「サンストーン」タグアーカイブ

サンストーン・積極的にあたろう・2019年2月19日

 

サンストーン(Sun-stone)
サンストーン(Sun-stone)

サンストーン・積極的にあたろう・2019年2月19日

サンストーンが出ています。

サンストーンに求めるのは「前向き」「積極性」。

サンストーンはただでさえ「勝負ストーン」。ここぞという時に使いたいですね。(そんなカードが出ています)

ただし、基本的な知識として「勝ちに行く」ことの妨げになっている「心のわだかまり」を解消する働きがある、ということを知りましょう。

この意味から、サンストーンは過去の記憶に触りますよ。

サンストーンを使ってうまくいかないとか、またはその人がサンストーンの使用に向くかということの判断材料になりますよね。

こんな細かいことは意味辞典に書かれてはおりません。このコーナーを見ている人にだけのお得情報でした。

カード:太陽

かなり良いカード!

苦難の時は去り、あらゆることの好転を暗示しています。

これから良いことが起こりそうですよ。その喜びを人々と分かち合うことも大切。

そうすることでその喜びが何倍にもなります。

アドバイスとして、コミュニケーションは率直に、正直に。含みをもたせたり遠回しな表現にならないように。

問題と持続

前回のカード、魔術師に続いて「太陽」。

これは良い流れですね。

さてさて、流れに乗るために今回は「問題」の性質について記しておきます。

長く続いている夫婦の「問題」

「問題」ということの基本的な性質に「持続性がある」ということがあります。

それで、長く連れ添っている夫婦とかパートナー間には、実はなんらかの「問題」があるにはある、ということがあります。

もちろん、破局的な大問題ではパートナーシップが続きませんけれど、ごく小さな問題はそこに存在します。(本人たちは問題だと意識していないにしてもです)

またこの場合、問題と言ってピッタリでないとすればある程度の「不同意」と言い換えた方が良いかもですね。

その不同意はある程度の価値観の違い、食べ物や趣味の嗜好のお互いに認められない違いなどですね。

長続きするパートナーは、実際には上のような不同意が存在するケースが多いのです。

また、持続させるためにわざと「小さな問題を持つ」ということもありです。

「相手のここが嫌だ」という話を楽しげにする夫婦っていますよね。

ですから、今現在パートナー探しをしている人は、価値観や趣味ができるだけ一致している、ということを目指すより、賛同できない部分はあっても付き合ってみるのが吉ですよ。

「問題」の基本的な性質、それは「持続する」です。

(逆に言えば、問題の解消と共に消えて無くなる何かがありますよ)

全く別な観点で書きますと、「潰れたらいいのに」と思っている組織がなかなか潰れないでいるのは、内部には問題があるはず。それが破局的なレベルに達しないレベルでの、です。

明日が良い日でありますように。

サンストーン・生命みなぎる!・2018年11月28日

サンストーン(Sun-stone)
サンストーン(Sun-stone)

サンストーン・生命みなぎる!・2018年11月28日

サンストーンが出ています。

サンストーンに求めるのは「眠れる才能を引き出す」こと。

これは意味辞典の方では触れられていない働きですね。

サンストーンは、いつもは自分で封印してしまっている才能や長所を引き出してくれます。

人は誰でもどこかにコンプレックスを持っているものですが、これが実は何もいわれなきことが理由になっていたり、非常に不合理なことが少なくありません。

と言うか、まあほとんどそうです。

人と話していて経験したことがあると思いますが、各自が自分の気に入らない部分について話してみると「えぇ!?なんでぇ〜?」と思われたことはないでしょうか?

「それがあなたのイイところじゃん!」みたいな経験はありませんか?

サンストーンは、もともと短所でもないところを気にしてる人を癒す能力もあり、もしかしたらそれが長所な場合さえあって、それを伸ばしてくれますよ。

ただし、使い方の注意事項は意味辞典にある通りですね。

さて、カードは「太陽」!。

最上級に良いカード!

(ある意味ストーンが不要なほどに)

長い長い冬の時代が過ぎ去り、春が訪れるかのごとくにあらゆることが好転しそうですよ!

生命力、喜びにあふれ、生きていることが本当に楽しいと思える時代が到来します。

才能の目覚めてそれに邁進する姿も。

この喜びを周囲の人と分かち合ってください。

自分自身だけでなく、周囲の人、さらにその周りの環境、宇宙全体として生存に向かってください。

コンプレックス様々

一口にコンプレックスと言っても様々なケースがあるようです。

と、その前に、コンプレックスは今や「劣等感」のような使われ方をしていることが多く、ここではその用法を用います。

自分自身のここが嫌い

まずは単に自分で自分のある部分について気に入らない状態。

例えば容姿に関することですね。身長とか体型とか、容貌ですね。

これに関しては、それが他人に嫌われるという客観性がない限りはほとんど自身の捏造かもしれません。

身体的な特徴に関しては、現実問題としてどうしようもないことがあり、それは受け入れなければならない、という場合も少なくありません。

受け入れ、認め、そして生きる・・・

昨日の続きっぽいですが「自分自身になる」です。

自分を認めるためには「自分自身になる」です。自分自身になっていないので自分を許せず愛せないのかもですよ。

次に、自分のここが嫌いという中には性格的なこともありますね。

これは心の問題としていかようにも変えられますし、変わります。(あっさり)

また、嫌いな性格それ自体を変えられなかったとしても、それ自体を好きになったり活かせたりもすることがあり。

これも「自分自身になる」からでしょうか・・・

植えつけられたもの

これはこのコラムで何度も出てくるお話。

誰かに植えつけられたことです。

幼い頃に「お前は何々だから」と。

これ、散々言われなかったでしょうか?

これがまるで催眠術のように刷り込まれることがあります。

特に、注意して欲しいのは上記のような人格を規定するような台詞を「意識が薄いとき」に言われることです。

身体の具合が悪いとき、非常に疲れているとき、怪我をしているとき・・・こんなときは意識レベルが低く無意識に寄っています。

こんなときに言われる台詞は刷り込まれやすいです。

ところが、意識が薄いためにその出来事があったことを思い出せないのですよね。

でもなんとなく、思い当たるフシがあるひといませんか?

これを本当に思い出し、そしてありありとその場面を人に話せるほどになると、この催眠から脱出できる可能性大。

明日が良い日でありますように。

サンストーン・抜け出る道は・2018年10月4日

サンストーン(Sun-stone)
サンストーン(Sun-stone)

サンストーン・抜け出る道は・2018年10月4日

サンストーンが出ています。

今回サンストーンに求めるのは「明確な態度」。

意味辞典の方ではサンストーンについて「勝負事に勝つ石」と紹介されていますが、実際にはその根底にあるが「明確な態度」なんです。

「絶対に勝つ」。これって何を隠そう「明確な態度」ですよね。

そのためにサンストーンがしているのは「消極的な思い」を取り去ること。マイナス要素を取り去りながら、プラス側へは行動を促進するといいう働き方です。

ただし、サンストーンは持ち主にフルパワーを使わせようとするために、使い方としてちょっと注意が必要。これは意味辞典でも触れていますね。

さて、カードは「ソードの騎士/リバース」。

少しばかりの注意とアドバイスといった感じ。

トラブル有りかもです。

無理やり推し進めているようなこと、そして推し進めていることが他の人に理解されないがために無理が生じるということがあるかも。

それで困難な状況を招いている部分が有りかもです。

しかしながら、ここは決然とした態度で通り抜けることの方が良さそうです。

「そこから抜け出る道は通り抜ける道」

問題を避けて通ってはいけません。サンストーンを胸にきっぱりと心を決めましょう。

持ち主以上にサンストーンが頑張ります。(ついて来れますか)

やりたいこととゴミ、他の話題

サンストーンが厳しいストーンなる秘密

今回のパワーストーン、サンストーンの働きとして「明確な態度」。

これ簡単そうでなかなかできないのですよね。

明確な態度、というのは第三者から見て単に「はっきり、きっぱりしているなあ」ということのみには収まりません。

見た目の態度として明確でなく、むしろ温和であったとしても、その人の内心では「きっぱりしたものがある」ということは多々あります。

さて、いずれにせよ、態度以前に「きっぱりした思い」があってのことになります。

実際には見た目の態度でなく「思い」が重要であって、態度はむしろ温和な方が良好な人間関係のためには無難なこともありでしょう。

そこで、このきっぱりした「思い」ですが、それを邪魔するものが沢山あります。

沢山hありますが、それは大きく分けて二種類になります。

  1. 考え
  2. 失敗の経験

まずは「考え」が邪魔します。

  • あ、いや、やっぱり無理か・・・
  • こんなことになったら恥ずかしいしな。
  • これをするのにいったいいくらかかるのだろう?
  • 誰も賛成してくれそうもないな。

次に失敗の経験ですね。

これは過去にした失敗の中で、シチュエーションの一部が似ているものが取り上げられてしまいます。

これらは理由がわからない「苦手意識」のようなことになって心に巣食っています。

で、もしも前世や輪廻転生を信じると、過去の失敗経験なんて途方もない数になってしまって救いようありません。いくつもの前世の失敗が積み重なっていますから。

それからもう一つ、オマケをつけておけば、「教育」が大きく足を引っ張ってくれますよ。

あれもダメ、これもダメ、ここにいてはいけない、これに触るな、あなたには無理。

こんなことを言われ続けていたら「自分がやろう」としていることに真正面から向き合えません。

これらはみんな「ゴミ」です。

しかしゴミなしに率直に素直に「思う」ことを多くの人が忘れてしまっています。

ゴミのない状態の「思い」とはどんなだったか?・・・

子供の頃、綺麗な花を見つけたら一直線にそこに駆け寄って行くことがなかったでしょうか?

例えるならそんな場面になるかもしれません。

そしてこの文章ではとりあえず「思い」と書きましたが、それはすなわち「意図」のことです。

そしてこの意図を持つために、考えること以前に、ゴミに絡め取られる以前に、「決定力」がものをいいます。

その「決定」とは、実のところ結果に「責任を負います」ということに他なりません。

小さな決定は誰でもしますが、大きな決定ができないのです。なぜならそこには大きな責任が伴いますから。

意図や決定を邪魔する「考え」というのは、何を隠そう責任を負いたくない度合いのバロメーターとも言えるほど。

そして負える責任がゴミに勝るとき、元の意図が明確になることでしょう。

ここまで読んだ方はお気づきと思いますが、サンストーンが働けば、そこに必ず責任が発生することを意味します。

ね、サンストーンを使うのは大変なことなんですよ。ですので様々な方面の、様々なサポートをする他のストーンが必要なんですね。

明日が良い日でありますように。

サンストーン・最上の好転・ 2018年6月8日

サンストーン(Sun-stone)
サンストーン(Sun-stone)

サンストーン・最上の好転・ 2018年6月8日

サンストーンが出ています。

サンストーンは言わば勝利の象徴。

目的に対してがむしゃらに突っ走ると言う性質があるために、使い方に要注意です。(持ち主がヘトヘトでも容赦ありませんから)

実際のところ、使用者とよほどのフィッティングを取らないことには、セレニティアスでも作品中に使いにくいことがあります。(ですので一般商品のラインナップに少ないわけです)

ところで、このサンストーンのもう少し突っ込んだ働きとして「持ち主の眠れる才能を引き出す」ことがあります。

しかしこれも、もしかしたら「目的に突っ走る」ためにあらん限りのネタを総動員すると言うことかもしれません。持ち主としてはオロオロするばかりかも。

さてさて、カードの方は「太陽」。

これは最上位クラスに良いカードでしょう。言うことなしです。

心身ともに充足し、人生の意味を改めて見出すことができるほどに満ち足ります。

今までにあった様々な苦難は、自分自身の幸せに気づくための過程において必要だったことなのかもです。

未来は開けています。

植物が太陽を浴びてスクスク育つように、あらゆることが順調に運び、大きな実りを得ることになるでしょう。

さてさて、そこでなぜサンストーンが登場したのでしょう?

そもそもがこのストーンは勝利の象徴なのですが、今までに負けがこんだ人生を送っていると「素直に勝利を手にできない」正確になることがしばし。

そこでサンストーンは「持ち主のマイナス感情」完全に超えた部分で目的に突っ走ることをしてくれるわけです。

うむを言わさず「勝ちに行く」これがサンストーンです。

(正直なところ、持ち主の方がサンストーンに負けているかも・・・)

アート(芸術)について様々な話

今回も良いカードなので少し脱線を。

前回は人生に「教養」は必要だ、と言うことを書きましたが、実はアートはその教養を超えていると思うことを少し。

教養ということの半分くらいは「知識」でこと足りるのですが、アートとなるとそうは行きません。

アートとはなんぞや、と昔から問題なのですが、かなりな部分はどうやら「コミュニケーションの手段」ではあるよです。

それもかなり高度なものです。

というのは、アートは国(言語や文化)、そして時代をも超えてある人からある人へ情報が伝わります。

ところで、あるアートに触れた感想として「この絵はなんだ?よくわかんないな」とか「わけのわからん音楽やな」ということがありますよね。

で、人によっては言葉によって説明を聞きたがります。

しかしですよ、そもそもアートは「言語を超えた」コミュニケーションですから、それを言葉で説明しようとしてもなかなか成功しません。

できたとしても、その作品が生まれた背景を語る、といったことになり、作品そのものを言語で説明できはしません。

いや、何、そもそもが言語で尽くせないから絵描きが絵を描き、音楽家が音楽を作り、小説家が長い長い話を書かざるを得ないわけです。

ところで、教養ということは、これらのアートをなんとか言語化しようと試みることがあります。が、それは実際には単なる評論になるだけで、アートそのものを表してはいない可能性大。

アートは教養を超えたところにあって、そしてそれは一部の人間だけが理解できるかなり高度なコミュニケーション手段だと思えます。

さてさて、今週最後のコラムになりました。

それではまた次の日曜の夜、お会いしましょう。良い週末をお迎えください。

明日が良い日でありますように。