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モスアゲートは基本的に自己反省を迫るパワーストーン。ちょっと手厳しいところがありますが、時には必要なアイテム。

モスアゲート・権力行使に注意・ 2018年4月27日

 

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

モスアゲート・権力行使に注意・ 2018年4月27日

モスアゲートが出ています。

今回モスアゲートの使用は「人間的な成長」を目指します。これは意味辞典には触れられていませんが、モスアゲートの持つ自己反省を促す部分がこれに繋がります。

それから重要なのは「感情の乱れをコントロールしてくれるので、誰にでも素直な気持ちで接する事ができる」こと。

さてさて、このモスアゲートをお勧めする今回のカードは「皇帝」。

権力を表すこのカードは、一見は良いのですが、これはある意味「戒め」(いましめ)と取ることにいたします。

確かに、チャンスをその手にできるときであるのは確か。

しかしそのためにはリーダーシップと決断が必要であり、それに伴った行動も。

そしてこのとき、権威主義的であったりワンマンにならぬようにとカードは告げています。

「コントロール」を深掘りしてみよう

少し前にも触れましたが、今回もコントロールについて考察。

皇帝のカードにあるように、権力を持っているなら正しいコントロールが重要でしょう。

そのためには「理解の三角形」とそっくりなもうひとつの三角形を見ればどうすることが良いコントロールの秘訣かわかります。

知識・責任・コントロールの三角形
知識・責任・コントロール

コントロールに伴うのは「知識」と「責任」。これらのバランスが取れていて大きくないと指導者は務まりません。

と言いますか、知識や責任が伴わないコントロールがロクなことであるはずがありません。

そして更に、コントロールそのものに目を向けますと、そこにあるのは以下の3つから構成されていることがわかります。

  • スタート
  • チェンジ
  • ストップ

何かをスタートすること、状態を変えること、そして止めることの3つがコントロールの要素です。

単純に例えて、車の運転はこれです。コントロール3つの要素のうちのどれかができないと、まともなコントロールとは言えません。

ただ、人には得手不得手があります。

例えば、スタートが得意な人はアイディアを思いつくのが得意であったり、新規事業の立ち上げが得意です。

チェンジは、スタートした事業を軌道に乗せて運営する能力。周りの動向に合わせて軌道修正もします。

ストップは最後のけじめをつける役として、何かの監査が得意な人があげられるでしょう。会社の中なら経理部門だったりもします。職業で言えば裁判官や警察官が「ストップ」の分野になります。

もしも何人かでプロジェクトを組む場合には、上の3項目に当たる人々を人員配置しなければなりません。

例えば、三人で始める企てで、三人ともがストップ役であったら事業自体が立ち上がらないですよね。

以上、ざっとコントロールにまつわる話題。

それから権威の象徴である「皇帝」のカードで思い出すことに、筆者の家族が考え出した格言があります。(これを私は家訓としたい)

先生・社長にロクな人はいない

これ、実際の先生や社長には申し訳ないですが、かなりの確率で間違いではありません。

この「先生」には医師や政治家、教育者が含まれます。彼らは人格者だから先生と呼ばれているのではありません。先生と呼ばれる立場になったからそうなっているだけで、人格は関係ありません。

医学部を卒業すれば、どんなアホでも医者になってしまい、親が有力な政治家であればその子供はアホで志なくとも政治家になれます。その人の人格とは関係ありません。東大やハーバードを卒業しても人格者かどうかは全く関係ありません。

これらの中からロクでもない人を探すのに苦労はしないでしょう。

次に「社長」ですが、社長にふさわしいから社長になるのではありません。社長になりたいからなったという人が社長です。そこに人格は何も関係しません。

これも、社長と言われる人々の中からロクでもない人を探すのは難しいことではありません。

ですから「先生」とか「社長」とかという肩書きそれ自体を信用するな、ということがあります。肩書きでなく、その人自身を見よ!です。

そして次に自分自身への戒めの意味もあります。

自分自身が「先生」「社長」と呼ばれることになったら、その権力行使は慎重に、権威主義やワンマンにならないように気をつけよ、ということです。

そして肩書き以上に人格者たれ、人や社会のために生きているか?ということを肝に銘じる意味があります。

ね、モスアゲートはやっぱりこんなときに必要でしょ。

さて、今週のコラムはこれで終わります。

ゴールデンウィークの連休を挟みますので、次回更新は30日(月)夜になります。

それでは良い週末とゴールデンウィークを。

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・リセットスタートするために・ 2018年4月10日

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

モスアゲート・リセットスタートするために・ 2018年4月10日

モスアゲートが出ています。

今回のモスアゲートは、意味辞典ではほとんど触れられていない意味や働きを取り上げます。

モスアゲートは基本的に「自己反省」のパワーストーンと言えますが、その根底にあるのは「感情のコントロール」。

これは、何の足しにもならない「悲しみ、怒り、後悔」といった感情を自分で収めて前を向くために使います。

さてさて、出てきたカードは「カップの5」。

これ、そこそこ悪い状況を表しています。

思った結果を得られずのがっかりとか、取り返しようがない失敗があったなどの感情的な問題が起こる暗示。

これ、もしかしたら前回の「死神」の延長にあるかも。今だに捨てられず、そして再スタートも切れずにいる感じ。

しかしながら「カップの5」はもうそれを諦めてリセットせよということのようです。

このまま感情が沈んだままではどんどん傷が深くなるばかりでしょう。

ならばリセットしてスタートせねばなりません。そこで感情をコントロールするためにモスアゲートを取り上げるわけです。(自己反省を含めてね)

感情のコントロールに必要なこと

何かをコントロールしようとすれば、対象になることをよく知っている必要があり、そしてその結果を負える責任が伴います。

これって「理解の三角形」とそっくりな関係があります。

知識・責任・コントロールの三角形
知識・責任・コントロール

ここで、自分の心をコントロールしようとするなら、その知識というよりも「よく観察する」という意味あいが強いでしょう。

現在の感情(心の動き)を観察できる、ということがコントロールの第一歩となるでしょう。

コントロールしようとするのであれば、自ずと責任がつきます。

ね、泣いたりわめいたりの状態を野放しにしておく、というのは全く責任がない状態ですよね。そのままでは事態はもっと深刻になるばかり。

そして「いやいや、泣いてばかりではいれらない、どうにかしなきゃ」と思ったら、それが責任を負おうとしている状態と言えます。

さてさて、そこでモスアゲートはひと口に「自己反省を迫る」と言いますが、実際には責任、コントロール、知識(ちゃんと見ること)の三角形を大きくするという大目的があると言えそうですよ。

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・反省材料がないか点検・ 2018年3月13日

 

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

モスアゲート・反省材料がないか点検・ 2018年3月13日

ううむ、いかんいかん、モスアゲートが出てしまってます。

これ、自己反省のパワーストーンです。

ということは、何かマズイのです。

というところでカードは何かと言えば「悪魔のリバース」。

このページでは珍しいですよ。

何か間違っている可能性大。

しかしながら何が正しく何が間違っているのか、これを判定するのも簡単なことではありませんが。

そして、正しいと信じてゴリ押ししたとき、これは手痛いしっぺ返しが待っていることも。

倫理の考察と理解の三角形

正しさの判定はその人が持つ倫理観に従うほかは、まあないのだろうな、と思います。

そして自分が持っている判定が世の中と合っていれば「とがめられることはない」ということになります。

でもあくまで「とがめられることはない」というだけで、世の中全体の倫理観が本当に正しいかは別問題。

その倫理観は、個人でも社会でも知識が大きく左右する部分があります。

「それはまずいことなんだ」と知らなければどうしようもありません。

ただし、表面的には知らなくても直感的に「まずい」とわかるようなこともないとは言えませんが。

でも基本的に知識が左右する部分がほとんど。

そして知識に関わることとして「教育」ですね。

さて、倫理的にまずいことは、非常にシンプルに最後には自分(そして社会)に跳ね返ってくるということです。

倫理的にまずいことは、直接的も間接的にもその人や社会の生存のチャンスが減少するということです。

文明が滅びるとき、実のところこの倫理観が間違っていた、という例は枚挙にいとまがありません。

知識のなさがためにひとつの文明が滅びます。(もちろん、個人個人もです)

さて、ある知識を得て倫理観が高まったとしましょう。その知識のために個人や社会の生存の可能性が高まるだろうという状態です。

そこで、これは広く人々に伝えるべきだと思います。

このときに「ゴリ押し」が発生しやすいです。

ここで取り上げるべきは理解の三角形です。

↓クリックして解説ページへ

理解の三角形

その知識を教えたい相手は、そのことについて「リアリティ」が全くありません。

「え〜、本当かよ、マジ?、知らねーよ」という状態です。

ここはゴリ押しでなく、愛情を持ったコミュニケーションが必要でしょう。

そして相手が受け入れられるレベルのリアリティとして情報を与えることが必須です。

このような時に地球の反対側で起こった事件を例に挙げても相手はピンとこないのです。

いずれにせよ、愛情に基づいていなければそのコミュニケーションは失敗します。

ゴリ押しでは単に敵対的な人々を大量に作ることにしかなりません。

こうして見ますと「知ってしまった者」の責任は大きいです。

さて、モスアゲートは傾向として「敵対者」を作ってしまっているのではないかと思われる時には特におすすめでしょう。

モスアゲートはある意味では「人づき合い」を上手にするように自己反省させるということもできます。

それからモスアゲートの面白いところとして、持ち主でなく周囲の人に対する作用として「その人が持っている知性をアップする」ということがあります。

人に何かを教えたいとき、より良い情報を渡したいと思うなら、そしてあなたが普段そんなアクションが苦手だと思うならモスアゲートがお役に立ちます。

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・動機の再確認/ペンタクルの4・ 2018年1月11日

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

モスアゲート・動機の再確認/ペンタクルの4・ 2018年1月11日

えっ? わっ!!

前回と同じカード。二回引いても同じ!

参った。

でもカードはそう言っている・・・

なので昨日とは少し異なる側面から見てみよう。

ペンタクルの4が象徴するのは「秩序・安定」ですね。

それだけだったら「ああ、そうですか」となってしまいますが、秩序や安定を維持するために奮闘して来たこと、そしてこれからもそうあるだろうという感じ。

そしてそこに何か「冒険的な話」が舞い込んで来たときにどうするか?

安定を思うがあまり、何にも手を出さずにいるのか?

いやいや、発展するためには安定を捨てるリスクを負うことも必要なのか?

そんな迷いが起こるかもです。

ですから筆者的にはむしろ「迷い」に着眼したいのです。

ここでパワーストーンとしては、前回に続いて自己との対話系としてモスアゲートを取り上げたいです。(これもちょっと前に出て来たなあ)

意味辞典の方ではモスアゲートを「自己反省を迫る」系として取り上げていますが、実際にはそればかりが効果ではありません。

モスアゲートの根本にあるのは「自己との対話」です。それがあってこその自己反省です。

動機を再確認しよう(さらなるゲームの話題)

前回は「自分の本心を知る」ことについて「ゲームのゴール」を再確認することを書きました。

今回は、わかりやすい事例を紹介してみます。

まずは身の回りにある「ゲーム」を探してみます。たくさんありますよ。
(実はペンタクルの4が得た安定もゲームの結果、またはその最中であったりです)

自分が務めている会社は生き残りをかけて他社と競っています。

でもその会社のさらに大きなゲームとして「人々の生活を向上させる」といった大きな目標(ゲーム)を持っていることもあります。

もっと大きなゲームとして、世界から原水爆を廃絶しようという活動もあります。

受験生は受験自体がゲームです。この場合、対戦者は出題者か他の受験生でしょう。

もっとシンプルにはスポーツチームに入っていれば、対外試合はみんなゲームですね。

隣の奥さんとの何かの競い合いもゲームですよ。

夫婦間でも何かのゲームを始めていることがあります。

嫁姑問題もゲームな場合があります。

(そのゲームが楽しいか楽しくないかは問題ではありません。構造の問題です。)

さてさて、身の回りはほとんどゲームだらけです。何かが生存に向かっているときには必ずゲームがそこに存在します。

それでは身の回りにあるゲームをよく観察し、自分がそのゲームに参加している「動機」をよく見てください。

  • そのゲームを始めていることが本当に自分の意思なのか?
  • そのゲームは自分にとって本当に価値のあることなのか?

この部分にそこそこ明確な答えがないと、人生がかなり面白くないものになります。

ここでアドバイスなのですが、感情のレベルが低い人のために巻き込まれたようなゲームには本当にくだらないものが多いのは確かです。

このようなことに巻き込まれているのではないかと感じたら「選択力」を高めてそのゲーム盤から降りるのがオススメです。

さてそこで、自分がそのゲームを始めている動機をよく見るために、モスアゲートの意味と効果は非常に良いパワーストーンと言えます。

本当は意味がないことがわかっているのに続けているゲームはありませんか?

モスアゲートで自己反省すべきは「自分にとって意味がないことがわかっているのに続けてしまっているゲームがある」ことかもしれませんね。

最後に、もう少し掘り下げますと、「意味がないことがわかっているのに続けてしまうゲーム」にも実際にはその「動機」があります。

その動機は、些細で超くだらないことだったりしますよ。

コツとして、小さいゲームにこだわり続けると人生の時間が足りなくなることがあります。

それからもうひとつアドバイス。

あるゲームが実際には終了しているのに、そのゲームにすがって生きている場合が多いです。(過去のことが現在に影響するメカニズムの一部です)

そんなゲームは終わっているのに、まだ戦っていることがあるのです。モスアゲートに聞いてみてください。「その戦いは必要なのか」。

明日が良い日でありますように。