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スギライト・直感を信じよう・ 2018年7月13日

スギライト(Sugilite)
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スギライト・直感を信じよう・ 2018年7月13日

スギライトが出ています。

スギライトに求めるのは「神経質にならないこと」。

もうお馴染みの三大癒やしストーンのひとつですね。

ただし今回は癒し系に加えて「センスを豊かにする」ことにも関連して使いたいところ。

そこでまずはカードとして「女教皇」が出ています。

このカードが示唆するのは「直感やインスピレーションに従え」です。

現状では問題の解決や、方向性の決定で迷いがあるなら、考えるよりも直感に従う方が良さげ。

そうして見た時、もしかしたらあまり思い通りに進まないことがあるかもしれませんが、それでもどうやら最終的にはあなたが願っている方向に終着しそうですよ。

で、その間に「あれはこれで良かったのだろうか」とか「このインスピレーションは正解か?」とか考え、悩むことは良くありません。

なのでここでスギライトの癒し系の働きの出番となるわけです。言われのない不安など吸い取ってもらいます。

その上にスギライトは、傾向として第六のセンス刺激系ですから、インスピレーションといった、五感を超えたところの感覚をちょっと鋭くすることに期待したいのです。

やっぱり見ること

ここしばらくのコラムの内容を極度に集約しますと・・・

「考える前にとにかく見ろや!」です。

これを他に色々と言い換えると以下のようになるかもです。

「見てから考えろ」
「見てないなら単なる想像じゃん」

でまあ、見られない理由は感情のレベルとして「恐怖」あたりにある場合ですね。

怖いから見られません。

ところが・・・

今回のスギライトのように第六感刺激系が好きな人がいます。

五感以外のセンスを持ちたいわけですね。

でも普通「それはやめときなさい」と言いたいです。

というのは、第六感が欲しい人のいくらかは、先にある五感を使って見ることが「できない」(すなわち怖い)ので第六感を欲しがる傾向にあるように思われるからです。

「五感の方でしっかり見られない人が、六番目の感覚で何を見るん?」です。

そして今回のカード「女教皇」ですが、直感やインスピレーションに従うべき、と言っても、それが怖くてできないケースも多々あります。

直感的にそう感じた(要するに見ることと同義)としてもそれが怖いこと、嫌なことなら、それをなかったことにしたいでしょう。

そこでスギライトで少しでも和らげましょうということです。

でも元々の最大な要点は「しっかり見ること」に他なりません。

そして、ややこしいゴリ押しをしておきますと、「見ること」はすなわち対象に対するコミュニケーションです。

で、見た何かが大層に衝撃的で受け入れられないとき、人は卒倒して気を失ったり。これコミュニケーションの断絶。

さて、あっという間に今週最後のアップになりました。

次回はまた次の日曜の夜になります。

↑間違い!

あ、16日(月)は休日ですね。次の更新は16日((月)となります。

それでは良い週末を!

明日が良い日でありますように。

スギライト・ちょっと休憩・ 2018年6月12日

スギライト(Sugilite)
スギライト(Sugilite)

スギライト・ちょっと休憩・ 2018年6月12日

スギライトが出ています。

スギライトに求めるのはもうシンプルに癒し系です。

何度も出てくる「三大癒しストーン」のひとつですね。

そして特に今回スギライトで行いたいのは「リラックス」です。スギライトは人それぞれに最適な癒しを発揮するという性質があり、大変使いやすいストーンですね。

さて、カードは「ワンドの王」。まずますよしです。

理想に向かって突き進んでいる状態を意味しています。

ことによっては孤軍奮闘で、現在は周りに理解者が少ないかもしれません。

しかし、理想をあきらめてしまわない限り、実現する時を迎えます。

ただし、この突っ走る状態が続いているために、今少し休憩を入れても良いかもです。

少しのリフレッシュがあれば、さらに良いアイディアがひらめくこともまりますよ。

このリフレッシュのために今回のストーンはスギライトを取り上げました。

義母の転倒、そしておまじない

今回もそこそこ良いカードなのでコラムはちょっと脱線です。

先日、筆者の義母が屋上で洗濯物を干しているとき、後ろ向きにうっかり転倒しました。

ちょっと高い位置にある物干し竿にグーっと手を伸ばしたらそのまま後ろ向きに転び、肘と腰を強打。転倒してしばらくは床に横たわったまま動けなかったそう。

年齢が年齢だけに、すぐに病院へ連れて行った結果、大事には至らずでした。

ところで、怪我をしたとき、それから回復しやすくする「おまじない」があります。

それは、「怪我をした状況をできる限り正確に再現してみること」です。

包丁で指を切ったとしたら、実際にそういうポーズ、動作をするわけです。

これをしますと、怪我の場所が痛み出すかもしれません。もしそうなったら、何度もその動作を繰り返します。(そのうちに痛みは引きます)

このときの痛みはまったくの「ウソ」、単なる反応ですから気にする必要はありません。

そうして怪我の瞬間の動作を繰り返しているうち、出てきた痛みは消え、なんだかバカバカしく思えたら「おまじない」終了。

これ、怪我の治りが早くなりますよ。

転倒した義母、もちろんこのおまじないをしてもらいました。

明日が良い日でありますように。

スギライト・ここいらでちょっと休憩・ 2018年3月29日

 

スギライト(Sugilite)
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スギライト・ここいらでちょっと休憩・ 2018年3月29日

スギライトです。ズバリ癒し系。

ここいらで「ちょっと休もうぜ」です。

前回はカードとして「太陽」で将来は超明るい運びとなっているはず。

そして今回のカードは「カップの6」として「癒し」です。

まあまあ慌てずに、きっとうまく行くのだからちょっと癒しなよ・・でしょう。

ただしこのカード、判定が難しい感じ。数字の6それ自体は調和やバランスを表しており、良い兆候ではあります。

そして先へ進もうとするなら、過去の古傷を治してしまおうということのようです。

そこで癒し名人のスギライトをピックアップしています。

「古傷」の本当のありか

どんな古傷(心のですね)があろうと、それに触ることがなければ何も問題が起きません。

しかし現実の生活においては、好むと好まざるに関わらず、どうしても古傷に触れてしまうことがあり、そこで反応が起きます。

ことによってはいわゆるPTSDのようなことが起こるでしょう。

例えば、車による交通事故に関係する古傷であれば、車が一切目に入らないところに退避すると反応は起きませんが、実生活ではそうは行かないわけです。

さて、この古傷を本気で治そうとするなら、その傷をきっちり見るしかないようです。普通、見たくない傷は治りません。

ただしここでちょっとコツがあります。

例えば前述の「交通事故」が心の傷としてあると思うなら、より以前にそれに似た出来事がないかを探すことです。

車、交通事故、何か肉体的な衝撃、その時の感情として似ている場面、これらのことでさらに過去に起きた出来事を探してください。

もっと幼い頃の出来事、人によってはお母さんのお腹の中での出来事になるかも知れません。

妊娠しているお母さんが階段を踏み外したときの衝撃、こんなことが交通事故と似ているかも知れませんよ。

ある古傷(心の)が傷んでいる、と感じる時、実は根本の原因は思っているよりももっと古い似た出来事にあることがほとんどですよ。

これらの似た出来事が連鎖して反応し、現在に至るようにできています。

そして、人によってはこの記憶をたどると「前世」の記憶に達してしまうことがあるようですが、変だと思うことはよしましょう。その人にとってはそうとしか言えないのです。

さてさて、そこでスギライトは古い古い傷に作用することが得意なようです。これについてはパワーストーン各種あれどかなり最上クラスの癒し。

そして、癒すだけでなく「出来事に対する耐性をアップする」という働きがあります。このあたり、スギライトでは今まであまり取り上げなかった作用かも。

最後になりますが、本当の意味で癒したいなら、それに触るしかありません。フタをするのは癒しになりません。それはフタです。

明日が良い日でありますように。

スギライト・素直に休もう・ 2018年2月20日

スギライト(Sugilite)
スギライト(Sugilite)

スギライト・素直に休もう・ 2018年2月20日

もう休み!休みです。カードはそう言っていますっ!

「ソードの4」

前回は何せとびっきりの完成系カード「世界」ですからねえ。そこに到達するにはかなりの頑張りが必要だったことでしょう。

そしてソードの4で「休みにしなよ」と言っているようです。

これまでの努力でボロボロになった心と体を癒してください。

そこでパワーストーンはもう典型的な癒し系としてスギライトを紹介。

スギライトはどちらかと言えば「心に働く系」ですね。

まあ、だいたい癒しを必要とするのは「心」であって、精神は思いのほか丈夫にできていますよ。

努力はいつも過程のこと、オリンピックに思うこと

今回はお休みですから、単によもやま話といたします。

前回のカード「世界」で努力が完全に報われる、との暗示を得ました。

そう「努力」ですよね。

「努力」は尊いようですが、何かを成そうと思えば当然必要になるアクションです。

当然必要ですから、それが尊いかどうかなんて本当は関係ないかもしれません。

でも「強いられる努力」と言うのはメンタル面に悪影響があることはどなたもお分かりと思います。

ただ、メンタル面というと一般的に「精神面」と訳したいところですが、実際に悪影響が出ているのは精神でなく「心」の方。(そしてアスリートなどは肉体です)

文字通り「心が折れそうになる」というのは精神ではなくてそれが「心」だということを示唆する表現でしょう。

さて、平昌オリンピックの最中ですので「努力」をアスリートたちを例に考察します。

彼らがしている努力は「肉体の自動化」が主たることになりそうです。タイムや演技に関して、それが思うように、むしろ自動的にこなせるようにすることが努力です。

これは精神が物質宇宙に対して何かを働きかける、ということに他なりません。

これを少し拡大して言えば「精神による物質宇宙の征服」です。

体を思う通りに動かせる、走らせる、コントロールする。これは物質宇宙の征服です。これを彼らはオリンピックと言うルールの元で行なっているわけですね。

これに関してはもう単純に、的確に自分にとって必要な努力を必要な分だけやった者勝ちと言う世界です。

そして、戦い合うのは同じ人間(物体として同じ程度の生物、物理的特性を持つ)ですから、トップクラスはその出来上がりとしてほとんど僅差でしかありません。スピード系競技など1/100秒の差です。

感情のレベル 参考資料

さて、それを見た私たちは彼らの努力に対して「よく頑張った!」と称賛しこそすれ、「大変だったねえ」と同情する必要はありません。

感情のレベルを落としてはなりません。

彼らのレース中、そして演技中、その精神状態はほとんど熱狂を通り超した部分、「静穏」にあります。

「静穏」は心の状態と言うよりむしろ「精神状態」に当てはまります。

トップアスリートたちは明らかにこの状態で戦っているようですよ。

「勝てなかったらどうしよう」とかと心配しているうちにはメダル候補には入らないことでしょう。

彼らは物質宇宙を征服するために努力を重ね、そして静穏の状態で戦っている・・・どのくらい静穏でいられるか、で、努力の結果をどれくらい出せるかが決まる。

そのように思えます。

明日が良い日でありますように。