カーネリアン・復活のとき・2019年1月10日

 

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「やる気」。

カーネリアンは結構複雑な働きをするパワーストーンですが「やる気」を引き出すことは中でももっともシンプルな表現と言えます。

そもそも「やる気」というのは、自分の中にある「足を引っ張るマイナス感情」が最大限の邪魔物。

カーネリアンはその邪魔物に抵抗するエネルギー源であったり癒しであったりの役目を負っているようです。

カード:審判

良いカードです。

このカードの意味は「審判」というよりも実質的には「復活」とか「再起」に近い感じがあります。

人生を全く新しくスタートさせる、そんな時期に突入です。

様々な苦境や破綻を経験しながらも、それらの苦難が払拭されるといった覚醒があるようです。

そこで、過去に負けが込みすぎたゲームの記憶に引きづられぬよう、新しい人生に向かってのやる気を発揮するとき。

この再スタートに気づかずぼやっとしていてはなりません。動き回るなら今です。

ゲームと人生

ここでゲームというのは人生の中で目標の奪取に向けて取り組んだこと、とします。

(で、退屈な人生というのはゲームがないからです)

しかしいつもゲームでゴールを達成できるとは限りませんよね。

人生の中には様々な失敗があります。

自分のせいでなくとも突如として障害が立ちはだかり、ゴールをゲットできないということはあり得ます。

しかし人は、ゲームに負けが込みすぎると自分で新しくゲームを設定することをしなくなります。

これは要するに感情のレベルでは保守的より下に位置します。

で、自分はゲームに参加せず、人のゲームを眺めます。

そして自分は感情のレベルとして保守的以下ですから、人のゲームに対するコメントも、そうした低い感情のレベルで応答することになります。

人間、ヒマになるとろくなことをしません。「小人閑居し不善を為す」です。

誰かの行動に対する「炎上」というのは、退屈、敵対心、怒り、秘めた敵意あたりにいる人達が中心になっていることがわかるでしょう。

(ただし、その誰かさんのゲームが倫理的で正しいかは別問題ですよ)

人のゲームにとやかく言う前に、自分の人生の中にゲームを設定すべしですね。

ゲームを設定すれば,、それは感情のレベルとして「強い興味」にいることになります。

そうすると、人のゲームをとやかく言う暇がなくなるでしょう。

自分のゲームに一生懸命な人は炎上に加担している暇はありません。

「でもなあ、ゲームと言ってもやる気がなあぁ〜」と言うとき、これは自分で考えて自分でお尻を叩くのは間違いではないでしょう。

カーネリアンをお供にしてください。

明日が良い日でありますように。