ラピスラズリ・導き・チャンス・2019年4月3日

ラピスラズリ
ラピスラズリ(Lapis-lazuli)

ラピスラズリ・導き・チャンス・2019年4月3日

ラピスラズリが出ています。

ラピスラズリに求めるのは「導き・チャンス」。

ラピスラズリは基本的に守護系のストーンですね。

一般的に言われる運気アップの働きは、もともとが悪因縁を断つということに関連しそうです。

それから、隠れた働きとしては癒し系もあり。むしろ古くからの言い伝えでは癒し系が強いです。

また今回取り上げた「導き・チャンス」の意味として「思考力の刺激」が挙げられます。

ラピスラズリは運気や能力に対してのかなりな万能ストーンと言えそうです。

カード:カップのエース

いやー、前回と同じカードです。愛情系の最上級。

喜びに満ちていて言うことなし・・・

良い出会い、成就、問題の解決などなど、すべての物事の良い進展を表します。

ただ、アドバイスがあるとすれば、身の回りのささやかなことにも愛情を注ぎ、見返りや結果を求めずに育むことの大切さを知りましょう。

ストーンとしてはラピスラズリの「導き・チャンス」を選択しましたが、小さなことにでも気づいて愛情を持って接することを求めています。

「責任」と所有性

さてさて、まだ「責任」に関して続きます。

前回は責任と管理能力について書きました。

そして今回は「責任–管理能力–所有性」です。

そのことが管理する(できる)つもりがなければそれについてその人は所有性はありません。

ゴミについて管理するつもりがない、すなわち責任を負えないならゴミ屋敷が出来上がります。そこの住人はゴミに対してですら所有性がありません。所有していないから手が出せないのです。

(ゴミ屋敷の住人が、なぜゴミを捨てられないのか今までにも様々な書き方で説明してきました)

このように責任と所有性は切っても切れない関係にあります。

ですので、お金にあかして様々な物体を買って持っているとしても実際の所有性とは関係がありません。ゴミ屋敷のゴミと同じく、ただそこにあるだけです。

最後に書きますが、責任とはもともと簡単なことなのです。

「それならば、それは私がやろう」これだけです。

ゴミ屋敷の住人は、ゴミに関して「それではそれを捨てに行こう」とさえ思えないほどに責任を放棄し、所有性を下げているわけです。

これを感情のレベルに当てはめれば最下位の「無気力」となります。

少し前に書きました「暑いのに窓を開けられない学生」のこと。これって「無気力」でしょ。窓を開けることを人に尋ねて賛同を得ようとしません。

ね、そこの教室についての所有性がゼロですよね。

明日が良い日でありますように。

マンガンカルサイト・喜びを分かち合おう・2019年4月2日

マンガンカルサイト(Manganese-calcite)
マンガンカルサイト(Manganese-calcite)

マンガンカルサイト・喜びを分かち合おう・2019年4月2日

マンガンカルサイトが出ています。

マンガンカルサイトに求めるのは「分かち合いの心」。

マンガンカルサイトは基本的に癒し系のストーンですね。

ですが、このストーンは自分が癒されるだけでなく、自分から他の人への癒しを促すように働くのが特徴です。

さて、このときの癒しのエネルギーが出るのはあなたの「左手」から。

これを覚えておいてください。

カード:カップのエース

またまた良いカードが出ています。

愛情系としては最上級クラス。なんでここのところ良いカードが多いのでしょう?!

愛情系、これには明らかに恋愛系を含んで良い兆候です。

運命的な出会いがあるかもしれませんし、これまで育んできた愛情が実を結ぶことになりそうです。

また、一般的な人間関係において悩んでいたとすれば、何らかの解決を見る可能性大。

他にも、様々なことが良い形で進んでいくことを暗示しています。

そしてきっと大きな喜びが得られることでしょう。この喜びを大いに分かち合ってください。

そうすることでなお、その喜びが深く大きくなることでしょう。

「責任」の訓練

責任を負えない人が増えている話の続きです。

(責任を負えない人=起因に立たない人)

なぜそういう人が増えるか?

これ、単純に教育があります。

子供からあらゆる管理ごとを取り上げた結果が関係します。

皿洗いのお手伝いをしようとする子供からそれを取り上げる。

(邪魔なのでやらせない)

これはシンプルな例。

あらゆる管理を全て取り上げるわけです。

上の例ではお手伝いを通じて「皿を割ってはいけない」という責任を負うチャンスを逃します。

おもちゃの片付けを親がする。

これもおもちゃの管理という責任を取り上げます。

学校では横並びになって突出したことをしてはいけないと教えられます。

それでは誰も起因になど立ちませんよね。

ですので、家庭では子供に何でもさせて、管理責任を与えなければなりません。

その子が管理に失敗したら、それは自動的に自分自身がその結果の責任を負いますから、さらにダメ押しで叱る必要はありません。

管理に失敗した原因を教えれば良いのです。

することと、そにれ伴う責任を与えること。

これをあまりにしないばかりに、責任を負うことの意味がわからない状態になるようです。

ちなみに、管理能力表す3つの要件の関係は以下の通りですね。

知識・責任・コントロールの三角形
知識・責任・コントロール

明日が良い日でありますように。

アンバー・安らぎと満足・2019年4月1日

アンバー(Amber)
アンバー(Amber)

アンバー・安らぎと満足・2019年4月1日

アンバーが出ています。

アンバーに求めるのは「安らぎ・満足感」。

典型的に癒し系ストーンですね。

不安、焦燥感、絶望感に囚われてしまった心に関して良い働きをします。いわゆるマイナス感情の除去系。

それから、難しい人間関係を抱えているときにも有用。多少のギクシャクがあったとしてもマイペースを崩さないのです。

カード:ペンタクルの10

うわ、これは良いカード。最上級クラス。

それにしても「本当ですかぁ〜」というほどの。

実は、パワーストーンとしてアンバーを取り上げましたが、もういらないと思えるほど。

非常に実質的に健全で満ち足りた状態を示しています。表面的な成功でなく、これから将来に渡って堅調な状況です。

周囲からの信頼も厚く、さらなるポジションアップもありうるでしょう。

物質的にも恵まれた状態で、地に足をつけることから住宅系での成功や安定もあり。

長い間の望みが叶い、これまでの努力や活動が実ることを実感できそうです。

そうして本当に安らぎと満足感が得られそう。

また、新しい家族が増えるなどの広がりがあるかも。

「責任」の逸話

さてさて、ここのところの話題「責任」について面白い話がありましたので紹介しましょう。

ある大学での出来事。(そこの講師の体験談)

真夏の暑い日、その大学ではこともあろうかクーラーが故障しました。

誰かが教室の窓を開けるだろう・・・と普通思いますよね。

ところが講師が教室へ行ってみると、クーラーが効かないままの部屋で窓が開いていないのです。

「あれ?窓を開けないの?暑いだろ・・」

数十人はいるクラスで誰一人窓を開けようとしないのです。

不思議ですよね。

「こんなに暑いのになぜ窓を開けないのか?」講師が一人の生徒に尋ねると・・・

「僕が開けていいんですかね?・・・」

という返答です。

多分、他の誰に尋ねても同じような答えでしょう。

(または、本音で言うと、誰かが開けるのを待っているのでしょう)

これ、誰も自分が起因に立って責任を負おうとしない状態。

責任と言ったって、単に窓を開けるということなんですよ。

「暑いよねえ、窓を開けようか?ねえ、開けるよ!」と言いながら窓を開ければいいだけなんです。

しかし、これができない人がどんどん製造されている様子。

これね、ことによっては自分自身に対してだって同じように責任を負えない状況ですよ。

だってあの真夏の教室で、暑いのでしょ。その暑いことを自分のために何とかしなきゃいけないのに、それを放棄していますよ。

このような状況、世の中にたくさんあると思いませんか?

最低限、少なくとも自分には責任を負いましょう。

明日が良い日でありますように。

グリーンフローライト・緩めてリスタート・2019年3月29日

グリーンフローライト(Green-fluorite)
グリーンフローライト(Green-fluorite)

グリーンフローライト・緩めてリスタート・2019年3月29日

グリーンフローライトが出ています。(意味辞典に未記載)

グリーンフローライトに求めるのは「視点の変更」。

グリーンフローライトは「学びの石」ですが、その結果として多面的な視点を持つことができるようになるわけです。

また逆に多面的な考えを持とうと思えるようになることから学ぶこともできるわけですね。

その根本にあるのは、意識がクリアになり冷静に物事を見ることができるようになることです。

カード:ワンドの10

良し悪しよりもアドバイス色が強いカード。

絵的には男が10本のワンド(杖か槍のような棒ですね)を抱えて呆然とした感じ。

そうです「抱え込んで」いるかもです。

目標は達成できたのかもしれませんが、果たしてそれで何を得たのだろうか?と悩んでいる感じがあるかも。

そして得たことに対しての重圧が今なおのしかかっている状態も。

元々が、やる気を出して責任を全うした結果なのですが、緊張状態が続きお疲れ気味なこともありでしょうか。

ここはちょっと視点を変えてリラックスしてみましょう。

同じことでも受け取り方でいかようにも変わります。

休憩を入れることで視点を変え、再スタートいたしましょう。

「責任」少し深掘り

このコラムでは何度となく「責任」という言葉が出てきますよね。

もしかしたら人によっては「責任」が重苦しく嫌な単語に思われかもしれませんよね。

実際、世の中で「責任」という単語は何か不祥事を起こした個人や組織の誰かが「責任をとって辞める」といった使われ方多いです。

「責任をとって辞める」はその人にその持ち場を任せておくわけにはいかない、さもないとその業務に支障をきたすということはあるでしょう。

そしてそれとは別に「懲罰的な引責辞任」があります。

そこで、ここで間違ってしまいやすいのは「責任」というのはそれが果たせない時は「罰」をくらうというイメージです。

で、罰をくらうなら最初から責任を負うなんてことはしたくないという感覚がわくことがないでしょうか。

そこで、様々なことに関して責任を負うことを避ける人もいるでしょう。

その代わりに、責任を負わないということはそのことに関して受け身になるということです。

例えば、選挙で投票に行かないという権利放棄は、単なる権利放棄とは違い自分たちの社会に対しての責任を負うことをせず、受け身になる状態です。後から文句を言えません。

そして最終的に人は「自分自身」にさえ責任を負うことをしなくなります。(これって前回のコラムで触れています)

そうするとこれはもう完全受け身ですね。

最後の砦(とりで)である自分自身への責任を放棄してしまっては、確かに自分自身に罰が下ってしまいます。

このメカニズムから逃れる方法はないですね。

この「責任を負える」能力は感情のレベルと連動します。

例えば「怒り」あたりより下にいる人がまともな責任を負うことはありません。(ギリギリで敵対心あたりはまだ許せるか)

それからそもそも責任というのは決して「責め」ではありません。単に自分自身が起因となって物事を動かすことです。

その中には自ら進んで受け身になることまでも含まれます。これと単なる受け身は別物です。

ただ最後に書き添えますが、責任をあまりに重く感じる必要はありません。そもそもが「自らことを起こし、その結果を引き受ける」以外のことではありません。

明日が良い日でありますように。