「カーネリアン」タグアーカイブ

カーネリアン・コミュニケーションが大切・2019年1月7日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・コミュニケーション・2019年1月7日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「思っていることを素直に発言する」こと。

カーネリアンの基本中の基本となる使い方です。

「自分への自信を支え、ありのままの自分を人前にさらけ出させる」と、ここですね。

そしてその裏付けとして「勇気」をもたらすことです。

カード:ソードの王

良いカードですね。

年明け、本格的に仕事が始まる月曜日にふさわしいカードでしょう。

判断力、決断力に優れている時期です。ですから、問題を解決したり、プロジェクトに対する決定を下すには最適でしょう。

そのためにリーダーシップをとったり、考えを人前で発表することが必要です。

このカードの本領を発揮するためには、人ととのやりとりが重要ですので、コミュニケーションについて再確認することをお勧めいたします。

(下のコラム参照)

コミュニケーションに必要な能力

コミュニケーションと言えば「話したり書いたり」「聞いたり読んだり」といった意図の伝達手段を使って双方向にやり取りすることですよね。

これをシンプルに書けば「発信すること」「受け取る」こと、となります。

しかしこれは非常に表面的なことであって、本質的には「複製能力」がその根底にあります。

例えば、記事でニュースを知る、ということは文字を媒体として現場の状況を「複製」しているということです。

  1. まず、そこに実態がある
  2. 誰かがその実態を文字を使って「複製する」
  3. 他の誰かがその文字を受け取る
  4. その人は文字情報から実態を「複製する」

(一方向のコミュニケーションに2回の複製があることに注意)

この「複製」能力いかんによってコミュニケーションの成立度合いが異なります。

ちなみに、例えば事故現場をとらえた動画を見るというコミュニケーションの場合、それがカメラがとらえた動画であるだけに「複製」に関しては文書より実態に近い複製ができてる状況にあるでしょう。

この例でわかるように、コミュニケーションとして情報伝達するには「複製」するという能力が重要です。

そして実は「人の考えや気持ちがよくわかる」というのは、この「複製能力」の高さに他なりません。

また「自分の気持ちを人に伝えられない」というのは、自分の「気持ち」を言葉として複製することが得意でない、という状態のことです。

ま、ここのところを助けてくれるのがカーネリアンということになります。

そして、相手の意図を正しく受け取る、というのは、飛んできた意図を受け取ってそれを自分の中で正しく相手の意図として複製できるという能力のことです。

仕事に関して、依頼を受けた方が依頼主の意図通りの仕事をしていない、という場合、そのコミュニケーションに含まれる二回の複製作業のどちらかか、両方が失敗しているわけです。

この「複製」作業はピンと来にくいかもしれませんが、コミュニケーションの成否そのものとしても過言ではありません。

例えばですよ、単に「声が小さいので相手に伝わらない」というのはシンプルに「複製の失敗」を表しています。

自分の発した声が小さく、相手のところに届きにくければ、相手は正しい複製はできませんよね。

また、自分の発した声が小さいということは、そもそもそこで自分の意図を声として複製するのに失敗している、とも言えます。

また、文書でのコミュニケーションも同様、汚い字、読みにくい文章では相手のところで意図を複製してもらえません。

コミュニケーションの能力とは、すなわち複製能力のことです。

そして更にその根本にあるのは、コミュニケーションを受け取ってもらえる(複製してもらえる)ように「相手のことを考えろ」です。←ヒケツ

来年が良い日でありますように。

カーネリアン・また回る運命の輪・ 2018年8月29日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・また回る運命の輪・ 2018年8月29日

カーネリアンが出ています。

今回カーネリアンに期待するのは「前向きな姿勢」です。

カーネリアンは基本的に「自信を持つ」という働きが中心。そのためにはあるがままの自分を認めるという作業になります。

あるがままの自分を認めたとき、本当の意味で初めて前向きな姿勢が作れることを知りましょう。

いくら前向きといっても、それが嘘の自分だとうまく行きません。ことをまずくする第一歩は「隠し事」だと知りましょう。

さて、カードは「運命の輪」。

これ、何だか最近ちょくちょく出ているような。

今まで苦しんでいた人には非常に良いカード。そして今まさに調子良い人にとっては、未来のための準備を怠らないようにとう示唆と言えます。

とにかく、人の運命は止まることなどんどん動きます。そりゃまあ、人は放っておいても歳を取りますしね。何もしないでじっとしていようと思ってもムリムリ。

いえ、人の運命でなくこの宇宙にある森羅万象が変化して止まることはありません。

そんな宇宙で、唯一、思い通りに変えることができるのは自分の考えだけ。

同じ変えるなら、前向きな姿勢で持って進みましょう。カーネリアンはどんな時でもきっと助けになることでしょう。

さくらももこさん追悼

多くの方が親しみ、楽しみ、癒された「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこさんが先日亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

ところでこのコラムでは時折、輪廻や転生について触れています。それが本当にあるかどうかはともかく、あるとしたら・・・として記します。

あるとしたら、その感覚を信じる人たちと、そうでない人たちの「人間の生死観」はかなり異なることになります。

輪廻転生に確信があるなら、一般論としての人の死は、あくまで肉体的な滅びであって、永遠の死として絶対的に何もかもが無に帰す感覚とは異なります。

それはもちろん、輪廻転生があったとしても、目の前からその人が居なくなるという死の形には変わりなく、寂しいことに違いはありません。

しかし根っこの部分では、またどこかで生まれるに違いない、と信じていることと、もう絶対的になくなるというのはかなり意味が異なります。

そして輪廻転生があるとすれは、人生をやり直すチャンスがある、というのは、死んだら単に何もなくなるという考えとは人生観としてかなりの違いがあるでしょう。

それから、輪廻転生があると知る人は、死をことさら怖がることもありません。肉体の死を悟ったとしても、感情のレベルとして「恐怖」まで落ちることはないのです。この差は大きいですよ。

さくらももこさんの逝去から、輪廻を信じるか信じないかで人生観が変わること記しておきました。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・チャージして出直し・ 2018年8月1日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・チャージして出直し・ 2018年8月1日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに期待するのは「元気・気力のチャージ」。

意味辞典の方では取り上げていない働きですね。

そして元々が複雑な働き方をするのがカーネリアンです。

今回は「気力のチャージ」として、どちらかと言うとお尻を叩いてとにかく前進させてくれることを望みたいわけです。

また、がっかりてやる気がないとき、気を取り直して計画し直し、それを実行できるようにサポートしてくれるところは心強いですよ。

さて、カードは「節制/リバース」。

ううむ、これって前回に比べて急転直下に具合が悪いです。

不安や不満足な気持ちを表していますね。これは人間関係は金銭的なトラブルが起こる暗示も。

それから疲れ切っていて、ことがうまく運べず無駄にエネルギーを浪費していることも。

ここはエネルギーチャージをして、計画を立て直し、そしてそれを実行に移すしかありません。

ささ、乗り切ってしまいましょう。人生にはある程度は必ず波乱があるもの。

具合が悪いときにそれを乗り切ることで、もっと知恵を付け、そしてサバイバルする能力を得ようではありませんか。

それから、元はと言えば「節制」を欠いた行動が元になって今回のカードを呼んでいる感じもありですよ。気をつけましょう。

自己否定の罠

何かに失敗した後、最大限に悪い影響を与えるのは「自己否定」をすることです。

今回のカード「節制/リバース」ではある意味で窮地に追い込まれることがあるかもしれませんが、それを乗り切る第一の方策は自己否定をしないこと。

そもそも「自分が何者であるかを決めるのは自分自身以外になく」そこで自分で自分を否定するのは非常に感情のレベルが低い状態であらゆる能力が低下します。(身体機能まで低下しますよ)

と、ここで「自分が何者であるかを決めるのは自分自身以外になく」というところ
が大切。

世の中ではこれが逆になっていることが多いのです。(これ、よく観察してみてください)

自分がどんな人間であるのかを、人の目から見たことに委ねることによって、自己否定はもっと簡単にできるようになります。

しかしながら、自分が何者か、どんな人間かを人に委ねることは、大きな責任転嫁と言えます。

だって、自分が何者かを人に決めてもらおうとしていますから。

こうなると、自分が自分に対して責任を負えません。感情のレベルとしては「秘めた敵意」より下側でしょう。

何をするにも、もっとも楽なのは、自分が何者であるかを自己決定することです。

あ、これは少し前に書きました「自分の人生を生きよう」と同義ですね。

これ、できているつもりでなかなかできません。本人も気づいていないことは多々あります。

まるで催眠術にでもかかってでもいるように、他人に任せていることは少なくありません。

この度合いを自分自身で観察することは難しいでしょう。

とりあえずひとつのコツを記せば・・・

「過去に自己否定があったなら、それはどんなときだったのか?」

を自力でほじくりだしてみることかもです。どんな場面で、なぜそう感じたのか?(もちろん複数の例が出てくることでしょう)

そして「ううむ、あれは変だ」と感じたらかなりな成功です。(自力でやるにはかなりキツイものがありそうですが)

実は、カーネリアンはこの作業をするにも良い働きを持っていると言えますね。「真実を見る」これもカーネリアンの働きのうちです。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・再生のとき・ 2018年7月25日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・再生のとき・ 2018年7月25日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに期待するのは「再生・復活」。この辺り、意味辞典の方では触れていません。

実はカーネリアンは「悟りの石」という別名を持っています。

これ、真実を見極める能力のことですね。

このことは少し前からコラムでよく触れている「考える前に見よ」に近いです。

人は考え始めると真実から遠ざかる傾向にありです。これは対外的なことだけでなく、自分の内面に関しても同じこと。

「考える前に見よ」、これをもう極端に身近な言い方をすれば・・・

「百聞は一見にしかず」ですね。

しかしながら、人は単に見るということがなかなかできません。ときとして「先入観」を持つことも多いですよね。

先入観というのは、百聞とか、そして考えという部類のものですよね。

そして、カーネリアンが言わんとする「再生・復活」ですが、これは先入観(考え)なしに見ることができてやっとこさできます。

だって、きっちり見ることができないと、その対象の実態が不明ですから再生なんてあり得ないでしょ。

何か問題を抱えているとしても、その問題をまっすぐに見られないなら、解決のしようなどありませんから。むしろ間違ったことをしてしまうかもですよ。

ちなみに、カーネリアンが目指すのは、感情のレベルで言えば「強い興味」から上、願わくば「静穏」です。

さて、カードは「審判」。

カーネリアンにかけた願いそのまままに「再生・復活」を意味しています。

そして人生の新しいスタートとも言えます。

大変大きな意識改革のときが巡ってきているようですよ。

これはもしかすると大きな困難のさなかから現れることもあり、絶望のどん底にいたとしても、そこからきっと這い上がれることも表します。

ただし、これは本人が自ら覚醒することが必要です。

これが難しい。

感情のレベルが低い状態でのエネルギーの振る舞い

さてさて、今回はエネルギーが悪さをする話を記しておきましょう。

エネルギーが悪さをするのは感情のレベルが低いときに起こります。

低い感情のレベルだけ下に列挙しておきましょう。

  • 敵対心
  • 怒り
  • 秘めた敵意
  • 同情
  • 悲しみ
  • 無気力

まず最低の「無気力」では、エネルギーは物体として凝縮します。

無気力な人はほとんど「物体」です。無反応ですし、自分からアクションを起こせません。

「悲しみ」にいる人も、程度の差こそあれ物体としてエネルギーが凝縮気味。

「秘めた敵意」「恐れ」あたりでエネルギーはどのような状態だと思いますか?

無気力のようには凝縮していないにせよ、そのエネルギーをじっと抱えて押さえ込んでる感じがわかるでしょうか。

クレクレ君になると人からエネルギーを吸い取ってでさえ抱え込みたいと思っています。

このように、レベルが下にあるほどに、エネルギーは抱え込まれて凝縮し物体化しやすいです。(もちろん、怒り以下のレベルでは自分でエネルギーをコントロールできていません。敵対心は幾らかのコントロールがなされているでしょう)

で、コントロールなしに溜め込まれ、凝縮されたエネルギーは病気の元になりやすいようです。

「笑い」が免疫力を高めることがわかっていますが、実はそれは笑うことによって感情のレベルが高まっていることに他なりません。

かなりな大笑いをした後、心から何か「シコリ」のようなものが抜けた感覚がしませんか?肉体的にも身軽になった感じがしませんか?

大笑いした後は、しばらくの間は身も心もスッキリ感があるでしょ。

これって、凝縮されていたエネルギーがある程度は解放されていることのようですよ。

ノーコントロール状態でエネルギーを溜め込むと、それが体の各所に悪さをするようです。

具体的な形になるといわゆるガンのようなことにもなり、オートマチックに働くはずの神経系に働けば様々な調整機能が失われます。これだとどんな病気にさえなる可能性ありです。元々が外的要因であるウイルス等、汚染物質等に対する防御力も落ちるでしょう。

(ちなみに、医学以外の方法で病気を治癒をする例が確かにあるようです。それは実はこの凝縮したエネルギーに触っている感じありです。)

こうして感情のレベルとエネルギーの関係を見てきましたが、要点としては「感情のレベル」は高く維持されるべきだということ、これにつきます。

心身ともに健康でいたければ、感情のレベルの高いところにいよう、です。
(ね、その方が生存性高いでしょ)

感情のレベルが低くて良いことは何もありません。最後には肉体的にも必ずダメージが来ます。

しかし、人生の中では悲しい出来事に遭遇することもあるでしょう。それでも気を取り直して少しでも上の感情のレベルにいることが生き延びるために重要です。

そして人の感情のレベルを下げたりしないことも、自分の感情のレベルを維持するのに大切です。

明日が良い日でありますように。