「精神・感情面のサポート系パワーストーン」カテゴリーアーカイブ

精神、感情についての安定性とコントロールを取り戻すのに最適なパワーストーンのカテゴリー。多くのストーンがこの種の助けをできますが、状況に応じて最適な物を選びましょう。

アクアマリン・愛情を傾けよう・2018年11月9日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・愛情を傾けよう・2018年11月9日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに求めるのは「気持ちを素直に言う」こと。

引っ込み思案系の人には特におすすめですね。

それから、普段から言いたいことを言える人でも、言いたいことが相手にうまく伝わる意味でアクアマリンは役立ちます。

アクアマリンは、言いたいことを言ったとしても人間関係が悪化しないようにする能力がありますよ。

と言っても、暴言を吐いても大丈夫という意味ではありません。伝えることが上手になるのです。

さて、カードは「カップの騎士」。

ウフォー!またまた良いカード!

あらゆることがうまく進む!「あらゆることが」ですよ!

それも、自身が積極的に動くほどに、できないと思えていたことでもうまく行くのです。

ただしこれは今までの真面目な取り組み、愛情を傾けてしていたことに関してです。それらが実りを迎える時が来ているようですよ。

それから愛情系でも朗報。

告白するならこの時期です。誠実に、愛情を根本に持った行動を心がけてください。たとえ受け入れられなかったとしても(それは相手があることですから、あなたの人間性は高く評価され、総合的にはプラスに働きます。

このカードは特に、愛情が大切だと言っています。

再現すると消えてなくなること

受け取れない気分の正体(その2)

今回も非常に良いカードですが、ここでも受け取り下手の方のために記します。

前回の記事では「受け取れない」暗示について過去の出来事の中から全てピックアップすることを書きました。

更に、今回はコツを書きましょう。

暗示になることは全て「出来事」の形で記憶されていますよね。

「いついつのこと、親にこう言われた」といった形で出来事として扱います。

ぼんやりとニュアンスとして得ている形でなく、出来事として取り上げるのが最大の秘訣です。

これ、確かに嫌な出来事ですよ。しかし嫌がらないで客観的に単に出来事として取り上げます。

少し前のコラムで触れましたが、「嫌だと思っていると」それが付いて回る、と言う理屈を思い出してください。(嫌だと思っているうちはそれは消えません)

段々と薄くなる嫌な気分

人によってはその出来事は腹立たしく、ことによっては悲しいでしょうが、何度も繰り返し出来事を見ていると、感情のレベルが上がってきて「退屈」にまでは到達します。

これ、すでに嫌な気分が薄くなっている状態です。

実はこの嫌な気分と暗示が持続するのは、その出来事が「嫌だ」と思っているからなんです。

どうでも良い出来事ならば、印象に残らず消えており、暗示などの力は持ちませんから。

一言メモとして「嫌がるとそれが持続する」を記しておきます。

さて、それでは嫌でなくなる秘訣ですが、それはただひとつ・・・

その出来事を、確かにあったと単純に無抵抗に認めることです。

ここで「認める」と言うのは、あなたに対する理不尽な命令のことでなく、その事実があったと、確かに認めることです。

完全に認めることができたら、その出来事に関する嫌な気分は完全になくなります。

退屈な気分を通り越してしまうまで、その出来事を何度も思い返すことができたらかなりよしです。完全にはできなかったとしても、よしとしましょう。

そうすれば暗示の効力はかなり薄いです。

明日が良い日でありますように。

クリソプレーズ・根気よく進もう・2018年11月6日

 

クリソプレーズ(Chrysoprase)
クリソプレーズ(Chrysoprase)

クリソプレーズ・根気よく進もう・2018年11月6日

クリソプレーズが出ています。

クリソプレーズに求めることは「根気よく進むこと」。

何かにくじけそうになっても、クリソプレーズはそっとあなたを支え続けて助けてくれるでしょう。

実は「くじける」その原因は「どうせダメだ」とか「また今回も中途半端か」といった心に芽生えるマイナス要因が原因なのです。

クリソプレーズの「後押し効果」は、これらのマイナス要因を取り去ることで得られます。

ですから単に「やる気を起こす」といった効果とはちょっと異なりますよ。

さて、カードは「力(ちから)」。

局面としては「力」が必要そうなことに取り組んでいることを暗示しています。

大きなことにチャレンジしているのかもしれませんし、またグッとこらえて耐え忍ぶことが必要なのかもしれません。

いずれにせよ、力の行使にはコントロールが必要で、自分を信頼して正しく力を使うことが大切な状況です。

力の行使に気をつけよう

昨日のコラムで「問題が解決に向かうとき」の中の根本原理として「知っている〜考えている」の図式を書きました。

しかし、あれは実はわざと一段階飛ばしています。正しくは以下の通り。

  1. 知っている
  2. 見ている
  3. 感じている
  4. 努力 ←(これを追加)
  5. 考えている

そう、本当は「考えている」の上に努力があります。

さて、その「努力」というのは要するに「力」がそれを象徴します。

こうして見ると、「力」(努力)というのは問題解決にあたっては随分と下の方にありますよね。

不思議でしょ・・・

この状況を解説します。

まず、ある問題について「考え」ます。

あれってどうなんだろう、ううむよくわからない、どうしたらいいんだ?こうしたらいいのか、いや、ああしたら・・・いや、そもそもあれはどうなってんだ?

これが考えている状態+ちょっとした努力のような段階ですね。

そして、「これをどうにかしたいなら、実際に見てみる必要有りか?」と思います。

しかしそもそもが嫌な問題ですから、そこに「努力」がないとそれを見られません。

嫌なものの「フタを開ける」、これっていわゆる「ちからわざ」でしょ。嫌だろうがなんだろうが、障害を「蹴散らす」ことで進むことになります。

ですからそこで、大切なのはコントロールです。

他に波及する大きなとばっちりがないように要注意なんですよ。

「力」は基本的に「物体」とか「時間」「空間」に対して単にエネルギーとして影響を及ぼす行為に他なりません。

これに対して解決の最上位にある「知っている」状態では「力」を使いません。

例えば、お釈迦様が誰かを諭して正しい道へ導こうとするとき「力」の行使はありません

これは「知っている」状態として本当の問題解決に当たる典型的は姿です。

ですから「お釈迦様である偉い私の言うことを黙って聞いておれ!」とはなりません。権威や権力の行使はそのまま「力」の行使です。

ちなみに、お釈迦様が悟るまでは努力(力)が必要だったでしょうが、悟った後には何の努力も不要です。

(知っている=悟っている なのです)

それでも物質的にことを成そうとするなら「力」の行使が必要になる側面は必ずあります。

その時にはコントロールされた「力」でなくてはなりません。

「クリソプレーズで根気よく進む」というのは、やけになって無謀な力の行使をせず、コツコツと進んで行こうということです。

世の中を見渡して「コントロールされていない力」がどのように破壊的な影響を及ぼしているかを探してみてください。

明日が良い日でありますように。

ムーンストーン・本心と向き合おう・2018年11月5日

ムーンストーン(Moon-stone)
ムーンストーン(Moon-stone)

ムーンストーン・本心と向き合おう・2018年11月5日

ムーンストーンが出ています。

ムーンストーンに求めることは「本心と向き合うこと」。これは意味辞典には未記載の働きです。(それでもセレニティアスではこの働きとして使うことが多いです。)

少し前、ムーンストーンは女教皇のカードとの組み合わせで「リラックス」として取り上げましたが、今回は少し異なります。

ムーンストーンの癒し系としてのリラックスは、自分に正直になって肩の荷を下ろそう、ということから来る部分があります。

でも本質はすなわち「自分の本心と向き合う」ですね。

さて、カードは「女教皇」。

直感力が優れた時期です。実はこの直感の中に問題解決の糸口がありそうですよ。

そしてこれまで気づかなかったことを知るきっかけが与えられるという暗示も。

だたし、その事実が自分が気にいるような状況でないこともあり得ますよね。

そのようなときにはそれを冷静に受け取ること。事実を曲げようとしてはいけません。

事実を曲げて取るならことはこじれる一方ですよ。

今は正しく知ること、それは直感によってなされるようです。

嫌がるとそれがやってくる

「嫌がるとそれがやってくる」です。

これは逆も成り立っていて「認めると消えて無くなる」があります。

これ、どういうこっちゃと思いますが、本当のようですよ。

例えば頭痛が起こったとして、頭痛は嫌だ、頭痛にはなりたくない!と思うと頭痛がなかなか治りません。

もしも頭痛でないときに「頭痛は嫌だ」と頭の中で唱えると、人によっては頭痛を起こすことがあるのは不思議です。

今ある困難を解消したければ、まずそれの存在を認めよう、ということに繋がります。

これ、実際に病気や怪我の治癒と密接に関係するようで、痛いからといって患部を嫌がると治癒の進みが悪くなるようです。

問題が解決に向かうとき

問題というのは誰でもそれは「嫌だなあ」と思うのですが、嫌だと思って触らないでいると、問題は解消せずに嫌なままですよね。

そこで、その問題についてしっかり見て、そして完全に知ってしまうと、それはもはや、または実際には問題で無くなることがありますよね。

思っていたようなこととは全く違っていたとか、その問題なら解決策がありそうだとか・・・

これ、すなわち「認めると消えて無くなる」の原理です。

次に、この根本原理のひとつとして以下の記述を残します。

  1. 知っている
  2. 見ている
  3. 感じている
  4. 考えている

ある問題に対する姿勢として上の状況があります。問題を問題でなくすることができる度合いが大きい順に並んでいます。

その問題について、知らずに、見ずに、感じもせず考えているだけでは、それが良いように進展したとしても偶然です。大概は悪い方へ行くでしょう。

そして最上段の「知っている」は見ることの上にあるのに注目です。

このとき、知る手段に限定はありません。直感で知ろうが見て知ろうが同じですね。

ムーンストーンで本心と向き合うことは、自分自身に対して「知っている」レベルになろうということです。

知ってしまうと、そこにある「認めたくなかったこと」が消えてなくなりますよ。

もしも消えてなくならないのであれば、また完全に「知っている状態」ではないかもです。

明日が良い日でありますように。

チャロアイト・休むときには休むんだ・2018年10月26日

チャロアイト(Charoite)
チャロアイト(Charoite)

チャロアイト・休むときには休む・2018年10月26日

チャロアイトが出ています。

チャロアイトに求めるのは「癒し」。

チャロアイトは癒し系三大ストーンのうちのひとつ。

ですが意味辞典にもある通り、単に癒してくれるのではなく、自分のマイナス感情を自分でしっかり見つめ直すことから始まります。

そういう意味ではチャロアイトを癒し系として誰にでもおすすめすることはありません。

とにかく癒して欲しいとだけではチャロアイトは始動せず、なぜ癒しが必要になったのかという根本原因にまで遡れる人にだけ使えるパワーストーンと言えます。

さて、カードは「ソードの3/リバース」。

どうしようもないカードですね。

裏切られたり、努力が報われなかったりと、まったく思い通りには行きません。

その上に解決策をどうしても見出せないということになるでしょう。

どんなに不幸なことでも、それは受け入れるしかないということが確かにあります。

例えばまったく防ぎようのない災害にあったりと、人生の中には理不尽で逃れようのないことも多くあります。

抵抗するより受け入れて、それから考え行動するより道がないことも確かにあります。

何度も書きますが、「そこから抜け出る道は通り抜ける道」これしかないのです。

自分の人生を誰かに肩代わりしてもらうことはできません。

そして、時には本格的に休憩することも必要です。

その休憩がただただ単なる癒しに終わらぬよう、チャロアイトを取り上げてみました。

日本人の幸福感は収入より自己決定度で決まる

面白い記事がありましたので紹介いたします。

日本人の幸福感は収入より自己決定度で決まる

↑リンクです

これズバリ、タイトル通りです。

例えば、自分が進学する学校や職業の選択として、親とか誰かの言いなりになっているよりも自分で決定している人の方が幸福感が高いというデータです。

単に高学歴や高収入であるとかよりも自己決定をどれだけできているかの方が幸福には関連度が高いということです。

そこで少しアドバイス・・・

それじゃあ、人の言うことをまったく取り入れずに常に勝手なことをしていれば良いのかと言えば決してそうではありません。

例えば「誰かのコントロールを受け入れる」と言う場面において、それ自体を自分で決定して進めるのも自己決定です。

「よし、それではこの人の言うことに従おう」ということですね。

嫌だったけどしぶしぶ従った、という状況とは違うわけです。

実際、自己決定することは後々にかなり楽ですよ。

誰かのせいとか環境のせいにしない、というのは実は楽なことなのです。

そこで再び自己責任について

自己責任というのは、明らかに自己決定によって負う責任です。

ですからそもそもが自分以外の誰かから押し付けられるのは自己責任ではありません。

ですので「それは自己責任だ」と誰かに言われることは門違いではないでしょうか。もちろん誰かに言うことでもないと思います。

また、この話題の元になっている誘拐されたジャーナリストのことに関して書けば・・・

「なぜそんな危険地帯に行くのだ?」

との言い方がありますが、そこが危険地帯だと言うことは、誰かが行って知った情報が元になっているわけです。(このジャーナリストのような人が行って詳しく調べたからわかる話ですよね)

誰かが行かなければそこが危険地帯かどうかもわかりません。

「なぜそんな危険地帯に行くのだ?捕まっても知らないよ」と言う人は、誰かの自己責任にただ乗りしているにすぎません。それは実際には無責任なのです。

なぜジャーナリストは危険な地域に行く?

ピュリツァー賞受賞の報道写真家は、悲惨な現実を伝える理由を

あなたの目となり、彼らの声を代弁したい。現場に足を運び、世界の目となり、起きていることを見せたい。そうすれば誰も‘知らなかった’とは言えませんから

と話す。

明日が良い日でありますように。