2016年8月24日 レッドジャスパー・分岐点で自分を信じる/法王
あなた自身が分岐点にいるのでしょうか?
または今までの選択が正しかったのかと悩んでいる時期かもしれません。
しかし「自分の判断は正しい」と信じる心が幸運を呼び込むでしょう。
ただし、この時期はあまり無謀な行動は慎むべき。どちらかといえば常識に従った方が良さげ。
屋外にいる方が良いヒントをもらえるチャンスが多いかも。誰か道筋を示してくれる人が登場する可能性もありです。
このようなときにオススメのパワーストーンはレッドジャスパー(意味辞典に未記載)。
レッドジャスパーはどちらかといえば癒し系に属しますが、ネガティブな感情が取り除かれることから自己信頼が高まります。しっかりと安定した精神状態を保ち、会う人からも信頼を得られることでしょう。
過去に影響を受ける典型例(続き)
昨日は交通事故の例から過去が現在に影響するシンプルな話を書きました。
これに付け加えますと、事故で怪我をするといったことは大変わかりやすく、記憶にも残っているでしょうが、実際にはすでに忘れてしまった出来事に現在が操られていることの方が多いです。
事故による怪我や、それから病気といった身体的なトラブルは大変わかりやすい例ですが、他に心理的に影響することとして「離別」といったことが挙げられます。親族や大切にしている人の「死」などがこれに含まれます。されにこれを一般化していえば「喪失」ということになります。ですから、ことによってはペットの死も大きく、今風に言えば「ペット・ロス」の心理状態もこの典型例です。
さてさて、こうやって人生における様々な出来事がその後の人生を彩ります。
これらの出来事の中で、どこかの時点で理性的に処理されているならば、それは人生の糧になることもあるでしょう。
しかし問題になるのは、理性的に処理されず、原因もわからずにに残っている部分です。
例えば、昨日書きました交通事故を例にとると、自分をはねた車を運転していたのがオバサンで、それ以来とにかくオバサンをみると「イラっ」としてしまい、その感情を自分では制御できず、理由もわからないといった状況です。(世の中にはオバサンは多いですから、これから先、生きるのが厳しいですよ)
ところが、世の中にはそのような「刺激-反応」といった後から植え込まれてしまったようなメカニズムまでも「ありのままの自分」として受け入れよ・・という風潮が一部に存在します。
「受け入れれば楽になる」まるでそれが正しい道であるかのように言われていることがありますよね。
制御できない嫌な自分がそこにある、しかしそれは受け入れよと言われている。なんというジレンマでしょうか。いいえ、これはうまく行きません。
ことによっては「受け入れて楽になっているように演じようとしている自分」をそこに発見することもあります。
不合理な反応をしている自分を「おかしいなあ、嫌だなあ」と思うのは自然なことです。
「もともと私はそうじゃないよ」ということは自身の魂が知っていますよ。
自分に対してだけは嘘が通用しません。
「ありのままの自分を受け入れる」ことと「現実に直面しない」ということを混同してはいけません。現実に直面しないということは、すなわちその人は現時点におらず、視点が過去に飛んでいます。
そうなると本来のその人の人格でなく、意味もわからず過去の影響をもろに受けて単に反応している状態なのです。
明日が良い日でありますように。