
ラピスラズリ・愛情系の吉日・ 2018年6月27日
ラピスラズリが出ています。
一応ラピスラズリなんですが、ここではもう単に幸運のストーンといたします。守護的な働きがあったり、悪縁を切ったりと持ち主の幸運についての守り石ですね。
ラピスラズリはとりあえず持っているだけで「幸運のパワーストーン」という広い意味での使い方として有効といたしましょう。
さて、カードの方は愛情系としては最も良しの「カップのエース」。
もうパワーストーンの助けを得るまでもなく良いカード。
愛に包まれ、そして愛を与えることで知る喜びを得ることでしょう。
この愛情であなた自身の運命が大きく変わることを暗示しています。
また、これから愛の告白をしようとしているなら吉報と言えますよ。
人間関係で悩みがあったなら、それも良い形での解決に向かいます。
そして得られた愛を他の人々と大いに分かち合うことも大切。
芸術についての一考察
ここのところ良いカード続きで、今回もちょっと脱線を。
このコラムでちょこちょこと芸術について触れますが、今回はある学者さんの論文から知ったことについて触れます。
その学者さん、芸術家がなぜ芸術活動をするのか?ということについて書いていました。確か、論文のタイトルは「芸術家の作品とその精神分析」(随分昔に読んだために間違っているかもしれません)
その論がある意味で奇想天外でした。
例えば・・・超かいつまんで書きますと・・・
絵描きは十分に物が見えない。
音楽家は音が聞こえない。
なのだそうです。
これ、普通に考えると逆な気がしますよね。
絵描きは物がよく見えるので絵を描いており、音楽家は他の人より耳が良いと思いませんか?
しかしその学者さんの論によると、絵描きさんはよく見えないのでそれを補うために自分で絵を描き、音楽家は聞こえない部分を補うために音楽を作ると・・・
うううむ、これはどうだろうなぁ?
まったくを否定することもありませんが、素直に全面的に承服することもしにくいように思えます。
ただし、筆者自身もこの学者さんと似た見解を一部分は持っています。
というのは、芸術家の一部には、日常的にはコミュニケーション不全なところがある場合もある・・・ということです。
で、日常的には不十分なコミュニケーションを絵画とか音楽によって補っている部分もないとは言えないと思っています。
しかし、それはその芸術家の「限界」であって、日常的にコミュニケーションの不全がないとしても素晴らしい芸術家はたくさん存在するのも確か。
芸術それ自体はコミュニケーションの手段として存在し、それは日常的な言葉や視覚的な表現以上のことを伝えることができる何かだと思います。
人々が感動するのはその部分についてであって、それを芸術と呼んでいると思います。
日常的なコミュニケーション不全の部分を補ったという表現にいちいち感動したりはしません。
才能があって、良い芸術の作り手は、日常的なコミュニケーション以上のことを表現しますから、それの受け手もそれなりな能力が必要で、芸術が「わかる/わからない」という境目はこの辺で生まれます。
今回はちょっとややこしい芸術論めいた話でしたが、ここまで!
明日が良い日でありますように。
少し違うかもしれませんが・・・。
四柱推命で占ったとき、
怪我をしやすい星を持った人はスポーツマンが多いです。
ちなみに足に弱みを持った星の人は
サッカー選手が多いです。
弱みを生かす努力をすることで
苦労はしますが、花が咲くみたいです。
ええ?怪我をしやすい人がスポーツマン!
サッカー選手は足に弱みが!
なんと!