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クンツァイト・愛情・2020年

クンツァイト(Kunzite)
クンツァイト(Kunzite)

クンツァイト・愛情・2020年

クンツァイトが出ています。

クンツァイトに求めるのは「自他共に愛すること」。

今回は「明日のこと」でなく2020年全体に関してカードに聞いてみました。

その結果、クンツァイトが出ています。

「自分を大切にすること」

そしてその結果、人を大切にすること。

カード:カップの女王

愛情、慈愛の象徴です。

いつ何時も、自分に対して、そして人に対して、仲間に対して、環境に対して、地球や宇宙に対して不可欠なことでしょう。

全ての解決策がここにあるかもです。

感情のレベルとして非常に高い位置にあります。

また、理解の三角形の極大値にあります。

理解の三角形

生存の多重円(生存の包含関係)

理解の三角形・生存の多重円

もう本当に言い尽くされてどうしようもない話題となります。

「愛情」です。

自分に対すること、人に対すること。

このギスギスした世の中を見るにつけ、一体どうしたんだろうと思います。

自分に対する愛情、人に対する愛情をどこに置き忘れてしまったのか?

そうなる理由は感情のレベルが非常に低い位置にきていることです。

感情のレベル 参考資料

敵対心、怒り、秘めた敵意あたりにいたのではどうしようもありません。

実際にはそれらあたりではかなりマシ。

実際には「無気力」あたりまで下がっているのが現実だと思います。

あまりに抑圧的な社会では人々がそうなって無理もないと思います。

しかし、そこから抜け出すには、自分自身で奮い立つしかないようです。

また、自分の感情のレベルを下げないために、敵対心、怒り、秘めた敵意にいる人々と離れること。

また、感情のレベルはその人の倫理観そのものと一致しています。

感情のレベルが下がるほどに倫理観は低下します。犯罪者の感情のレベルを見れば一目瞭然ですよね。

犯罪者の特質というのは、自分と人、グループ、環境に対しての愛情の欠落を絵に描いたような状況にあります。

実行の秘訣

最近のこと、古い人の格言で以下のものを見つけたので紹介します。

「一旦やろうと思ったことは、気乗りがしないとか気晴らしがしたいなどという口実で延期するな。直ちに、たとえ見せかけなりとも、取り掛かるべし。いい知恵は浮かぶものなり。」

トルストイ(1828-1910)

いや本当にそうしかない感じ。決めたことを「する/しない」って本当に紙一重みたいな感じで、マジ紙一枚分の違いしかありません。

しかしその紙一枚をめくって実行してみた人だけ一歩進んでいるのは確か。

さてさて、今年の「明日のパワーストーン」は今回が最終です。

今年一年、ご愛読いただき誠にありがとうございます。

「愛情」は来年だけでなく、今も来年も、そしてこの先ずっと主要なテーマだと思います。

それでは!2020年が良い年になりますように。

次回の更新は2020年1月5日予定です。

もしかして、途中に気が向いたら何か書くかもです。

クンツァイト・目の前には可能性・2019年12月13日

クンツァイト(Kunzite)
クンツァイト(Kunzite)

クンツァイト・目の前には可能性・2019年12月13日

クンツァイトが出ています。

クンツァイトに求めるのは「平等に注がれる深い愛情」。

クンツァイトはかなぁ〜り深く自分を愛することを第一義とするパワーストーンですね。

それができてこそ、自分以外への愛情を本当に注ぐことができるわけです。

また、自分への愛情以外に他人への怒りや批判を抑えてくれる作用がありすね。(マイナス感情のセーブですね)

組み合わせの相性としてローズクオーツ、そしてロードナイトがあげられます。

カード:カップの王子

これもなかなか良いカード、前回の延長上にあるようです。

まずは未知数の可能性を示しています。これは「0」の愚者のカードと違い、本人自身が将来に対して夢や希望を抱いていいます。

目の前はチャンスだらけなのです。

様々な発想が湧きやすく、直感にも優れている時期。独自のアイディアや芸術性について才能を発揮しやすくあります。

スタートするのはまさに今。

ただし、やりたいことには真剣に取り組むこと。

スタートの後は?

前回は「スタートの秘訣」について書きましたが、今回の記事では行動のサイクルの残り二つ「チェンジ」と「ストップ」について記します。

復習として・・・行動のサイクルは以下の三つで成り立ちます。

  • スタート
  • チェンジ
  • ストップ

さて、スタートした後は状況に応じて自由にチェンジします。

例えば車を運転しているとして、スタートしたものの何も変えずに走っていれば即、それは事故を起こします。

スピードを変え、方向を変えねばなりません。

そして必要に応じてストップするわけです。

スタート、チェンジ、ストップこれらの三つが行動の中に含まれていることを思い出しましょう。

「何かうまく行かない」ということの中には上に書いた行動のサイクルがうまく機能していないことが必ずあります。

スタートするべきことがスタートしていない、チェンジするべきことがチェンジしていない、ストップするべきことがストップしていない。

こんなことを発見することができるでしょう。

明日が良い日になりますように。

クンツァイト・不安を制す・2019年8月26日

クンツァイト(Kunzite)
クンツァイト(Kunzite)

クンツァイト・不安を制す・2019年8月26日

クンツァイトが出ています。

クンツァイトに求めるのは「自分を信じて静かに待つ」こと。

元々が癒し系の一種ですね。(ちょい厳しいですが)

最終的な目的として「自分を愛すること」。

自分を信じるには自分を愛していることが条件になりますよね。

愛してないものは信じられませんよね。

カード:月

めちゃくちゃ悪くもないですが、ちょっと注意なカード。

不安の象徴です。

まあしかし、コラムでは何度も触れていますが、不安や恐怖は自分が作っていることの方が圧倒的に多いです。

「でも怖いものは怖いでしょ!」

と思われるでしょう。ま、確かにバンジージャンプで飛ぶ寸前までに無理に追い詰められたら怖いでしょう。

まあ、この場合は反応による恐怖。

(続きはコラムで)

さて、月のカードが出ている時はどちらかと言えば「反応的」な振る舞いが優勢になりやすいようです。

ここは自分を信じ、状況の実際をしっかり見て知った上で対処する、または放置してやり過ごすのが正解のようです。それでクンツァイトをお勧めします。

恐怖と反応

恐怖は感情のレベルで言えばそこそこに低いところに位置します。

理性が働かずに反応的に振る舞うわけですね。

ところで・・・

バンジーのように高い場所=危険
ヘビ=危険

動物ならこの「反応」でなんとか生存を維持できる可能性を持つでしょう。

しかし人間の場合、言語を持っていることと関連して生存に関係のない「反応」を持つことがあります。

また、変に知能が発達しているために、経験則を元に、作ってでも反応することがあり、または誰かに植えつけられることもあり。経験がそうさせていることもあり。

ところでバンジーの場合ならゴムが切れたらどうしようとか、飛行機が落ちないかとか・・・これは作った恐怖です。作り出せば一歩も家を出られません。

そして反応の場合、例えば・・・

  • カニ=恐怖
  • セミ=恐怖
  • 男性=恐怖
  • 女性=恐怖
  • 火=恐怖
  • 狭いところ=恐怖

典型的にはこれらのように、元々が人間に害をなさないものにでも、無意味な反応が出ることがあります。

これらの反応は思考の結果でなく、単に機械的な反応であり、ことによっては生存の足しにならないばかりか足を引っ張ることも多々あります。

そこで、自分が持っている不安や恐怖について、ちょっと立ち止まってよく観察してみることをおすすめします。

「ん?この反応って何?」
「もしかしたら、人生にマイナスじゃん!」
「もしかしたら根も葉もないかも・・・」
「いや?誰かにそう言われたかも・・・」

これができるかできないか?が人間と動物の境目になりそうです。

で、ほおっておけば他の反応もどんどん増えて行くケースが多いようですよ。

さて、月は、人間の動物的な部分に反応を起こしやすいこともありです。
(満月に関係する狼男伝説の元ネタかも)

クンツァイトを使って自分を信じ、不安・反応を克服しましょう。

明日が良い日になりますように。

クンツァイト・実りのとき・2019年8月1日

クンツァイト(Kunzite)
クンツァイト(Kunzite)

クンツァイト・実りのとき・2019年8月1日

クンツァイトが出ています。

クンツァイトに求めるのは「母性・優しさ」。

母性や優しさと言えば、対外的な感情なのですが、クンツァイトを使うには、まず持ち主自身が自分を愛していることが前提。

ですので、このストーンを使うのはちょっと難しいこともあり。

そこでクンツァイトを使うには、同時に他の補助ストーンを使うことの方が多いです。

カード:女帝

良いカードです。

十分な実りを得られる吉兆です。

これが得られるのは、これまでに愛情を傾け、ひたすらに育んできたことが成果となって現れるということです。

カードそれ自体は物質的な繁栄や成功のシンボルなのですが、それを得られるにはひたむきな愛情があってこそのことなのです。

今現状として苦労の最中にあったとしても、心配には及びません。

実りを得られることはカードが約束しています。

気楽な者が勝利する(その4)

この前の参議院選挙で身障者の方2名が当選され、国会に登院することになりました。

これは非常に画期的なことで、国民全体として歓迎したいと思います。

しかし、そこで問題になったのが物理的なバリアのフリー化。これはなんとかなるでしょう。

そしてもうひとつの問題はヘルパーさんの費用の問題。

これは物議を醸しています。

法律の壁、それをどうやって乗り越えるのか?

一部には「勝手にしてくれ」という冷たい人もいるわけです。

かつてシドニーで見た光景

筆者(これを書いているのは中尾友次郎)は、今から30年くらい前にシドニーで1年暮らしていたことがありました。

かなり昔ということもあり、街や道、鉄道などの公共機関は決してバリアフリーではありませんでした。

しかし!街中には車椅子で移動する人が結構多いのです。住人として感覚的な感じではありますが、日本より本当に多い。

彼らがどうやってバリアフリーでもない街で車椅子生活していたのか??

なんのことはない、答えは簡単なんです。

「街の人々が助けていた」

これだけです。

例えば、バスにはリフトがなく機械的な仕掛けで車椅子が乗り込むことはできません。もう普通のバスなんです。

それでどうやって車椅子がバスに乗り込むかと言えば、バスの運転手が他の乗客に声をかけ、車椅子の乗り込みの手助けをしてもらいます。

外でバスを待っている人だってすぐに手伝いますよ。

車椅子の人が地下鉄に乗るとき、エレベーターなんかありません。普通に階段です。

そんなとき、車椅子の人が単に周囲の人に助けを求めます。

「私を下ろしてよ!」

単にこれだけ。

もうあっという間に人が集まって車椅子ごと階段下まで下ろしてくれます。

これ、日本では見たことない光景です。

介助を求めることは「当然」。そして介助をする方も「当然」という感じなんです。

で、双方ともにすごい「気楽」「フランク」「当たり前」という感じ。

介助を求める方が負い目を感じるでもなく、介助する方は「当然だろ」という感じ。

そうして作業が終わったら、「ありがとー!」「なーにお安い御用だよ!」「それじゃあ良い一日を!」

こんな感じで別れます。気楽です。「気楽な者が勝利する」です。

これ、物理的なバリアフリーはあった方が良いにせよ、先に人々の心に「バリアーがない」という感じです。

日本では真逆。人の心にバリアーがあるのではないかと思えてなりません。

例えば、日本で車椅子の人を車椅子ごと通行人が何人かで階段を上げ下ろしするって、もしも怪我をさせたら責任を負えない、という感覚がありげ。

さて、シドニーの人為的バリアフリー化、これは車椅子に限ったことではありません。

列車やバスでお年寄り、赤ちゃんを抱いていた人がいたら、もう本当にすかさず声をかけて最優先で座ってもらっています。

そんな国民性ですから、そもそも優先座席なんて設定は不要。

お年寄り、赤ちゃん、体の不自由な人は絶対に必ず最優先で座れます。

もちろん、日本で言われるようなベビーカー問題はありません。車椅子と全く同様の扱いで、バリアフリーでない街中で大きく困ることはないのです。

ベビーカーを押したお母さんが単に周囲の人に声をかければ、また階段にさしかかろうとしただけで、それに気づいた人がすぐに手を差し伸べます。

人が足りなければ他の人に声をかけてでも介助するのです。

日本のバリアは、物理的なこと以前に人の心にある。そう思います。

さて、参議院議員になられた身障者のお二人。

国会内でのバリアフリーは当然として、介助の費用が別にかかるというなら、さっさと税金を投入せよ!そう思ってやみません。

明日が良い日になりますように。