アンバー・バランスを取ろう・2019年7月5日
アンバーが出ています。
アンバーに求めるのは「バランス」。
(最近のカードに対するストーンはなぜかバランス系が多いです)
さて、アンバーは元々が非常に応用範囲が広いパワーストーン。
(とは言っても鉱物ではありませんが)
意味辞典の記事は本当にごく一部だけを紹介していますが、傾向としては癒し系が根本にある感じ。
心身の状態、感情的なこと、これらが極端に振り切っているとき、アンバーはそれを中庸に戻してくれます。
カード:節制
良いカードでしょう。
超ラッキー!と言う感じではありませんが、うまくやれています。
理想と現実、善と悪、自分と社会、人間と自然、男と女、大人と子供、精神と肉体、などなどこれらはどれも二項対立として考えることがあるようです。
しかし、これらは調和した状態で存在できるはず。
節制のカードはこれらをうまくバランスさせている状態を表します。
むしろ、異なる二つのものから新しいことを生み出せることも示唆しています。
理想ってなんだ?(その2)
前回の記事で「理想の正体」について考えていただきました。
読者の「みき」さんの答えとして「わがまま」。
そして「わがままが通ることが理想」なんですね。
これはあり得ますよね。
それは考えの中にある
ところでじゃあ、理想はどこから来たかと言えば、それは各自の「考え」によって成立しており、絶対的な「理想」ということが存在しているわけではありません。
ただし、一般論として「大きな家」や「社会的な地位」などが理想像として語られることがあります。
しかしこれらは元々が個々人の考えの中にあるのではなく、自分の外に転がっている「理想と言われていること」に自分が同意するかしないか・・・というこれも考えです。
借り物の理想でも、それに同意すればそれは自分がそう考えているわけです。
このように自分自身が想定した理想も、借り物の理想であろうが、それらはみな「自分の考えの中」にあるものです。
理想に近づけずに苦しむこと
ところで、なかなか理想に近づけないと言って苦しむケースがあります。
しかし、よく考えたらこれって少しおかしいことに気づくでしょうか?
そもそもが理想というのは自分の考えで設定していますよ。(自分が作ったゲームです)
となると、自分が考えて(または同意して)設定したことに到達できないと言って自分で自分を責めていることになります。
自分で自分を責める必要がどこにあるでしょうか?
自分が考えて設定したことに、なぜ自分が苦しまねばならないのでしょうか?
理想の押し付け・うっかりした同意
ところで、他にもおかしなことが・・・
誰かに強制的に理想像を与え、それに到達できないからと言って強く人格を否定する人がいます。
人が自由な意思において設定した理想でなく、強制的に同意もなく与える理想像ほど迷惑なことはありませんよ。
「これが理想だ、いう通りにしろ」
これ、教育では蔓延しているように思えます。
押し付けられた理想なんてまっぴらごめんだと思いませんか?
でもね、これは多いのは確かです。
いつの間にか同意させられている理想形というのが確かにあるみたいです。
それができないといって、自分を卑下する必要は全くないことをここに「宣言」いたします。
ただし・・・
一般論の理想という考えの中には、とにかく今をしのぐための知恵としての状態や行いが含まれている場合もあります。
ですので、これを自分の理想との間でバランスを取るのもゲームの内なのでしょう。
バランスというのはいつもゴールを安定的に狙えるツールです。
明日が良い日になりますように。