アメトリン・バランスが取れている・2019年4月24日
アメトリンが出ています。
アメトリンに求めるのは「バランス・調和」。
アメトリンは意味辞典にあるように、相反することのギャップを埋めることを表しています。
世の中、そしてこの宇宙には裏表やプラスとマイナスといった相反することがあり、しかしそれで成り立っていることもあり。
アメトリンはこれら様々なことをバランスどりし、最適解を得られるように導きます。
あちらが立てばこちらが立たずといった問題を抱えてしまうことがありますが、最終的には落ち着くところに落ち着くよう、調和がとれた解決策が欲しいものです。
カード:節制
まさにアメトリンの世界ですね。
バランス、調和が取れている状況を表しています。
偏った解決策を取らず八方よしの状態を築けるでしょう。
また、仕事やプライベートを上手にバランスさせ、調和がとれた生活をすることでなお良い状態を作れることも。
ところで、この宇宙にある様々にバランスを取らなければならないこととは、実はそれが「生存の多重円」です。
ここのところコラムで話題にしている「罪」とは、どこかの円だけ突出して生き延びようとするために他の円の生存をくじいている状態のことを言います。
(例えば自分だけ生き延びようとして家族やグループを捨てる、とかね)
今持っている知識を最大限に使って、生存の多重円のバランスを崩さないことが望まれます。
やり直す方法(その2)
前回のコラムでは間違った選択をした「混乱の瞬間」を探すことをおすすめしていました。
今回の記事はそれの追加情報です。
なお、「罪」と言うと仰々しいですよね。ですので罪と言わずとも「選択に失敗したと思えること」とか「実は後悔している何か」と言い換えても良いです。
なぜ間違ったか?そして・・
同じ過ちを犯さないためには、「混乱」を探して自分がどうして間違ったアクションを行なったかを知ることが必要です。
罪を犯してしまったその選択を今から悔やむことをするよりも、なぜ間違ったかを知りましょう。
そして今から振り返ってみると、より良い選択肢があったはずだと思えるかもしれません。
しかし、あのときの自分としては、知識の量としてあれが精一杯だったかもしれません。
そしてここであの罪の「動機」を求めないことです。
これが始まると堂々巡りになりますよ。例えば、やられたのでやり返したという動機に着眼することは大間違いの元ですよ。
とにかく、自分が取るべきだったと思われる最善策が他になかったかを考えてみてください。正しい動機とは「間違った選択は何だったか」です。
それがことによっては「他になすすべがなかった」という結論になることもあるでしょう。(何年か先にはまた異なる結論になることもあり)
あの時点で「他になすすべがなかった」のなら、それを罪に問うのはちょっと酷かもですよね・・・
じゃあ、自分を罪に問わないであげればいいのです。
その代わりに、「あのときもっと広い知識を持っていたら、あれはしなかった」という感想を持てるかもです。
でも、どうしようもなかったとは言え、他に迷惑をこうむった人がいるのなら、何か償いをするのは誰にとっても良いことです。
当時の当事者に対してそれができないのであれば、その代わりになるような社会的活動なども考えられます。
罪と罰
端的に言って罰は何の役にも立ちません。
しかし社会の中で人々の生存に対して目に見えて迷惑千万であると、とっつかまって罰を与えられます。(逮捕ですね)
現状、刑務所という仕組みがあり、そこで名目上は「罪の償い」をすることになっています。
しかし、これはあくまでも懲罰にしかなっておらず、その人が罪の重さから逃れられず、そして二度と同じ罪を犯さないためのアクションがありません。(あるとしてもそれは死刑という最終手段)
実際には懲罰は何の役にも立たないばかりか、再犯の動機を与えすらします。(復讐ですね)
ですから、自分に罪があると思っている人は、くれぐれも自分に罰を与えないことです。これは何の足しにもなりません。
するべきことは、自分が納得できるだけの「助け」を人や社会に返すことにつきます。
とにかく、自分を罰するのではなく、他の生存(自分の生存も)を助けて間違いを取り戻すというアクションに着眼してください。
これは本当に気分が晴れますよ。
次回はさらに突っ込んだ不思議な話の領域に突入します。
明日が良い日でありますように。