ターコイズ・自由にスタートできる・2018年10月23日
ターコイズが出ています。
ターコイズに求めるのは「自由な表現」。ううむ一週間前と同じだ・・・
やっぱり今回も同じ働きとしてターコイズを使います。
もともと発想と表現は自由であるはず。
既成の考えに囚われず、自分が本当に信じること、やりたいことに取り組める柔軟さを得ましょう。
誰かの評価でなく、自分で自分を評価しましょう。
スタートするかどうか、それを自分で決めましょう。
そしてターコイズはその旅のお守りにもなってくれますよ。
さて、カードは「愚者」。
うわー、一週間ほど前にも出ましたね。またまたゼロスタートでしょうか?
と言うよりも、愚者が示す内容としては今の状態にあまり満足はしていない感じが。
しかしながらその状態を打開する気分でもなく、現状に甘んじていようかなと消極的なことがないでしょうか?
もしかしたら単に勇気がないだけのことかもですよ。
さてさて、カードの意味としての根本は数字で言うと「0」これは「無」ですね。
「無」についての考察
前回のコラムで、駅伝のレースで膝を擦りむきながらはってタスキを渡した選手のことを書きました。(その選手は足を骨折していたようです)
後の情報ではチーム監督がすぐにレースの中止を申し出ていたそうですが、大会関係者の方で情報伝達が遅れていたことによってレーズ続行してしまったようです。
ですよね、棄権が正しい選択だと思います。今回の件から、試合中の情報伝達について是正しようという働きが起こっていると聞きました。これはこれで良い方向へ行くようです。
以上、前回の話題に少し触れておきました。
さて、今回のカード「愚者」についてその根本は「無」であると。
実はこの「無」が曲者(くせもの)で、多くの人が苦手とするのが「無」のようです。
例えば「無」を想像することはそこそこに困難があるでしょう。
これって「何も考えないようにする」ということと同じですね。何も考えないようにしようと思うと「何も考えない」ということを考えてしまいますから。
これは座禅を組む人はできるのかもしれません。「無の境地」です。
「無」に感じる恐怖
この「無の想像」や「無の境地になること」が困難なことについて、その理由として多くの人が根本的に「無」が怖いという話があります。シンプルに怖がったり嫌がったりする人は確かにいますよ。
うっかりすると自分自身がそこからなくなるような感覚があるのでしょうか?
実際にはそれよりむしろ、ずっと昔から「何々であらねばならない」という固定観念にとらわれており、「無」でいることができなくなっているという話もあります。
また「何々であらねばならない」と教育されることもあるでしょう。
自分が何者であるかを決定しなければならないのがこの地球上での習わしであり、そうでないなら存在は不可能と思えますよね。
なので今更「無になれ」と言われても、そのやり方がわからないということがありげです。
そして人によっては「無」が怖いという話が確かにあるようです。普通のことですからあまり気にしないでおいてください。
「無」によるリラックス
ところが実際には、この「無でいてはならない」というのはなかなか骨の折れる作業のようで、無の想像や座禅で「無」ができるようになると、それはかなり深いリラクゼーション効果が発揮されるようです。
思いますに、人はもともと「無」であって、「無以外の○○であらねばならない」というのは後付けではなかろうかと。
筆者もちょっと「無でいる」ことに少し取り組んでみたのですが、なるほどもしかしたらリラックスするなと。
座禅が精神衛生に良いと言われるのはこのことなのか、と思った次第です。
明日が良い日でありますように。