
こんにちは。スタッフ友次郎です。
友次郎の日記的書き込み。
5月10日は早朝から大阪行き。一泊して11日は半日かかって甲府に戻りました。
■ コミュニケーションvsミステリー

約40日ぶりに甲府-大阪間の車移動。
まあ慣れたと言えば慣れました。さすがに多少は時間がかかること以外に、端的に言って大した疲労はありません。
ところで、ある目的地への移動でその道程が全く未知なとき、その道のりはすごく遠くに感じませんか?
自分が移動している先々に、何が待っているのか皆目わからないというのはミステリーに身を投じている感じ。
知らない道を移動するのは「その終点」とか「進行度合い」が読めませんから。
ところが何度か同じルートを使って全体像を把握できると、ミステリーはなくなります。
わかってしまうと道の途中で「半分は来たな」とか「まだ100キロ先か」とか「そうそう、この景色が見えたらもう少し」という感覚も出てきて、言うなれば「空間の中に自分を位置付ける」ことができます。
これでミステリーは解消されます。
物事に右往左往してしまうのは、実のところ「空間の中に自分を位置付ける」ことができていないことに尽きます。
ちなみにですが・・・
「結界を張る」という操作がありますが、それができる人は「空間の中に自分を位置付ける」ができての話になります。
ところで、最初は知らなかった道でも何度も通ればミステリーが解消するわけですが、それは実はなんのことはない「コミュニケーション」の結果です。
自分自身でその道程を何度もなぞるのは、まさに道との(車などの移動手段を含む)コミュニケーションなわけです。
コミュニケーションの結果、ミステリーがなくなり、その空間の中でコミュニケーションの主体になることはすなわち「空間の中に自分を位置付ける」ことができているわけです。
コミュニケーションしているからこそ、その道の先は崖になっているのか、ちゃんと目的地に着くのかがわかり、ミステリーに悶々とすることがなくなります。
うまく行かない何か、苦手な何かは、実はそのこととコミュニケーションが取れていないでミステリーの中で色々と想像していることが多いです。
心配事や疑心暗鬼の正体がこのあたりにあります。
参考資料
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理解の三角形
明日が良い日になりますように。