ガーネット・ガマンで通り抜けよう・2018年10月17日
ガーネットが出ています。
ガーネットに求めるのは「耐える力」。
ガーネットは「地道な努力を助ける」という働きを持ち、この根本にあるのは「耐える力」です。
ガーネットはその持ち主が「もうだめだ!」と投げ出しそうになってもそれを踏みとどまるように後押しします。
それだけに、生半可な心づもりでガーネットを持つと結構大変ですよ。
本当に耐えねばならないという場合を除いてはあまりおすすめしないかもです。
さて、カードは「吊られた男」。
これ、不思議なデザインのカードなんですよね。
男が逆さまに吊られていますが、その表情が微妙です。
デザインの仕方で様々に見えるかもしれませんが、この男の表情は「達観」している感じもあり、または不敵な笑いにも見えるかもしれません。
それでも言えることは、どうやら今の場合はジタバタしても始まらないということのようです。
男の表情を「達観」と取るなら、自分の中に真理を見出す状態かもしれません。
もしも不適は笑いであるとするなら、このような状況においてもくじけずに何か作戦を持っている感じも。
いずれにしても、このカードが出ているときには何か人生の岐路に立っている暗示が。
あまりに常識にとらわれていてもこの状況から抜け出すことはないでしょうが、発想を変えて大逆転するかもです。
ここでガーネットが出てくるのは、たとえ状況がまずくとも、それに耐えろということのよう。
「抜け出す道は通り抜ける道」です。
終活の断捨離
昨日の続きっぽいですが、今回は「終活の断捨離」について書きます。
さて、つい最近のことfacebook上の知り合い(と言っても相手は少しばかりなの通った人)が医師によって余命宣告を受けました。
彼は年齢として初老というところですが、一般論としては何らかの病気をこじらせて亡くなったとしても、それはあり得る年齢ではあります。
そこで、彼は残りの人生の時間を計算し、残される人々に手間が及ばないようにと身の回りの断捨離を始めました。
彼は数千冊の蔵書があり、まずはこれから手を付けます・・・
これは「物体を手放す」という話ですね。
これがなかなか難しいのです。
物体にとらわれない、ということが断捨離の「離」の部分、最終段階と思われますが、この境地にはなかなかたどり着かないのが普通だと思います。
そもそも私たちの現代文明では溢れるほどの物体を所有していることが「豊か」だとされてきました。
そして自然科学としても人間は「物体」として扱われています。
この2点だけを見ても、物体としての執着というのは結構拭い去りにくいことだと思います。
そして人が「死ぬ」ということは「物体として死骸になる」ことを半ば信じて、残りの半分は「いやいや魂として存在し続けるかもしれない」として「ううむわからない」というところでしょうか。
この点で言えば、前世や輪廻転生を信じる人は、人が肉体として死んでも「魂として存在し続ける派」と言えるでしょう。
となると、人の根本は肉体でなく「魂」である、という考えになり、どちらかと言えば「物体からの呪縛」から離れられる可能性が高いと言えそうです。
仏教的にはまあこれですね。
物体への執着から離れる。実のところこれがあれば不用意に物体を得ることなく、そしてそれを手放すことにも抵抗がなくなるでしょう。(これって浪費と受容です)
その根本にはどうやら、人は物体ではなく「魂か何か・・○○である」という気づきが必要そうです。
「死にたくない」これは肉体という物体を手放したくないという感覚でしょうか?
さてさて、断捨離の過程では不要な物を捨てますが、捨てた後に襲ってくる可能性があるのが「風邪ひき」のような症状。
これって単なる風邪ではなく、手放し作業によって「所有性」が下がったときに起きる特有な症状です。
普通の風邪の対応をしても治りません。
とにかく何かを「得る」ことが必要ですよ。(美味しいものを食べる、などの対応ですね)
明日が良い日でありますように。