ブロンザイト・直感に従おう/ペンタクルの4

2017年1月11日 ブロンザイト・直感に従おう/ペンタクルの4

そこそこに全体として充実している様子。

そしてそれに関して守りに入っていることがありそうですね。なにせ順調に進んでいるようですから。これというのも今までの地道な努力の賜物のようですよ。

ところが思いがけない話が舞い込み結論に迷うことがありげです。もしかしたら大きなチャンスかもしれませんので悩みどころです。

この件に関しては周囲のアドバイスよりも自分の直感を優先してください。その方が後悔がなさそうです。

このようなときにオススメのパワーストーンはブロンザイト。(意味辞典に未記載)

ブロンザイトに求めるのは「自分の本心を知ること」。持ち主の精神的に安定させ「自分は何者である!」「私のする事はこれだ」という確固たる「自我」が芽生えてきたら、今度は自分の過去世の時間をたどるナビゲート役となってくれます。

決定と努力・エネルギーの関係

昨日は「努力の上には決定が必要」ということを書きました。本日はその続きになります。

さて、努力には必ずエネルギーが伴います。

決定にはエネルギーは必要ありません。しかし決定は努力の上位にあります。

決定を欠いていると努力が空回りします。

ところが多くの場合、決定と努力をごちゃ混ぜにしていることが多いのです。

決定とは、決して「強く願う」ことではありません。強く願うのはどちらかといえば努力に近いです。そして、強く願うときには何らかのエネルギーが発生しているようですが、そのエネルギーの働く先が不明瞭です。エネルギーは理にかなった使われ方をしなければ、害にはなっても役立つことはありません。

また、エネルギーを使うとき、必ず反作用や副次的な作用が起こります。なので、エネルギーは正しい使い方をしなければ反作用や副次的な作用だけを引き受けることになってしまいます。

これを簡単な例として「机を移動させる」という状況で見てみます。

机を移動させるにはエネルギーが必要ですよね。机をゆっくり持ち上げて、机の脚がカーペットを傷つけないようにそろりと希望の位置に移動させます。まさにこれは努力です。反作用として机の重みが手に加わり、そして副次的にはカーペットにある程度の跡が残るかもしれません。

ところが、この机を蹴飛ばして移動させたらどうなるでしょう?

蹴飛ばすこともエネルギーを伴った努力であることに変わりはありません、しかしこれだと机そのものが壊れるかもしれませんし、カーペットをダメにしたり、ことによっては机を蹴った足に怪我をするかもしれません。そして最初の決定「机が希望する位置にある」にはならないでしょう。これだと最初の決定を得られないままに反作用と副次的な結果だけが残ります。

努力とエネルギーは、元々がこのように物理的な事柄です。

そして、知恵というのは「決定」に向かう努力とエネルギーの使い方をどれだけ正確に見積もれるかどうかにかかっています。だから机を蹴って移動させる人を世間では「バカ」と呼ぶわけです。

それでは、「決定」ということの正体はなんだろう?と思いますよね。

これは本当に文字通りの決定でしかありません。

「決定」がしっかりしていると、そのための努力も努力と感じずにどんどん「決定」に近づけます。

これは多くの人が体験しているはずですよ。

多くの場合、好きなことをしているときがそれです。

あるとき、その「好きなこと」をしている最中に何かひらめきます。

「あ、そうだ!こうしよう」

このひらめきは、何かエネルギーを注入したから出てきたのでしょうか?そうではないことを多くの人がお分かりと思います。何らエネルギーを伴わず、純粋に「思考」なのです。

「あ、そうだ!こうしよう」と、言葉としては「こうしよう」ですが、実際にはその「こうしよう」の「こう」が思い描けていてその完成状態があるはずです。そしてそれを得るためにあれやこれやの努力でエネルギーを使いますが、そこには努力している気分も我慢している気分も、何か根性が必要なことをしている気分もないでしょう。もう努力などという感覚はありません。完成状態が待ち遠しいだけでワクワクしています。

この、好きなことをしているときの「あ、そうだ!こうしよう」の決定は完全な「自己決定」です。これがうまくいく秘訣です。

ところがこの「こうしよう」を誰かに決定されたとしたらどうでしょう。全面的に同意があれば、それに従うという自己決定と言えるでしょうが、ことによっては渋々それに従うということもあり、これは辛い努力と辛抱、根性が必要になることが多いですよね。

長くなりました。今夜はこのへんで。

明日が良い日でありますように。