カーネリアン・一段と成長しよう・ 2018年7月3日
カーネリアンが出ています。
カーネリアンに求めるのは「悲観的な発想を修正すること」「やる気を奮い立たせる」です。
これらの働きの全体像としては「自己の力を十分に発揮できるようサポートする」こととなります。
カーネリアンの「悲観的な発想を修正する」働きは、マイナス感情を抑制する働きから来ることです。ですから、イライラしたり、敵対的になったりと、感情のレベルが低くならないように支えてくれるわけですね。
さて、カードは「ペンタクルの3」。
まずまず良いカードですね。
経済面、仕事などの問題は解消する方向にあり、その上にビジネス面では評価が上がる兆候。
現状として「そんなことがあるだろうか?これまでにして来たことはほとんど何の役にも立っていないぞ」と思うことがあれば、そんな思いはすぐにやめましょう。
自分自身で気づかないでも、過去に積み重ねてきたことが時間を置いて実を結ぶことになりそうです。
もう少し時間はかかるかもしれませんが、良い方向には向かっているので、今のスキルにさらに磨きをかけて準備しましょう。
「あんな努力はムダだった」と思わずにいてください。カーネリアンを使ってマイナス感情を抑え、やる気を奮い立たせましょう。
ゲームと問題
今回は、前回のカードのちょっとガマンの甲斐があってか良い兆候。
そこで本コラムもちょっと脱線。(しながら復習も)
それぞれの人にはそれぞれに仕事や趣味を通じて「ゲーム」をしています。人生はゲームそのものでできています。
ゲームというのは「目的と障害」からできていて、障害はすなわち「問題」といわれる物です。
誰しも問題や障害を嫌いますが、実はそれがないとゲームそのものが成立しません。
障害がないゲームはゲームとは呼べず、それは単に「退屈な何か」です。
そして人はゲームがないと「退屈で死にそうだ」と思いますが、本当に死ぬわけにはいきませんから、とりあえず何らかのゲームを作ります。
ここで、大切になるのが本質的な教養と呼べるものです。
一応、今書いている「教養」の意味を再確認しておきますと・・
社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「―を身につける」
(スーパー大辞林)
この教養がないと、ロクなゲームを設定できない傾向が強まります。(小人閑居し不善を為す、とうこと)
教養というのは多くのゲームと、そのルールを知り、または自分で良いゲームとそのルールを設定できるための知識、そのボキャブラリーということができます。
だから、自分の人生のために様々なことを勉強するべきだとされるわけです。
ただし、この教養は学歴、職歴は関係なく、実質的には最終的な倫理観によってそれが良いゲームとなるか、それを選択するかどうかが決定されそう。
高学歴であれば、良いゲームができるはず、と思うのは間違いです。
例えば!
国会の中で繰り広げられているのもゲームです。立法という目的のためにゲームをしています。
が、そこでゲームをしている人たちの一部が無教養(低倫理)なためにどんなことが起こっているか?
これはここに書くまでもなさそうです。
明日が良い日でありますように。