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カーネリアン・チャージして出直し・ 2018年8月1日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・チャージして出直し・ 2018年8月1日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに期待するのは「元気・気力のチャージ」。

意味辞典の方では取り上げていない働きですね。

そして元々が複雑な働き方をするのがカーネリアンです。

今回は「気力のチャージ」として、どちらかと言うとお尻を叩いてとにかく前進させてくれることを望みたいわけです。

また、がっかりてやる気がないとき、気を取り直して計画し直し、それを実行できるようにサポートしてくれるところは心強いですよ。

さて、カードは「節制/リバース」。

ううむ、これって前回に比べて急転直下に具合が悪いです。

不安や不満足な気持ちを表していますね。これは人間関係は金銭的なトラブルが起こる暗示も。

それから疲れ切っていて、ことがうまく運べず無駄にエネルギーを浪費していることも。

ここはエネルギーチャージをして、計画を立て直し、そしてそれを実行に移すしかありません。

ささ、乗り切ってしまいましょう。人生にはある程度は必ず波乱があるもの。

具合が悪いときにそれを乗り切ることで、もっと知恵を付け、そしてサバイバルする能力を得ようではありませんか。

それから、元はと言えば「節制」を欠いた行動が元になって今回のカードを呼んでいる感じもありですよ。気をつけましょう。

自己否定の罠

何かに失敗した後、最大限に悪い影響を与えるのは「自己否定」をすることです。

今回のカード「節制/リバース」ではある意味で窮地に追い込まれることがあるかもしれませんが、それを乗り切る第一の方策は自己否定をしないこと。

そもそも「自分が何者であるかを決めるのは自分自身以外になく」そこで自分で自分を否定するのは非常に感情のレベルが低い状態であらゆる能力が低下します。(身体機能まで低下しますよ)

と、ここで「自分が何者であるかを決めるのは自分自身以外になく」というところ
が大切。

世の中ではこれが逆になっていることが多いのです。(これ、よく観察してみてください)

自分がどんな人間であるのかを、人の目から見たことに委ねることによって、自己否定はもっと簡単にできるようになります。

しかしながら、自分が何者か、どんな人間かを人に委ねることは、大きな責任転嫁と言えます。

だって、自分が何者かを人に決めてもらおうとしていますから。

こうなると、自分が自分に対して責任を負えません。感情のレベルとしては「秘めた敵意」より下側でしょう。

何をするにも、もっとも楽なのは、自分が何者であるかを自己決定することです。

あ、これは少し前に書きました「自分の人生を生きよう」と同義ですね。

これ、できているつもりでなかなかできません。本人も気づいていないことは多々あります。

まるで催眠術にでもかかってでもいるように、他人に任せていることは少なくありません。

この度合いを自分自身で観察することは難しいでしょう。

とりあえずひとつのコツを記せば・・・

「過去に自己否定があったなら、それはどんなときだったのか?」

を自力でほじくりだしてみることかもです。どんな場面で、なぜそう感じたのか?(もちろん複数の例が出てくることでしょう)

そして「ううむ、あれは変だ」と感じたらかなりな成功です。(自力でやるにはかなりキツイものがありそうですが)

実は、カーネリアンはこの作業をするにも良い働きを持っていると言えますね。「真実を見る」これもカーネリアンの働きのうちです。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・再生のとき・ 2018年7月25日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・再生のとき・ 2018年7月25日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに期待するのは「再生・復活」。この辺り、意味辞典の方では触れていません。

実はカーネリアンは「悟りの石」という別名を持っています。

これ、真実を見極める能力のことですね。

このことは少し前からコラムでよく触れている「考える前に見よ」に近いです。

人は考え始めると真実から遠ざかる傾向にありです。これは対外的なことだけでなく、自分の内面に関しても同じこと。

「考える前に見よ」、これをもう極端に身近な言い方をすれば・・・

「百聞は一見にしかず」ですね。

しかしながら、人は単に見るということがなかなかできません。ときとして「先入観」を持つことも多いですよね。

先入観というのは、百聞とか、そして考えという部類のものですよね。

そして、カーネリアンが言わんとする「再生・復活」ですが、これは先入観(考え)なしに見ることができてやっとこさできます。

だって、きっちり見ることができないと、その対象の実態が不明ですから再生なんてあり得ないでしょ。

何か問題を抱えているとしても、その問題をまっすぐに見られないなら、解決のしようなどありませんから。むしろ間違ったことをしてしまうかもですよ。

ちなみに、カーネリアンが目指すのは、感情のレベルで言えば「強い興味」から上、願わくば「静穏」です。

さて、カードは「審判」。

カーネリアンにかけた願いそのまままに「再生・復活」を意味しています。

そして人生の新しいスタートとも言えます。

大変大きな意識改革のときが巡ってきているようですよ。

これはもしかすると大きな困難のさなかから現れることもあり、絶望のどん底にいたとしても、そこからきっと這い上がれることも表します。

ただし、これは本人が自ら覚醒することが必要です。

これが難しい。

感情のレベルが低い状態でのエネルギーの振る舞い

さてさて、今回はエネルギーが悪さをする話を記しておきましょう。

エネルギーが悪さをするのは感情のレベルが低いときに起こります。

低い感情のレベルだけ下に列挙しておきましょう。

  • 敵対心
  • 怒り
  • 秘めた敵意
  • 同情
  • 悲しみ
  • 無気力

まず最低の「無気力」では、エネルギーは物体として凝縮します。

無気力な人はほとんど「物体」です。無反応ですし、自分からアクションを起こせません。

「悲しみ」にいる人も、程度の差こそあれ物体としてエネルギーが凝縮気味。

「秘めた敵意」「恐れ」あたりでエネルギーはどのような状態だと思いますか?

無気力のようには凝縮していないにせよ、そのエネルギーをじっと抱えて押さえ込んでる感じがわかるでしょうか。

クレクレ君になると人からエネルギーを吸い取ってでさえ抱え込みたいと思っています。

このように、レベルが下にあるほどに、エネルギーは抱え込まれて凝縮し物体化しやすいです。(もちろん、怒り以下のレベルでは自分でエネルギーをコントロールできていません。敵対心は幾らかのコントロールがなされているでしょう)

で、コントロールなしに溜め込まれ、凝縮されたエネルギーは病気の元になりやすいようです。

「笑い」が免疫力を高めることがわかっていますが、実はそれは笑うことによって感情のレベルが高まっていることに他なりません。

かなりな大笑いをした後、心から何か「シコリ」のようなものが抜けた感覚がしませんか?肉体的にも身軽になった感じがしませんか?

大笑いした後は、しばらくの間は身も心もスッキリ感があるでしょ。

これって、凝縮されていたエネルギーがある程度は解放されていることのようですよ。

ノーコントロール状態でエネルギーを溜め込むと、それが体の各所に悪さをするようです。

具体的な形になるといわゆるガンのようなことにもなり、オートマチックに働くはずの神経系に働けば様々な調整機能が失われます。これだとどんな病気にさえなる可能性ありです。元々が外的要因であるウイルス等、汚染物質等に対する防御力も落ちるでしょう。

(ちなみに、医学以外の方法で病気を治癒をする例が確かにあるようです。それは実はこの凝縮したエネルギーに触っている感じありです。)

こうして感情のレベルとエネルギーの関係を見てきましたが、要点としては「感情のレベル」は高く維持されるべきだということ、これにつきます。

心身ともに健康でいたければ、感情のレベルの高いところにいよう、です。
(ね、その方が生存性高いでしょ)

感情のレベルが低くて良いことは何もありません。最後には肉体的にも必ずダメージが来ます。

しかし、人生の中では悲しい出来事に遭遇することもあるでしょう。それでも気を取り直して少しでも上の感情のレベルにいることが生き延びるために重要です。

そして人の感情のレベルを下げたりしないことも、自分の感情のレベルを維持するのに大切です。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・一段と成長しよう・ 2018年7月3日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・一段と成長しよう・ 2018年7月3日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「悲観的な発想を修正すること」「やる気を奮い立たせる」です。

これらの働きの全体像としては「自己の力を十分に発揮できるようサポートする」こととなります。

カーネリアンの「悲観的な発想を修正する」働きは、マイナス感情を抑制する働きから来ることです。ですから、イライラしたり、敵対的になったりと、感情のレベルが低くならないように支えてくれるわけですね。

さて、カードは「ペンタクルの3」。

まずまず良いカードですね。

経済面、仕事などの問題は解消する方向にあり、その上にビジネス面では評価が上がる兆候。

現状として「そんなことがあるだろうか?これまでにして来たことはほとんど何の役にも立っていないぞ」と思うことがあれば、そんな思いはすぐにやめましょう。

自分自身で気づかないでも、過去に積み重ねてきたことが時間を置いて実を結ぶことになりそうです。

もう少し時間はかかるかもしれませんが、良い方向には向かっているので、今のスキルにさらに磨きをかけて準備しましょう。

「あんな努力はムダだった」と思わずにいてください。カーネリアンを使ってマイナス感情を抑え、やる気を奮い立たせましょう。

ゲームと問題

今回は、前回のカードのちょっとガマンの甲斐があってか良い兆候。

そこで本コラムもちょっと脱線。(しながら復習も)

それぞれの人にはそれぞれに仕事や趣味を通じて「ゲーム」をしています。人生はゲームそのものでできています。

ゲームというのは「目的と障害」からできていて、障害はすなわち「問題」といわれる物です。

誰しも問題や障害を嫌いますが、実はそれがないとゲームそのものが成立しません。

障害がないゲームはゲームとは呼べず、それは単に「退屈な何か」です。

そして人はゲームがないと「退屈で死にそうだ」と思いますが、本当に死ぬわけにはいきませんから、とりあえず何らかのゲームを作ります。

ここで、大切になるのが本質的な教養と呼べるものです。

一応、今書いている「教養」の意味を再確認しておきますと・・

社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「―を身につける」

(スーパー大辞林)

この教養がないと、ロクなゲームを設定できない傾向が強まります。(小人閑居し不善を為す、とうこと)

教養というのは多くのゲームと、そのルールを知り、または自分で良いゲームとそのルールを設定できるための知識、そのボキャブラリーということができます。

だから、自分の人生のために様々なことを勉強するべきだとされるわけです。

ただし、この教養は学歴、職歴は関係なく、実質的には最終的な倫理観によってそれが良いゲームとなるか、それを選択するかどうかが決定されそう。

高学歴であれば、良いゲームができるはず、と思うのは間違いです。

例えば!

国会の中で繰り広げられているのもゲームです。立法という目的のためにゲームをしています。

が、そこでゲームをしている人たちの一部が無教養(低倫理)なためにどんなことが起こっているか?

これはここに書くまでもなさそうです。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・正直に立ち向かおう・ 2018年5月10日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・正直に立ち向かおう・ 2018年5月10日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに望むことをひと口に表現すると「立ち向かうこと」。

カードは「力(ちから)/リバース」と出ています。

どちらかと言えば「逃げずに努力せよ」というお説教系のカードです。

「力」を出し切れないでいるか、または「力」の使い方を間違っているという状況を表しているようです。

「力」の使い方について深掘りしよう

世の中には「力づく」という言葉があるように、とにかく「力」を使って物事を解決しようとすることがあります。

これ、早い話が暴力です。

そしてさらにこれがコントロールされていないとしたら、かなりまずいことなのは言うまでもありません。

実際に「力の使い方が間違った」というときには、必ず「破壊」という状態が残ります。

ところで、今回のようにパワーストーンとして「努力系」「立ち向かい系」の働きが求められることがあります。

ここで間違ってはいけないのが「努力」とか「立ち向かう」と称して実際には「力ずく」になってしまうこと。

知識や責任が伴わない力の使い方はかなりまずいのです。

この状態の例を挙げようとしたら、それは世の中に事欠きませんよね。

それから、この先はちょっと哲学的な奥義に入りますが、触れておきます。

そもそもが「努力」ということはそんなに上等なことではありません。

物質的な宇宙で、何か目に見える結果を得たいとき、それが「力」を行使する以外になかったときのみ、「努力」の必要性があります。

逆に言えば、「力」は物質的な宇宙に属する何かです。

そして人間は「自分自身は物質だと認める」その度合いに応じて「力の必要性」を感じるようです。

この辺り、かなりわかりにくい話ですね。すみません。

そこで、時々思うのですが、パワーストーンというのは、石そのものとしては明らかに「物質」ですよね。

しかしどうもその働き方というのが「力」ではありません。

もし普通に「力」であったとしたら、何らかの測定が可能だと思われますが、それはできません。

そういう意味ではパワーストーンはパワーを使ったりはしていないようです。なので「パワーストーン」とう命名自体が間違っているかもですが。

さてさて、最後になりますが「力」で何かしようとするのは「大きな罠」にはまっている証拠かもしれません。

その罠とは「自分は物資である」と認めてそれに従うことです。だから努力をしなければならなくなっています。

わかりにくい話で申し訳ございません。

明日が良い日でありますように。