アメジスト・その正義は正義なのか・2018年11月21日
アメジストが出ています。
アメジストに求めるのは「冷静さ・理性」。
これはもう定番の使い方ですね。アメジストの根本です。どちらかと言えば愛情系よりもこちらで使う方が多いですよ。
むしろ、冷静になるところからダメなカップルがそのまま別れに突入することもありますから、使い方には注意です。これも定番の注意事項。
さて、カードは「正義」。
良し悪しよりもアドバイス色が強いです。
とりあえず、自分自身では正しい行いをしよう、という状態にありますが、その正義が通らずイライラすることがあるかもです。
また、この正義感がちょっと暴発すると「義憤にかられる」という状況にもなりやすいものです。
【義憤】
道義にはずれたことに対して感ずるいきどおり。「―を覚える」
正義を振り回す前に、ちょっと冷静になって全体が丸く収まる考え方がないか、また、相手がうまく正しいと思われる行いをするように工夫できることはないかを考えるのは価値があることでしょう。
究極の善と悪(そして起因と受け身)
実際には究極的、または絶対的な「善」も「悪」もないようです。
この宇宙にある善悪は、すべてが比較の問題であって良さの程度、悪さの程度の差、または見方の差でしかありません。
これまでに皆さんも見たことがあるでしょう。
「私が絶対に正しい!」と主張する人のことを。
その人が主張する正しさは、様々な人が評価をすると様々な結論が生まれることでしょう。
それもあってアメジストを取り上げ、ちょっと冷静に考えてみようよ、としています。
ただ、絶対的な善悪を信じることは誰にとってもその権利はある、と付け加えておきます。
起因と受け身の続き
前述の「善悪」の話に絡め、前回書きました「起因と受け身を逆転させる話」の続きを書きます。
前回は受け身でいるのが嫌なら起因になろう、ということの例を書きましたが、今回は逆に、「起因になるのが嫌なら受け身なる」例を。
「起因になるのが嫌」というのは日常的に探しにくいように錯覚するかもしれませんが、実は結構多いです。「受け身になるのが嫌」なのと同数と考えても良いでしょう。
例えば・・・
あたなが車を運転していて赤信号なら止まりますよね。
これってすなわち事故を起こすという「起因」になるのは嫌ですから、赤信号を受け入れる、という受け身になっている状態ですよ。
まあ実際にはルールを守るというのは何かの起因にならないようにルールの受け身になるということですけどね。
しかし、信号を無視して赤信号で道を渡ろうとする歩行者がいた場合にはどうしましょう?
青信号で交差点に差し掛かったあなたは、やはりブレーキをかけて事故を防ぐのではないでしょうか?これはルールではなく、自分自身の考えです。
人を跳ねることの起因になりたくはなく、ブレーキを踏まされる、という受け身になっていますよね。
このとき、どんな作用が働いているかと言えば、運転者である自分自身が、歩行者の立場になってみるということをしています。「まんまだと大怪我するよ」と思うわけです。
ここまでは「起因になるのが嫌なので受け身になる」という話です。
もしこの場面で起因と受け身の入れ替わりを起こさないと、とりあえず人を跳ねることになったかもです。
さてさて、今度は善悪についてこの場面を借りて考えてみます。
その、信号無視をしていた歩行者がお年寄りだったとしましょう。
その老人は青信号で道を渡り始めたかもしれませんが、渡りきれずに信号が変わってしまった、ということもあり得ます。
まあ、これは結果的にルールに沿うことに失敗していますが、これをむやみに責め立てることにそんなに価値はないでしょう。
人には過失もあれば、「仕方がないなあ」ということもあります。
で、車の運転手が「自分の方は青信号で突入したまでであって、そこに人がいるかどうかは知ったことではない」と言い出すのもどうかしていますよね。
「善悪に絶対はない」です。そして、起因と受け身を軽々と入れ替えてみたら、その瞬間に善悪判断の基準が逆転したり・・・
起因と受け身を容易に変えられる感覚が、より全体として生存的な結論が出せそうですよ。
それには冷静でいることです。だからアメジストをお勧めします。
明日が良い日でありますように。