ガーネット・真実を見ること・ 2018年3月9日
ううむ、今回もまたガーネット。
カードが変わってもストーンが同じということは滅多にないのですが、何せガーネットが出たがって仕方ありません。
またまたちょっと我慢せよと言わんばかりです。
カードとしては「吊られた男」。
これは絵の通り「どうにもならない状況」を表しています・・・が・・・
それと同時に「ジタバタせずにちょっと待て」とか「絶望の中にも光を見出せる」といったことも示唆しているようです。
このカード、ちょっと不思議なデザインです。男が逆さに吊られているわけですが、笑みをたたえているんですよね。
「私は逆さに吊られているが、それがなんだ?」と言わんばかり・・・いや、諦めたのか・・・
そしてガーネットを使う前に大切なことを思い出します。
諦める(あきらめる)ことの考察
「諦める」を辞書で見ると以下の通り。
望んでいたことの実現が不可能であることを認めて,望みを捨てる。断念する。思い切る。「登頂を―・める」
(スーパー大辞林)
しかし元々「諦める」は別な意味を持っています。
「諦」これを「てい」と読みますが、元々の意味は・・・
① あきらかにする。つまびらかにする。「諦観」「諦視」「諦念」
② まこと。真理。テイタイ「真諦」「妙諦」
(スーパー大辞林)
このような意味を持ちます。
そして「諦める」を仏教系のボキャブラリーで見ると、基本的には「諦観(ていかん)」に近い意味で使っています。
「諦観」
① 全体を見通して,事の本質を見きわめること。「時代を―する」
② 悟りあきらめること。超然とした態度をとること。
(スーパー大辞林)
そしてこれを感情のレベルに照らし合わせますと「静穏」となるでしょう。
さて、今回のカードの吊られた男、もしかしたら「静穏」とか「諦観」が見え隠れしていないでしょうか。
吊られている自分の状態を諦観しているわけです。
さて、この「諦める」の元の意味としての「諦観」は「完全な理解」を表しています。
これを超ひらたくいえば「ジタバタせずに、あるがままに見る」とでもなるでしょうか。
あるがままに見ないがために、真実が見えない(見ない)。
「真実が見えない」ということが意味するのは「物事を押し曲げて見ている」ということですよね。
ここで最大限の秘訣があります。
物事を押し曲げて見ている限りは、どんなに頑張ろうがそのことはうまく行かないだろうと予測できます。
ガーネットによって持久力、頑張り力を持ったとしても、真実を見ていないのであれば、その努力は水の泡、または余計に何かまずいことを引っ張ってくることになりそうです。
真実を見ることができていてこそのガーネットですよ。
物事をあるがままに見るには、とにかくそのこととのコミュニケーションです。
理解の三角形が示すように、コミュニケーションがないところに理解はありません。
次回更新は次の日曜日、午後10時頃ですね。
それでは良い週末を!
明日が良い日でありますように。