モスアゲート・反省材料がないか点検・ 2018年3月13日
ううむ、いかんいかん、モスアゲートが出てしまってます。
これ、自己反省のパワーストーンです。
ということは、何かマズイのです。
というところでカードは何かと言えば「悪魔のリバース」。
このページでは珍しいですよ。
何か間違っている可能性大。
しかしながら何が正しく何が間違っているのか、これを判定するのも簡単なことではありませんが。
そして、正しいと信じてゴリ押ししたとき、これは手痛いしっぺ返しが待っていることも。
倫理の考察と理解の三角形
正しさの判定はその人が持つ倫理観に従うほかは、まあないのだろうな、と思います。
そして自分が持っている判定が世の中と合っていれば「とがめられることはない」ということになります。
でもあくまで「とがめられることはない」というだけで、世の中全体の倫理観が本当に正しいかは別問題。
その倫理観は、個人でも社会でも知識が大きく左右する部分があります。
「それはまずいことなんだ」と知らなければどうしようもありません。
ただし、表面的には知らなくても直感的に「まずい」とわかるようなこともないとは言えませんが。
でも基本的に知識が左右する部分がほとんど。
そして知識に関わることとして「教育」ですね。
さて、倫理的にまずいことは、非常にシンプルに最後には自分(そして社会)に跳ね返ってくるということです。
倫理的にまずいことは、直接的も間接的にもその人や社会の生存のチャンスが減少するということです。
文明が滅びるとき、実のところこの倫理観が間違っていた、という例は枚挙にいとまがありません。
知識のなさがためにひとつの文明が滅びます。(もちろん、個人個人もです)
さて、ある知識を得て倫理観が高まったとしましょう。その知識のために個人や社会の生存の可能性が高まるだろうという状態です。
そこで、これは広く人々に伝えるべきだと思います。
このときに「ゴリ押し」が発生しやすいです。
ここで取り上げるべきは理解の三角形です。
↓クリックして解説ページへ
その知識を教えたい相手は、そのことについて「リアリティ」が全くありません。
「え〜、本当かよ、マジ?、知らねーよ」という状態です。
ここはゴリ押しでなく、愛情を持ったコミュニケーションが必要でしょう。
そして相手が受け入れられるレベルのリアリティとして情報を与えることが必須です。
このような時に地球の反対側で起こった事件を例に挙げても相手はピンとこないのです。
いずれにせよ、愛情に基づいていなければそのコミュニケーションは失敗します。
ゴリ押しでは単に敵対的な人々を大量に作ることにしかなりません。
こうして見ますと「知ってしまった者」の責任は大きいです。
さて、モスアゲートは傾向として「敵対者」を作ってしまっているのではないかと思われる時には特におすすめでしょう。
モスアゲートはある意味では「人づき合い」を上手にするように自己反省させるということもできます。
それからモスアゲートの面白いところとして、持ち主でなく周囲の人に対する作用として「その人が持っている知性をアップする」ということがあります。
人に何かを教えたいとき、より良い情報を渡したいと思うなら、そしてあなたが普段そんなアクションが苦手だと思うならモスアゲートがお役に立ちます。
明日が良い日でありますように。