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パワーストーンセレニティアスのオーナーです。パワーストーンの言葉を聴いてお客様にフィッティングする仕事をしています。

モルダバイト・静観する・ 2018年7月2日

 

モルダバイト(Moldavite)
モルダバイト(Moldavite)

モルダバイト・静観する・ 2018年7月2日

モルダバイトが出ています。

モルダバイトに求めるのは「落ち着くこと」「距離を置くこと」「問題のクリア」。

全体として通じることは「自分の内面を知ること」になると言えそうです。

モルダバイトは非常に多岐に渡る働きを持っており、どちらかと言えば使い方が難しいストーンに分類できると思います。

が、今回はとにかく自分の内面を知ることから落ち着きを取り戻し、見るべきものを見ることから始めることを念頭に置きました。

さて、カードは「ワンドの騎士/リバース」。

これは率直に言って要注意カード。

やる気満々で物事に当たっても、現状は厳しく反発してくる可能性大。

この反発が人間関係の悪化を招いたり、努力をしようともがくほどに困難な状況に陥ったりと。

ここのところは難しい状況が続いて悪あがきをすると疲労困憊しそうな感じがあります。

そこでアドバイスとしては距離を置いて静観すること。

無理にどうこうしない方が意外にスムースにことが運ぶこともあるのです。

見ることと問題

週の初めから要注意なカードですね。

でもまあ、こんなことって普通にありますよ。特段に心配しないで置きましょう。

というところで、最近のコラムで時折触れる「見ること」や問題についての復習をしておきます。

今回のアドバイスで「静観しよう」ということがありました。

これってすなわち「見ること」に他なりません。

物事は、あなたが「それは問題だ」と思う度合いに応じて問題になります。

あなたが問題だと思わなければ何も問題にはなりません。全ては「考え」から生まれます。問題は見ることからは生まれたりはしません。

わかりやすい極端な例として「車がパンクした!約束の時間に間に合わない!」というのは、車にとっては何も問題ではありませんし、待っている人にとっても問題ではありません。

あなたが問題だと考えるから問題になっているのであって、そうでなければ問題はどこにもありません。

パンクによって車が走行不能、約束の時間に遅れると考えたあなたにとってだけ問題です。

極論ではありますが、そういうことです。

さて、そこで考えるのをやめて「見る」を始めたどうなるでしょう?

問題はどんどん解消の方向へ向かうはずですよ。

明日が良い日でありますように。

セージニッククオーツ・耐えるとき・ 2018年6月29日

セージニッククオーツ(Sagenitic-quartz)
セージニッククオーツ(Sagenitic-quartz)

セージニッククオーツ・耐えるとき・ 2018年6月29日

セージニッククオーツが出ています。

セージニッククオーツに求めるのは「忍耐・するべきことに集中する」。

この作用の元になる働きとして心を前向きに保つことが要求されます。セージニッククオーツでは特にその部分を使い、忍耐強く、そして物事に集中できるよう考えました。

また、行き詰まり感があるときに「本当はどうしたいのか」を再確認するときにも有効です。

さて、カードは「吊られた男」。

良し悪しの判断が難しいカードではありますが、示唆に富んでいるように思えます。

カードのデザインとしては男が逆さまに吊られていて、まったく身動きができない状態ですよね。

しかしながらその表情は決して苦痛に満ちたものでなく、何か悟ってさえいる様子。

外見的には絶望的ですが、その状況からでも見出せる光があるのではないか、と語っている様子です。

絶望的な状況、ゲーム

人間を精神と肉体に分けるなら、肉体だけを見ているとこれはほとんど絶望的な状況でしょう。

「生老病死」に悩むのは、それは肉体についてだけであって、精神への言及はありません。あれはあくまでも肉体だけを見ています。

もちろん、多くの場合、人は自分が肉体そのものだと思っていますから、それがなくなってしまう「死」は恐ろしいことなのでしょう。

ところが人は100%の確率でいつかは死亡しますので、ジタバタしてもどうしようもありません。絶望的です。

そこで、実は「生老病死」に苦しむのはある種の「罠」(わな)とする考えもあります。

これは人間が自分を物体(肉体)だと考える度合い応じてその罠に深くはまり込むようになっているようです。

一方、精神というのは実は肉体と別にあるのだと思えるようになると、まったく異なった感覚で自分の肉体や他の物体を眺められるようになります。

ある精神が、ある一定期間を、ある肉体を使うことで行う何かのゲーム。
そのゲームの種類はその人に任せられている。

これが人生の定義かもしれません。

そうとすると、そこにはあまり絶望も希望も定めなく、どうやってゲームを遂行するのか、ということだけがあるように思えます。

今週最後のコラムになりました。

肉体、精神、人生って何?ということの答えがないお話でした。

それでは良い週末を。また次の日曜夜に更新いたします。

明日が良い日でありますように。

アメジスト・バランス感覚・ 2018年6月28日

アメジスト(Amethyst)
アメジスト(Amethyst)

アメジスト・バランス感覚・ 2018年6月28日

アメジストが出ています。

アメジストに求めるのは「冷静さと慎重さ」。

もうすでにお馴染みのパワーストーンで、このページでもレギュラーです。どなたにも使いやすく、アメジストそれ自体が自己浄化作用を持っていることも特徴。

その浄化作用からセレニティアスでは細石状のアメジストをメンテナンスキットに使っています。

アメジストは一般的にはときとして恋愛系に使うこともあるようですが、なにせ元が「冷静になる」パワーストーンですから、その恋愛にぷっつりと終止符を打つこともあり得ます。その意味では使い方に注意です。

さて、今回のカードは「節制」。まずまずでしょう。

現状でそこそこに節度ある状態が作られており、環境的にはまずまず整っているようです。

ある意味これは満足している状態と言えるでしょう。現在はバランス感覚も大変優れています。問題を解決するにあたっては良いチャンスと言えそうです。

なお、この「節度を保つ」という状態は、良い状況を作るために基本的に抑えておきたいことのひとつ。このカードはそれを教えてもいるようですよ。

許容と相性

アメジストが出たところで、今回は人と人との相性について思い当たりました。

さて、人は様々な形でパートナーになることが多いです。恋愛や仕事、友達付き合いなどですね。

ここで自然発生的にできたパートナーは問題ないのですが、都合上でその相手とやっていくことになった、ということがあります。

これは「相性」ということで語られることで問題になることがあり、相性の良し悪しからそのパートナーの成否が決まる部分があります。

さて、相性というと「なんとかくムシが好かない」というように、これといった理由を特定できないことは多いです。

しかしわかっていることのひとつに「許容性」があります。

これを簡単に言えば「どれくらいのことに耐えられるか?」です。

二者間での「耐えられる何か?」には例えば以下のようなことがあります。

相手が話す速さ
返答のレスポンス
倫理観

もちろん他に様々にあるでしょうが、上の三つは大きいです。

例えば恋愛として入った交際が途中でうまくいかないか、相手のことを認められなくなるのは上の三つが自分にとって許容不能な時に起こります。

ですから、恋愛に限らず何かでパートーナーを組まなければならないというとき、上の三点であなたが許容できない状況にあれば将来的には関係が悪化する可能性ありです。

ちなみに、許容できる幅を広く持っている方が人付き合いは楽ではあります。が、あるとき「幅が広い人」は「幅が狭い人」を見限る可能性はありですよ。

明日が良い日でありますように。

ラピスラズリ・愛情系の吉日・ 2018年6月27日

ラピスラズリ
ラピスラズリ(Lapis-lazuli)

ラピスラズリ・愛情系の吉日・ 2018年6月27日

ラピスラズリが出ています。

一応ラピスラズリなんですが、ここではもう単に幸運のストーンといたします。守護的な働きがあったり、悪縁を切ったりと持ち主の幸運についての守り石ですね。

ラピスラズリはとりあえず持っているだけで「幸運のパワーストーン」という広い意味での使い方として有効といたしましょう。

さて、カードの方は愛情系としては最も良しの「カップのエース」。

もうパワーストーンの助けを得るまでもなく良いカード。

愛に包まれ、そして愛を与えることで知る喜びを得ることでしょう。

この愛情であなた自身の運命が大きく変わることを暗示しています。

また、これから愛の告白をしようとしているなら吉報と言えますよ。

人間関係で悩みがあったなら、それも良い形での解決に向かいます。

そして得られた愛を他の人々と大いに分かち合うことも大切。

芸術についての一考察

ここのところ良いカード続きで、今回もちょっと脱線を。

このコラムでちょこちょこと芸術について触れますが、今回はある学者さんの論文から知ったことについて触れます。

その学者さん、芸術家がなぜ芸術活動をするのか?ということについて書いていました。確か、論文のタイトルは「芸術家の作品とその精神分析」(随分昔に読んだために間違っているかもしれません)

その論がある意味で奇想天外でした。

例えば・・・超かいつまんで書きますと・・・

絵描きは十分に物が見えない。
音楽家は音が聞こえない。

なのだそうです。

これ、普通に考えると逆な気がしますよね。

絵描きは物がよく見えるので絵を描いており、音楽家は他の人より耳が良いと思いませんか?

しかしその学者さんの論によると、絵描きさんはよく見えないのでそれを補うために自分で絵を描き、音楽家は聞こえない部分を補うために音楽を作ると・・・

うううむ、これはどうだろうなぁ?

まったくを否定することもありませんが、素直に全面的に承服することもしにくいように思えます。

ただし、筆者自身もこの学者さんと似た見解を一部分は持っています。

というのは、芸術家の一部には、日常的にはコミュニケーション不全なところがある場合もある・・・ということです。

で、日常的には不十分なコミュニケーションを絵画とか音楽によって補っている部分もないとは言えないと思っています。

しかし、それはその芸術家の「限界」であって、日常的にコミュニケーションの不全がないとしても素晴らしい芸術家はたくさん存在するのも確か。

芸術それ自体はコミュニケーションの手段として存在し、それは日常的な言葉や視覚的な表現以上のことを伝えることができる何かだと思います。

人々が感動するのはその部分についてであって、それを芸術と呼んでいると思います。

日常的なコミュニケーション不全の部分を補ったという表現にいちいち感動したりはしません。

才能があって、良い芸術の作り手は、日常的なコミュニケーション以上のことを表現しますから、それの受け手もそれなりな能力が必要で、芸術が「わかる/わからない」という境目はこの辺で生まれます。

今回はちょっとややこしい芸術論めいた話でしたが、ここまで!

明日が良い日でありますように。