「活力系パワーストーン」カテゴリーアーカイブ

活力系にお勧めのパワーストーンに関する記事を集めています。なぜかこのごろ元気がない、ここ一発なんとか乗り切りたいといったときに役立つパワーストーンとは?

ヘマタイト・リーダーシップ・2019年3月19日

ヘマタイト(Hematite)
ヘマタイト(Hematite)

ヘマタイト・リーダーシップ・2019年3月19日

ヘマタイトが出ています。(意味辞典に未記載)

ヘマタイトに求めるのは「起爆剤」。

これはこのページで何度も使っていますね。ここ一発パワーを発揮したいときに重宝するのがヘマタイト。

根本原理はマイアスにある感情をプラスに転換することです。

また、それだけでなくトラブル除けとしての働きがあり、お守り的な使い方もOKでしょう。

カード:ソードの王

前回に続きまた「王」のカードですね。

これは良い兆候ですよ。

判断力や決断力に優れている時期。

問題があればそれをクリアするにはうってつけであり、人脈や情報の集まり方も非常に良好になります。

ただし、周りがついてこられるように配慮することもお忘れなく。

自分自身にとっては当然だと思えるような決定が、他の人にとっては理解不能なこともあり得るのです。

また、人々には公平な態度で接することが必要とされていますよ。

所有性について復習(その2)

さて、前回は「何かを所有する能力」について書きましたが、今回はこの能力がないとどんな状態になるかを説明します。

まず、所有性がない人は何かを手放すことができません。

それを手放すと二度と手に入れることができないと思うからです。

これは過去にあった喪失感を二度と味わいたくない、ということに通じている例が多いようです。

また、不要なものを入手するのも得意です。

元々が大して必要性のない物を手に入れる傾向があるのも特徴。

大して必要性のない物というのは、必要性がないだけに管理責任が薄いわけです。

不要な物に対しては責任を負う必要がないですから。

そのくせ手放すことができません。

そうして、その部屋が「ゴミ屋敷」してきます。

部屋自体に関しても管理責任が薄いですからゴミの山に埋もれても平気なのです。

さてさて、これは目に見えるような物体に対してだけではありませんよ。

所有性が少ない人にとっては「自分の考え」を変えたり捨てることも困難です。

もちろん、断捨離はできません。

なので、断捨離というのは思いっきり所有性をアップさせるような悟りが必要になるでしょう。

明日が良い日でありますように。

ペリドット・星が導く・2019年2月26日

ペリドット(Peridot)
ペリドット(Peridot)

ペリドット・星が導く・2019年2月26日

ペリドットが出ています。

ペリドットに求めるのは「自分への自信を持つこと」。

ペリドットの働きはひと口に言って「元気になるストーン」これがポイント。

その結果、社交性や明るさがアップします。

そして更にその根本にあるのはマイナス感情の除去という癒し系の働きのため。

不安やイライラを鎮める系があり、そして更にプラス側へ転じる働きあるわけです。

カード:星

良いカードですよ!

これは「希望」の象徴。

くじけそうになっているなら、再チャレンジできるチャンス。

星を見て、それに突き進むという感じ。様々な悪い結果を引きずらず、目標だけ見て進んでください。

希望の光があなたを照らし続けているはずです。

アクションをやめず、信じた道を歩みましょう。

チャンスが訪れます!

憎悪に関する信じ難い話

誰かや何かを憎悪する、というのは人生の中でかなり無駄にエネルギーを使ってしまいます。

(もっとシンプルには何々が苦手、というのがありますね)

しかし、その「嫌がる」エネルギーをもっと創造的な活動に使えたらなあとつくづく思います。

ところで、誰かや何を憎悪するとき、その理由についてそこそこに根も葉もない、かも知れない、ということがありませんか?

自分自身がなぜそれを憎んでいるのか、ちゃんとした理由がある場合もあるでしょうが、そうでないこともあります。

で、はっきりした理由がわからない場合、もしかすると過去の「失敗」が関係する可能性あり。

もちろん、直接的にその対象に「罪を犯した」として、その償いに失敗している場合には「罪」とその「動機」として悪循環に陥っていることが普通です。

(これは何度も書いてきた通りです)

しかしもうひとつは、過去にそっくりさんを「助けそこなった」ということがあるかもです。

過去に誰か助けそこなった、というその相手やその状況と似たようなシチュエーションが現れると、反応的に現在と過去をごっちゃにしてしまうことがあります。(まったく気づかないでしょうが)

端的に書きますと、過去に助けそこなったAさんの「そっくりさん」(または何かどことなく似たところがある)が目の前にいる。という状況ですよ。

すると、過去の失敗が刺激され、嫌な気分になれます。

で、その嫌な気分の原因を「そっくりさん」へ向かう憎悪として持ってしまうことありです。

なんとなく「虫が好かない人」、とにかく苦手な誰か、というのはこういったことが原因になることがあります。

「そっくりさん」はお気の毒なものです。

これの治し方は・・・

過去に助けることに失敗したその場面を見直すことです。

このあたり、ペリドットの使用は役立つかもですね。

ペリドットの癒しの更に根本は、何を隠そう「物事の本質を冷静に見て、分析する力」ですよ。

まあこんなややこしいことは意味辞典には書いていませんけれど。

明日が良い日でありますように。

ストロベリークオーツ・努力の実り・2019年2月25日

ストロベリークォーツ(strawberry-quartz)
ストロベリークォーツ(Strawberry-quartz)

ストロベリークオーツ・努力の実り・2019年2月25日

ストロベリークオーツが出ています。(意味辞典に未記載)

ストロベリークオーツに求めるのは「チャンスをつかむ」「活力・生命力」。

生命力を力強く引き上げてくれる働きがあります。このパワーは自分自身の活力を通じて周囲にまで影響を及ぼすでしょう。

これを応用して、引っ込み思案対策にも使えます。その意味ではビジネス系での使い方も考えられますよね。

また、根本的に「自信を取り戻す系」の働きを持ち、引っ込み思案になるような思考、たとえば自信喪失をセーブする働きがあることを覚えておきましょう。

カード:ペンタクルの女王

良いカードですね。

これまで育んできたことが実りを迎えようとしています。

誰にも認められることがなかったような努力が結果となって現れてくるでしょう。

一見はうまく行きそうになかったことや理解が得られなかったことが急展開を見せて発展する可能性があります。

ですから、今していることに自信を持って、そしてチャンスと見れば尻込みせずに発表することにしましょう。

自分が自分を信頼するのは今ですよ。

謝っちまおう

先週はかなりなスペースを割いて「罪」について書きました。

今回はその追補として記します。

さて、以下のような言葉があります。

自分の間違いに気づいたとき、素早く心から謝ることは、高潔な人格をとても必要とする行為である。

(スティーブン・R・コヴィー)

これ、「高潔」とか言わずとも「間違ったら謝ろう」と言うシンプルな話。

罪を修正する第一歩です。

さてそこで・・・

以前のコラムで「問題は持続する」ことを書きました。また状態が持続するところには問題が存在すると。

さて、無知や過失だろうがなんだろうが罪を犯していることに気づき、それを放置しておくことは「問題の持続」にほかなりません。

イヤ〜な気分のまま持続します。

ことによっては「バレやしないか」とヒヤヒヤしたり、その罪に関連する話題に入っていけず、そして自分から遠ざかるようになります。

で、ことによっては被害者を非難さえし、正当化のためにはまた罪を犯すわけです。

ね、これが問題の持続です。

ですからまず「謝る」というのは問題を解消する第一歩なんですよね。

楽になります。心のつっかえがなくなります。

無知や過失は誰にもであるでしょう。

罪の後にそれを正せるか否か、楽に人生を送れるか送れないか、それはその人次第ということになります。

罪を正せないということは、生きているまま地獄にいるようなものです。

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・復活のとき・2019年1月10日

 

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「やる気」。

カーネリアンは結構複雑な働きをするパワーストーンですが「やる気」を引き出すことは中でももっともシンプルな表現と言えます。

そもそも「やる気」というのは、自分の中にある「足を引っ張るマイナス感情」が最大限の邪魔物。

カーネリアンはその邪魔物に抵抗するエネルギー源であったり癒しであったりの役目を負っているようです。

カード:審判

良いカードです。

このカードの意味は「審判」というよりも実質的には「復活」とか「再起」に近い感じがあります。

人生を全く新しくスタートさせる、そんな時期に突入です。

様々な苦境や破綻を経験しながらも、それらの苦難が払拭されるといった覚醒があるようです。

そこで、過去に負けが込みすぎたゲームの記憶に引きづられぬよう、新しい人生に向かってのやる気を発揮するとき。

この再スタートに気づかずぼやっとしていてはなりません。動き回るなら今です。

ゲームと人生

ここでゲームというのは人生の中で目標の奪取に向けて取り組んだこと、とします。

(で、退屈な人生というのはゲームがないからです)

しかしいつもゲームでゴールを達成できるとは限りませんよね。

人生の中には様々な失敗があります。

自分のせいでなくとも突如として障害が立ちはだかり、ゴールをゲットできないということはあり得ます。

しかし人は、ゲームに負けが込みすぎると自分で新しくゲームを設定することをしなくなります。

これは要するに感情のレベルでは保守的より下に位置します。

で、自分はゲームに参加せず、人のゲームを眺めます。

そして自分は感情のレベルとして保守的以下ですから、人のゲームに対するコメントも、そうした低い感情のレベルで応答することになります。

人間、ヒマになるとろくなことをしません。「小人閑居し不善を為す」です。

誰かの行動に対する「炎上」というのは、退屈、敵対心、怒り、秘めた敵意あたりにいる人達が中心になっていることがわかるでしょう。

(ただし、その誰かさんのゲームが倫理的で正しいかは別問題ですよ)

人のゲームにとやかく言う前に、自分の人生の中にゲームを設定すべしですね。

ゲームを設定すれば,、それは感情のレベルとして「強い興味」にいることになります。

そうすると、人のゲームをとやかく言う暇がなくなるでしょう。

自分のゲームに一生懸命な人は炎上に加担している暇はありません。

「でもなあ、ゲームと言ってもやる気がなあぁ〜」と言うとき、これは自分で考えて自分でお尻を叩くのは間違いではないでしょう。

カーネリアンをお供にしてください。

明日が良い日でありますように。