カーネリアン・出発のチャンス/愚者

カーネリアン
カーネリアン(Carnelian)

2017年5月15日 カーネリアン・出発のチャンス/愚者

面白いカードです。スタート地点ですね。

白紙状態、何でもありです。

人間関係のわずらわしさや、様々なしがらみ、何となく自分に合わないなあと思える環境などがありませんか?

何か他にすることがあるなあ、漠然としているけれどきっとそう思う。

今現在、そこそこにうまくやっているように見えるので、周囲の人は「これから何か始めるなんて馬鹿げているよ」と言うかもしれません。

しかしあなたは現状に満足せず、何かを追い求めようとするかもしれません。

何かそんなタイミングに来ているようです。

ここは常識にとらわれるよりも可能性にかけてみてはどうでしょう。

思考よりも先に体が動きやすい日。

やや無鉄砲気味かもしれないけれど、今日に限っては「無計画」「自由気まま」でいる方がことがスムースに運びそうです。

このようなときにオススメのパワーストーンはカーネリアン

カーネリアンに求めるのは「素直な表現」。自分の本心をオープンにする勇気を育んでくれるストーンです。自分が思う事や感じる事を必要のレベルに応じてありのまま誰かに伝えられるだけの「精神的な余裕」を生み出すと同時に「本心を知られる」事に対しての恐怖心を緩和します。誰に対しても強い警戒心を持たないあなたは、誰も抵抗なく受け入れやすい人となるでしょう。

「人生の辛い時期」を乗り越えるアプローチ6つ

おなじみライフハッカーの記事ですね。詳しくはリンク先を参照していただくとして要点を列挙しておきましょう。

「人生の辛い時期」を乗り越えるアプローチ6つ

その6つのアプローチとは・・・

  1. 大局的な視野を持つ
  2. 心配しても事態は改善しない
  3. 経験により強くなれる
  4. ネガティブな心にもポジティブ思考を絶やさない
  5. 人生は楽ではないが、それだけの価値はある
  6. 明けない夜は無い

まさにその通りなんですが、そしてわかっちゃいるんです。聞き飽きたお説教かもです。でも本当に辛い時にはこれらを忘れるんですよね。

しかし、私が最後に付け加えておきましょう。

深刻になるな!

これです。愚者のカードにあるように、踊りながら崖っぷちを(そうと知らずとも)歩きましょう。

深刻になればなるほど、ろくでもない考えが出てくるようになります。深刻になることは百害あって一利なしです。

未来はいつもその人の手にあります。これを忘れてはいけません。

明日が良い日でありますように。

ヒマラヤンクオーツ・執着しないチャンス/悪魔

2017年5月12日 ヒマラヤンクオーツ・執着しないチャンス/悪魔

ゾッとするような名前のカード。そのニュアンスにとらわれず、まあ少しは慎重に対処しましょう。

そして、考えひとつでしっかり逆転できますから余計な心配をすることのないように。

一見は信じられないようなまずい事態に遭遇するような暗示があるのは確かです。

しかし想像によって勝手に事態をまずく予測する必要はありません。悪い想像の原動力はトラウマや過去の間違った選択を今も持ち続けようとする心の働きに他なりません。

さて自分の行動として「損得勘定」や「固定観念」に執着して物事を見ていることはないでしょうか?

新しい可能性の芽をつむような「古いもの」「自己保身」を捨てて精神的に脱皮し自立するチャンスです。

自分の中にある悪魔と対峙し、克服できるときですよ。打開策は必ずあります。

このようなときにオススメのパワーストーンはヒマラヤンクオーツ(意味辞典に未記載)。

ヒマラヤンクオーツに求めるのは「自立心・澄んだ心」。全てのものを「清める作用」を持つストーンですから、身につけているあなたからは「澄んだオーラ」が放出され、あなたの周囲の人にまで清らかな気を届けることができるようになります。また物事に対する依存心を捨てさせ、自分で進むべき道を見つけ出し一人でも歩いていけるように導きます。

過去の間違った選択を持ち続ける意味

今回のカード「悪魔」についての処方ですが、「過去の間違った選択を持ち続ける」ことが大きな障害なのは確か。

「過去の間違った選択を持ち続ける」その理由は、自分が間違っていたことを認められないことにつきます。

要するに自己弁護してしまうのです。

そして「自分は悪くなかった」もしくは「悪いかもしれないけれどそれはかくかくしかじかだから・・・」といった言い訳で正当化を試みます。

その正当化をするためには「再犯」をしてしまいます。自分は悪くないことを証明するために、再び「過去の失敗」を行うわけですね。(犯罪における再犯は本当にこの原理です)

これ、まさに執着がもたらず災いなんです。

実のところ、ごく簡単に言えばトラウマも執着です。

そう書きますと「誰が好き好んで過去の辛い出来事を握ったままにしたいもんですか!」と反発する気分になるのもわかります。

しかしここでよく考えてください。

その「過去の辛い出来事」を握ったままでずっといろと、誰かが命令しているわけではありません。誰もあなたに強制してはいません。握って離さないのはその本人自身なのです。

昔、ブッダが「執着を捨てろ」と言っていますが、これ、伊達ではありません。

明日が良い日でありますように。

ラピスラズリ・いつでも希望はある/吊られた男

ラピスラズリ
ラピスラズリ(Lapis-lazuli)

2017年5月11日 ラピスラズリ・いつでも希望はある/吊られた男

ひょっとして、身動きが取れない状態?

でもこれをチャンスとみなすことができます。これをモノにすると大きな飛躍が待ち受けているようですよ。

目の前に立ちふさがる壁は、乗り越えられるものしか現れない・・・と真剣に感じられるかどうかが分かれ目になるでしょう。

吊られた男のように、ジタバタしないで状況を認めましょう。正しい現状認識があってこその問題解決です。

また、最悪な状況が将来は結果的にその人の成長の糧になることもあります。

そして考えても仕方のないことに頭を使って疲弊しないことも重要。考えるよりも直感で物事を知りましょう。

このようなときにオススメのパワーストーンはラピスラズリ

ラピスラズリに求めるのは「乗り越える力」。きている間に経験したり、学ばねばならないことなどを素早く察知し、呼び込みます。その上、守護力が大変強いストーンですから、逆境に立ち向かう人にはもってこいですね。

乗り越えられる壁とは何か?

「吊られた男」のカードは「乗り越えられない壁は出現しない」「どんな逆境でも希望を失うな」と言っているようです。

確かに、世間にある「成功哲学」のような標語や宗教的な教えにも「乗り越えられない壁はない」とか「神様は乗り越えられない壁は作らない」と言った表現は多いですよね。

しかしながら、私の場合「本当にそうなのかな?」とマジ考えたことがあります。

ある人が、その壁を乗り越えたら「そう!乗り越えられたでしょ!」といい、そして人が壁を前にくじけそうなときには「乗り越えられない壁はない」と言って励ますことをします。

確かに、励ましの意味としてはそれで良いでしょう。しかしその人がその壁を本当に乗り越えられるかどうかはまったく別問題でしょう。それに、実際にその人が壁を乗り越えるかどうか、それは誰にもわからないでしょう。

しかしながら、何にも挑戦しない人には壁はありません。これも確かです。

そしてさらによく耳にする話としては・・・アスリートや起業家に多い談話に「とにかく乗り越えられるまであきらめなかった」ということですね。

とすると、壁を乗り越えられるかどうかは単に「あきらめるか否か」によって決まるとも言えます。

挑戦することはすなわち「起因」に立っていることであり、そして環境をコントロールしようとしていることです。

環境にコントロールされる側にいるほどに、責任を負うことはなく・・・それと同時に自由もなくなります。

明日が良い日でありますように。

クリソコーラ・変化を受け入れ理解する/塔/リバース

クリソコーラ(Chrysocolla)
クリソコーラ(Chrysocolla)

2017年5月10日 クリソコーラ・変化を受け入れ理解する/塔/リバース

キーワードは予期せぬ変化で環境が変わること。

このカードに関しては正逆どちらに出ても要注意。心して当たりましょう。
(逆位置で出た方がマシかもです)

この変化は自分自身でも気付かぬ場合がありますのでこの点にも注意。

そして、現実を受け入れられないで流れに抗うことを試みるかもしれませんね。そこである種の困難に陥ることになりますが、長い目で見たときには「これで良かったんだ」と気づくときが来そうですよ。

一見は望ましいことでないように見えても、起こること全ては必然です。まずは落ち着いて状況をよく観察してみましょう。

このようなときにオススメのパワーストーンはクリソコーラ

クリソコーラに求めるのは「洞察力」。まずは自分がどうしたいのかをわからせてくれますよ。何かトラブルが起こったり、事態が刻々と大きく変化する時にでも冷静に物事を受け止められるようにしてくれます。

この宇宙に有るものは・・・変化の考察

「塔のカード」ですね。これは一説に「バベルの塔」の連想ですね。聖書に出てくる話として、人間がおごって天に届く塔を作ろうとしたとき、神の怒りに触れて塔を崩され、そのとき以来人々が民族に分かれ言語もバラバラになってしまったということになっています。

そこでこのカードは崩壊とか破壊とかいう意味合いに使われるのですね。

しかしながらこの宇宙で変化なしにそのままであり続ける物は何もありません。

これを日常生活に引き寄せると、「変化がない」のは死んだ人だけ、といった言い方で表すことも。

ただしかしここで少しややこしい話を書いておきましょう。

目の前に植物の種があるとします。例えばひまわりの種です。

この種を土に埋めて水をやります。しばらくして芽が出ます。これは芽が出たひまわりです。形が変わってもひまわりですね。

これがさらに成長し、夏になると花が咲きました。これももちろんひまわりです。種から花へとこれはすごい変化です。

そして秋になって花が散り、そして葉も茎も枯れます。これは枯れたひまわりです。しかしながらまだ、れっきとしたひまわりですね。

種が成長して枯れるまで、いつでもひまわりですが、その中身はどんどん変わっています。

同じように人間も成長して、中身の細胞は新陳代謝によってどんどん変わり、ある年齢に達すると生まれてた時に持っていた細胞は何一つ存在しません。変化によって入れ替わっていますね。

それでは、その人それ自体というのは一体何を意味しているのでしょうか?

細胞がどんなに入れ替わろうとその人はその人自身と認識されています。(ひまわりがいつでもひまわりと呼ばれたのと同じです)

このひまわりと、人の共通点は「生きる」という原動力を持っていると言えます。いわゆる生物ですね。これは他の物体とは異なる性質です。

例えば、私たちは石油からプラスチック製品を作ればそれは変化ですが、プラスチック製品を「石油」と呼ばず、それどころか「プラスチック」とも呼ばず、製品名で例えば「洗面器」と呼んでいます。

これらの違いはそこに「生命」があるかないか?によって大きく分かれています。

ひまわりが枯れるとき、そして人が死ぬとき、それは生命がその物体として「生きるのを止めた」ときに他なりません。

ここで自然科学が大きく間違うのは「生きる」ことを細胞の反応に求め、生命自体に目を向けないことです。

ちなみに、ある人が死んだ瞬間に医師は「ご臨終です」と告げるでしょうが、しかしながら科学的には細胞はまだ生きていますよ。これが自然科学はまだ生命を十分には理解できていない部分です。

しかし確かに言えることは、変化が完全にないとすれば、それは死の世界しかありません。

変化を恐れることは何もありません。

明日が良い日でありますように。