐにその後悔をやめましょう。そしてあのときの自分をちょっとでも褒めてあげてください(これって昨日の記事ね)

役立つと思ったら、そのデータが生きるように工夫しましょう。

ちなみに、筆者の母の「役に立たない後悔の台詞」を紹介します。それは母が私たちの言動を気に入らないときつぶやく台詞です。

「ああまったく、これは私の育て方が間違っていたに違いない」

スミマセンが、もう取り返しがつきません。あきらめてください。

それでは良い一日をお過ごしください。