シトリン・磨きをかけよう・ 2018年7月4日

シトリン(Citrine)
シトリン(Citrine)

シトリン・磨きをかけよう・ 2018年7月4日

シトリンが出ています。

シトリンに求めるのは「自信」です。

そして「明るさ、勇気」を持ち主に与えます。

これは意味辞典の方では触れられていない働きですね。しかしセレニティアスではこの働きで使うことが多いです。(実は、意味辞典に書かれている効能が全てではありません)

そうしてシトリンは総合的に「やる気」を刺激することになります。例えれば、このページで時折触れている「感情のレベルをアップさせる」作用と言えます。

さて、カードは「ペンタクルの3」。前回と同じ・・・

いえいえ、毎日異なるカードである必要はありません。同じでイイです。

要点としては悩んでいた問題は解消に向かいつつあるということ。

特に経済やビジネス面での評価が急速にアップしそうなのです。

そして今、過去の学びを十分生かし、失いかけていた自信を取り戻し、さらに研鑽を深めて一層の成長を目指そうということ。

サッカー・ワールドカップに思うこと

前回と同じカードなので今回もちょと脱線。

7月3日の午前3時からサッカーW杯では日本vsベルギーの試合がありました。

ベルギーというのは世界の三強で、日本は六十位だかのずいぶんと格下です。

にもかかわらず、日本は善戦し、試合の内容は今回のワールドカップのこれまでの試合で最も良い内容だとされています。(結果的には2-3で日本敗退でしたが)

ところで、様々なスポーツの分野で、サッカー以外でも世界的格付けとして日本はあまり上位に食い込みません。

先進国の中では人口が多い方なのですが、人が多い割りにはスポーツの格付けは低いです。

これはまあ、伝統とか、そのスポーツをしてきた歴史の浅さ、とかと関係はする部分はあるでしょうが、日本の場合には「個人の才能を伸ばしにくい風土がないか」と思えるフシがあります。

というのは、みんなが横並びでなければいけないような教育ありきで、それにもかかわらず個人が突出してスポーツなどに才能を発揮しようと思えば、その個人や家族が個別に大きな負担を背負った上でやっとそれができる話な感じがあります。

世界に通用する一人のアスリートを育てようとすれば、日本の場合にはその家族の全精力をそれに傾けざるを得ないような現実がありげです。

せっかくの才能を簡単には伸ばせないのですよね。

これは、日本は思っているほどには「豊かではない」ことも考えられます。

世界的なトップ企業がいくつあっても、その利益が内部留保されて国民に全く還元されないでは貧富の差はできても国全体が豊かにはなりません。

これ、全体としてゲーム(このコラムで書いたところの)に対する教養の低さを物語っています。(ゲームのボキャがないということです)

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・一段と成長しよう・ 2018年7月3日

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアン・一段と成長しよう・ 2018年7月3日

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「悲観的な発想を修正すること」「やる気を奮い立たせる」です。

これらの働きの全体像としては「自己の力を十分に発揮できるようサポートする」こととなります。

カーネリアンの「悲観的な発想を修正する」働きは、マイナス感情を抑制する働きから来ることです。ですから、イライラしたり、敵対的になったりと、感情のレベルが低くならないように支えてくれるわけですね。

さて、カードは「ペンタクルの3」。

まずまず良いカードですね。

経済面、仕事などの問題は解消する方向にあり、その上にビジネス面では評価が上がる兆候。

現状として「そんなことがあるだろうか?これまでにして来たことはほとんど何の役にも立っていないぞ」と思うことがあれば、そんな思いはすぐにやめましょう。

自分自身で気づかないでも、過去に積み重ねてきたことが時間を置いて実を結ぶことになりそうです。

もう少し時間はかかるかもしれませんが、良い方向には向かっているので、今のスキルにさらに磨きをかけて準備しましょう。

「あんな努力はムダだった」と思わずにいてください。カーネリアンを使ってマイナス感情を抑え、やる気を奮い立たせましょう。

ゲームと問題

今回は、前回のカードのちょっとガマンの甲斐があってか良い兆候。

そこで本コラムもちょっと脱線。(しながら復習も)

それぞれの人にはそれぞれに仕事や趣味を通じて「ゲーム」をしています。人生はゲームそのものでできています。

ゲームというのは「目的と障害」からできていて、障害はすなわち「問題」といわれる物です。

誰しも問題や障害を嫌いますが、実はそれがないとゲームそのものが成立しません。

障害がないゲームはゲームとは呼べず、それは単に「退屈な何か」です。

そして人はゲームがないと「退屈で死にそうだ」と思いますが、本当に死ぬわけにはいきませんから、とりあえず何らかのゲームを作ります。

ここで、大切になるのが本質的な教養と呼べるものです。

一応、今書いている「教養」の意味を再確認しておきますと・・

社会人として必要な広い文化的な知識。また,それによって養われた品位。「―を身につける」

(スーパー大辞林)

この教養がないと、ロクなゲームを設定できない傾向が強まります。(小人閑居し不善を為す、とうこと)

教養というのは多くのゲームと、そのルールを知り、または自分で良いゲームとそのルールを設定できるための知識、そのボキャブラリーということができます。

だから、自分の人生のために様々なことを勉強するべきだとされるわけです。

ただし、この教養は学歴、職歴は関係なく、実質的には最終的な倫理観によってそれが良いゲームとなるか、それを選択するかどうかが決定されそう。

高学歴であれば、良いゲームができるはず、と思うのは間違いです。

例えば!

国会の中で繰り広げられているのもゲームです。立法という目的のためにゲームをしています。

が、そこでゲームをしている人たちの一部が無教養(低倫理)なためにどんなことが起こっているか?

これはここに書くまでもなさそうです。

明日が良い日でありますように。

モルダバイト・静観する・ 2018年7月2日

 

モルダバイト(Moldavite)
モルダバイト(Moldavite)

モルダバイト・静観する・ 2018年7月2日

モルダバイトが出ています。

モルダバイトに求めるのは「落ち着くこと」「距離を置くこと」「問題のクリア」。

全体として通じることは「自分の内面を知ること」になると言えそうです。

モルダバイトは非常に多岐に渡る働きを持っており、どちらかと言えば使い方が難しいストーンに分類できると思います。

が、今回はとにかく自分の内面を知ることから落ち着きを取り戻し、見るべきものを見ることから始めることを念頭に置きました。

さて、カードは「ワンドの騎士/リバース」。

これは率直に言って要注意カード。

やる気満々で物事に当たっても、現状は厳しく反発してくる可能性大。

この反発が人間関係の悪化を招いたり、努力をしようともがくほどに困難な状況に陥ったりと。

ここのところは難しい状況が続いて悪あがきをすると疲労困憊しそうな感じがあります。

そこでアドバイスとしては距離を置いて静観すること。

無理にどうこうしない方が意外にスムースにことが運ぶこともあるのです。

見ることと問題

週の初めから要注意なカードですね。

でもまあ、こんなことって普通にありますよ。特段に心配しないで置きましょう。

というところで、最近のコラムで時折触れる「見ること」や問題についての復習をしておきます。

今回のアドバイスで「静観しよう」ということがありました。

これってすなわち「見ること」に他なりません。

物事は、あなたが「それは問題だ」と思う度合いに応じて問題になります。

あなたが問題だと思わなければ何も問題にはなりません。全ては「考え」から生まれます。問題は見ることからは生まれたりはしません。

わかりやすい極端な例として「車がパンクした!約束の時間に間に合わない!」というのは、車にとっては何も問題ではありませんし、待っている人にとっても問題ではありません。

あなたが問題だと考えるから問題になっているのであって、そうでなければ問題はどこにもありません。

パンクによって車が走行不能、約束の時間に遅れると考えたあなたにとってだけ問題です。

極論ではありますが、そういうことです。

さて、そこで考えるのをやめて「見る」を始めたどうなるでしょう?

問題はどんどん解消の方向へ向かうはずですよ。

明日が良い日でありますように。

セージニッククオーツ・耐えるとき・ 2018年6月29日

セージニッククオーツ(Sagenitic-quartz)
セージニッククオーツ(Sagenitic-quartz)

セージニッククオーツ・耐えるとき・ 2018年6月29日

セージニッククオーツが出ています。

セージニッククオーツに求めるのは「忍耐・するべきことに集中する」。

この作用の元になる働きとして心を前向きに保つことが要求されます。セージニッククオーツでは特にその部分を使い、忍耐強く、そして物事に集中できるよう考えました。

また、行き詰まり感があるときに「本当はどうしたいのか」を再確認するときにも有効です。

さて、カードは「吊られた男」。

良し悪しの判断が難しいカードではありますが、示唆に富んでいるように思えます。

カードのデザインとしては男が逆さまに吊られていて、まったく身動きができない状態ですよね。

しかしながらその表情は決して苦痛に満ちたものでなく、何か悟ってさえいる様子。

外見的には絶望的ですが、その状況からでも見出せる光があるのではないか、と語っている様子です。

絶望的な状況、ゲーム

人間を精神と肉体に分けるなら、肉体だけを見ているとこれはほとんど絶望的な状況でしょう。

「生老病死」に悩むのは、それは肉体についてだけであって、精神への言及はありません。あれはあくまでも肉体だけを見ています。

もちろん、多くの場合、人は自分が肉体そのものだと思っていますから、それがなくなってしまう「死」は恐ろしいことなのでしょう。

ところが人は100%の確率でいつかは死亡しますので、ジタバタしてもどうしようもありません。絶望的です。

そこで、実は「生老病死」に苦しむのはある種の「罠」(わな)とする考えもあります。

これは人間が自分を物体(肉体)だと考える度合い応じてその罠に深くはまり込むようになっているようです。

一方、精神というのは実は肉体と別にあるのだと思えるようになると、まったく異なった感覚で自分の肉体や他の物体を眺められるようになります。

ある精神が、ある一定期間を、ある肉体を使うことで行う何かのゲーム。
そのゲームの種類はその人に任せられている。

これが人生の定義かもしれません。

そうとすると、そこにはあまり絶望も希望も定めなく、どうやってゲームを遂行するのか、ということだけがあるように思えます。

今週最後のコラムになりました。

肉体、精神、人生って何?ということの答えがないお話でした。

それでは良い週末を。また次の日曜夜に更新いたします。

明日が良い日でありますように。