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アクアマリンは基本的に仲直りが得意なパワーストーン。難しい人間関係においてその役割を果たします。アクアマリンの詳しい意味や効果についてリンクしています。

アクアマリン・気分転換しよう・2020年3月26日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・気分転換しよう・2020年3月26日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに期待するのは「立ち直りのきっかけ」「気力を立て直す」。

アクアマリンは基本的に「心にある淀み」を洗い流す性質を持っています。

このあたりのこと意味辞典の方では触れていませんが、アクアマリンが持つ様々な働きの根本がこれです。

立ち直るために淀みを洗い流し、そして気力を立て直すわけです。

簡単に言える効能として「喧嘩した時の仲直り」がありますよね。

これはすなわち「心の淀みを洗い流す」ことから始まるわけですね。

アクアマリンと相性が良いストーン

ラリマー
アベンチュリン

ラリマーは抑圧からの解放、アベンチュリンはストレスを緩和する癒し系ですね。

アクアマリンの「心の淀みを洗い流す」ための助けになっています。

カード:ワンドの10/リバース

これは急転直下、ここは我慢のカードが出ています。

逆境にさらされる暗示。

これまでの努力が水の泡と言うことも。

また、ムダだとわかっていても続けなければならない仕事があるとか。

しかし!

ここでげんなりするのはよしましょう。

起こる災難で意気消沈しすぎると再起の気力も無くなります。

気分転換して新たな気持ちで取り組みましょう。

時間が経てば状況は変わります。

自分を決める

『人間にとって主な仕事は自分自身を創造することである』
(エーリッヒ・フロム)

自分がどうあるべきか、これを自分で決定できるのが人間だ、と言っています。

これ、確かに人間以外にはできそうにありません。

うまく行っているとき、逆境にいるとき、困っている人を見たとき、どうするかを自分で決めることができます。

がしかし、自分自身で決定できずに反応的な感情と行動だけが出てくることがあります。

ふつふつとマイナスな感情が湧いているのに気づいたら、深呼吸してみてください。

その感情は本物か、反応か?

その感情が嫌ならば、それをやめてみましょう。

明日が良い日になりますように。

アクアマリン・再生・2020年2月12日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・再生・2020年2月12日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに期待するのは「浄化・再生」。

意味辞典の方では一般的な「夫婦和合」系のストーンとして取り上げていますが、他に重要な要素として「浄化・再生」を取り上げます。

セレニティアスがアクアマリンを使う時にはむしろこの「浄化・再生」の意味で使うことが多いです。

この「浄化」は精神面に作用します。例えば「わだかまりを捨てる」そのように働き、それで再生を促すわけです。

結局のところ、アクアマリンが夫婦和合とか仲直り系として使えるのは、わだかまりを捨てるといった作用に基づくところが大きいと思えます。

アクアマリンと相性が良いストーン

アンバー

アンバーは心を温める系として取り上げやすいのですが、その結果として消極性を打ち消す要素があります。

アクアマリンを使って「浄化・再生」を促すため、新しくアクションを起こせるように手伝うことができます。

カード:死神

カードの名前だけ見ると不吉なようですが、単にそう取るのではなく、何かが死んで、そして復活することを意味します。

これは心機一転、再スタートすべしという合図とも受け取れるのではないでしょうか。

これまでのことにきっと様々な蓄積があり、かなりな未練もあるでしょうが、不要な物を断ち切って前に進むべき時が来ていることを告げているようです。

受け身をやめて起因になること

様々なことにとらわれると何も捨てられなくて、そして身動きが取れなくなります。

自分にとって最も大切なことな何か?

これを真剣に考えてみたら、身の回りにある物体や名声でないことに気づくかもです。

むしろこれに気づかないと苦しみが増すばかりになります。

身の回りにある物体も、名声も、それは環境そのものであり、自分自身ではありませんよね。

これは言い換えれば「受け身」な状態です。

これこれを所有していることがうれしいとか、誰かに褒められることがうれしいというのがまさに受け身そのものです。

ここで逆に考えてみましょう。

所有することでなく、それを自分で作ることはどうでしょう。

また、人に褒められるように努めるのではなく、人を褒めることをします。

何かを受け入れる側から何かを生み出す側に回っていますよね。

そうすると、感情のレベルもアップしますよ。

何か物体を所有して喜ぶのは感情のレベルで言えば「退屈」の一歩手前あたり。「退屈」って意外にロクでもないことしますよ。

何かを生み出すためには感情のレベルで言えば「強い興味」にありますよ。

そして「人を褒める」という行為はすなわち「賞賛」ですね。

これは感情のレベルとしてかなり高いです。「陽気・熱狂・静穏」またはその上にあります。

受け身から起因になる・・・そんなことができるだろうか?と思いましたか?

そうだとするならそのわだかまりを捨ててやってみましょう。そういうこと死神のカードは教えているようです。

助けになるのはアクアマリンです。

明日が良い日になりますように。

アクアマリン・信念をつらぬこう・2019年7月29日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・信念をつらぬこう・2019年7月29日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに求めるのは「発言」。

良いコミュニケーションのために自分から発言することを期待します。

自分が思うことをうまく言葉に乗せられないと感じていて引っ込み思案気味な人には特におすすめですね。

また、アクアマリンは争いごとを防ぐ働きを持っているわけですが、コミュニケーションがうまくなることでトラブルを防ぐ作用として働きます。

このあたり、意味辞典の方ではあまり触れられていない使い方です。

カード:ソードのエース

良し悪しは語りにくいカードですが、まあ良い方に考えられます。

自分が信じている正義や倫理観が具体的な行動になって現れようとしています。

もしかしたら、理想を体現するには困難が立ちふさがるかもしれませんが、それに果敢に立ち向かうことになります。

ここで信念をを曲げないこと理想的な結論を導き出す最大のポイント。妥協を許してはなりません。

未来を開くカギは、ここにあります。

気楽な者が勝利する

感情のレベルを下がるにつれて物体ばかりに興味が引きつけられる傾向が強くなります。

それは「これこれをするにはどれほどの努力が必要だろうか」と言う思案です。

これの度合いが過ぎると物事がどんどん深刻になり、できるはずのこともできず、何も動かなくなります。

これ、単純にこれまでの経験でもそんなことがなかったでしょうか?

何かを頼むなら、深刻な人よりも軽くて明るい人に頼んだ方がうまく行くということ。

そのゲームを深刻に受け止めれば受け止めるほどに、そのゲームに勝利するチャンスは少なくなります。

何かを成し遂げたければ、深刻な連中と関わってはいけません。

のん気ほどうまく行くものは他にありません。

単純な軽薄さは実際、何よりもわずかな時間で、より多くのことを成し遂げます。

参考資料:感情のレベル

  • 静穏      合理的
  • 熱狂       ↑
  • 陽気
  • 強い興味
  • 保守的
  • 満足
  • 退屈
  • 敵対心
  • 怒り
  • 秘めた敵意
  • 恐れ
  • 同情
  • 悲しみ      ↓
  • 無気力     不合理

ところで、今回のカードはソードのエース。「信念を貫こう」ということですが、これさえが深刻になる必要などまったくありませんよ。

「これイイね!」とか・・・
「こんなのはまっぴらごめんだ」

これを素直に表明し(自分でも信じて)、その通りに進んで行けば良いのです。

明日が良い日になりますように。

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに求めるのは「回復・復活」。

どちらかと言えば、愛情系で使われることが多いアクアマリンですが、実は「回復・復活」が元にあります。

「仲直りの石」というこのはまさに回復・復活です。

そして更に、その根底には癒し系的浄化力によって成り立っていることもありです。

浄化、すなわち「水に流そう」という、そんな感じがありますね。

カード:ソードの4/リバース

これはリバースでよしとしましょう。

厳しいドタバタが過ぎ去った静寂ですね。

ここで我に返って静かにしている感じ。

これは昨日の延長の「内観」に通じるものあり。

ここでちょっと休憩し、体勢を整えるタイミングに来ていそうですよ。

復活のための準備、そして再び歩み始めることになるでしょう。

かつてダメだったことも改めて取り組むことができそうです。

役に立たない懲罰ということ

懲罰(ちょうばつ)とは、 悪い行為に対して,いましめのために罰を与えること。

これは大体、罪とペアにして語られることが多いです。

単純に言って罪を犯せば罰(バチ)が当たるということです。

それは人間の法律による罰かもしれませんし、ことによっては神様から与えられる罰かもです。

しかしながら、単にいましめたところで、その人の罪がどうなるわけでもなく、(自己分析が終わっておらず、なぜ罪を犯したのかもわからぬまま)、被害者や環境への悪影響の救済もありません。

そういう意味では特に人の法律による罰はほとんど役に立ちません。

必要なのは分析と償いによってその人自身が罪を知って罪から回復することです。

ですから、もしも自分で自分に懲罰を与えていることがあるなら、それは即刻よしましょう。

本当に自分に罪があると思うのなら、分析と償いの行動を強くおすすめいたします。することは決して懲罰ではありません。

それから、法律によって厳しい懲罰を課せば犯罪抑止になるという考えもありますが、これは統計的に全く正しくないそうです。

(むしろ、モラルの低下によって厳罰化が進んでしまうという悪循環はあり。モラルの低下は罪の分析が進んでいない結果)

法則としての罰その1

ところで、人の法律としての罰と、自分の意思によって自分に与えた罰以外に、法則として働く罰が「二つ」あります。

そのひとつが・・・

生存の多重円の構造による自然に起こる罰です。

生存の包含関係
生存の包含関係(多重円)

この円の中心にいる自分だけの生存性だけを最優先にし、他の最大多数の輪の生存をくじくことがそもそもの罪なのはお分かりだと思います。

で、ここで自分を包含する他のレベルの輪の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局自分が潰されてしまいます。

これが罪によって起こる自動的な罰の法則です。

国というグループでもって個人の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局は個々人の生存性が下がり、国が維持できません。

これって戦争に突入し、結局は滅びの道を歩みます。これ、罪による罰の法則です。

面白いことに、この生存の多重円による法則は、その時々の文明・文化に左右されません。

これによって滅びる文明は滅んでいますよ。いくつもです。

法則としての罰その2

前に書きましたが、過去の罪が現在に影響する・・・

これ自体がもう罰ですね。

過去の罪に縛られることは現在においてその人の生存性が下がることになります。

過去に間違ったのと同じ混乱が起こると、また間違ったアクションをしてしまます。

自己分析がないがために、その罪を正当化し、率先してその間違ったアクションをしてしまうこともあり・・・

それでも誰にも罪はある

誰にも罪あります。

人は全知全能ではありませんから。当然ですよね。

長い一生とか、自分では意識できないようなこともあり。

人によって数限りない転生の過去の歴史の中で・・・

しかし私は罪深い!と言って嘆く必要なありません。

どうしても知識不足で最善策が取れないこともあり、悪気のない過失による罪だってあります。

また、単に勘違いとして「あれは罪だ!」と思い込んでいることもあり。

生存の多重円として、全体がうまく生き延びる方法について、知識を高め、倫理観をアップさせる以外にはありません。

そこから立ち直るには、この罪をどうやって処理するかを自分で考え、行動するかです。

それから、最後になりますが・・・

自分が行動することで罪を犯してしまわないかとビクビクする必要はありません。

これ自体が自分の生存生を下げる罪かもですよ。

もし間違ったことに気づいたら、誰もが納得できる償いをして、そうして先に進みましょう!

こんなとき、アクアマリンの「水に流そう」が良いかもですよ。これ、「回復のとき」です。

罪と罰の話。これで一旦終了です。

明日が良い日でありますように。