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パワーストーンセレニティアスのオーナーです。パワーストーンの言葉を聴いてお客様にフィッティングする仕事をしています。

クンツァイト・慈愛で接しよう・2018年12月12日

クンツァイト(Kunzite)
クンツァイト(Kunzite)

クンツァイト・慈愛で接しよう・2018年12月12日

クンツァイトが出ています。

クンツァイトに求めるのは「慈愛」。

まあこれ、ひと口に慈愛っつーても難しいっすわ!

意味辞典のクンツァイトのページにあるように、まずは「自分自身を十分に愛していなければならない」という条件がクンツァイトの使用について回ります。

自分を愛すると言っても、化粧をしたり着飾ったり高級車に乗ってもダメですよ。それらはみな単なる物体です。

物体で物体をなんとかしようとしている限りは自分で自分を愛せません。

さて、カードは「カップの女王」。

良いカードです。

前回「悪魔」が出たのをどうにかうまく切り抜けたのかもですよね。

慈愛心、母性、博愛的な精神が強まる時期にあるようです。

あらゆる問題について、愛情を持って接することで解決に向かわせることができます。

また逆に、愛情系として告白されたり、パートナーとしての絆が深まる出来事が起こることもあり。

いずれにせよ、愛情系として良い状態に向かっていることは確かです。

取り付けられた人格について

前回は催眠的に人格を植え付けられ、それが執着として働くことがあることを書きましたが、今回はもう少し具体的に記しておきます。

その「植え付けられる人格」は、その人の意識レベルが低い時にくっつきやすいことを書きました。

「意識レベルが低い」とは?

「完全に覚醒している状態」から「意識不明」の状態は段階的に変化し、意識がある/ない、というスイッチのON/OFFのような状態ではありません。

覚醒状態から無意識(意識不明)まで徐々に変化するということです。

完全に気を失って反応しない状態は「完全な無意識」と呼べるでしょう。昏睡状態とかです。

呼びかけにかろうじて反応するというのはかなり意識レベルが低い状態。

ちょっとばかり「ぼぉ〜としている」のは完全な覚醒よりも意識レベルが低い状態ですね。

例えば病気やケガで寝ているような状態。

他、ケガをして我に帰るまでの短い時間も無意識です。ケガをしたその瞬間、一体何が起こったのかわからない、というこの時間です。

それからケガの痛みに耐えるという時間もそこそこ意識レベルは低いです。

何が催眠として働くか?

さて意識レベルが低いとき、その周りでは人々が様々なことを話しているかもですよね。

自分自身に向かって話しかけていることもあれば、誰かが自分以外の誰かに対して話しているかもしれません。

例えば誰かが自分以外の誰かに向かって「バカだなお前」と話していたとします。

これ、覚醒時に聞けば自分に言われているとは取りませんが、意識レベルが低いと文脈などに関係なしに単に「お前はバカだ」と自分が受け取ります。

これ、信じ難いようですが本当なんですよ。

もしも、自分が病気で寝ているそばで、誰かが誰かに説教をしているなんて場面は非常にまずいのです。

例えば意識レベルの低い人に聞こえるところで「だからいつも人の世話になろうとするな!」とかと誰かが誰かに説教しているなんて最悪です。

「男なんて誰も信じられないわよ」
「大人なんてみんなそんなもんだよ」
「死ぬ気でやるしかない」

例えばこれらのような何気ない発言が、人生の方向を決定するような催眠となって受け取りやすいです。

自分に言われていないのにですよ。

恐ろしく他愛のない、自分に関係のない話でもそもまま無抵抗に受け入れるのが意識レベルの低い状態の特徴です。

ですから、意識レベルの低い人がいる周りでは、余計な話をしないこと、です。

明日が良い日でありますように。

モスアゲート・執着を捨てる・2018年12月11日

モスアゲート(Mos-agate)
モスアゲート(Mos-agate)

モスアゲート・執着を捨てる・2018年12月11日

モスアゲートが出ています。

モスアゲートに求めるのは「執着心を捨てること」。

ひと口に言って「自己反省のストーン」です。

自分自身のまずいところを再確認・・・これを強制的にするという、それは恐ろしいストーンですね。

ところが改めようと思えばこうしかない、ということもままあります。

まあ、そう大きく考えることでなくとも「このままではまずいよなあ」と思い当たるフシがあるなら、モスアゲートで少し具体的に掘り下げてみましょう。

さて、カードは「悪魔」。

悪魔です、アクマ、あくま。

一体どういうことでしょうね。

何かまずいことが起こるのではないかと心配するには及びません。

悪魔のカードが意味するところは「自分自身の心にある悪魔の発動」です。

ですから自分自身が何とかすれば何とでもなるということです。

心の中にある悪いことを列挙してみてはいかがでしょうか?

嫉妬、偽善、嘘、堕落、怠け心、他人を顧みない言動、暴力的な考え、詐欺、言い訳、無責任、とりあえず悪意・・・

まあこんなところでしょうか?

これらって自分で治そうとすればどうにかなります。

これらはすべて間違った執着心から起こることのようです。

執着を捨てれば、非常に晴れ晴れとした気分になりますよ。

執着についての考察

悪魔のカードに関連して執着について記します。

突然ですが、お釈迦様の教えの中枢にあるのが「執着を捨てる」ですね。

普通に執着といえば、大辞林としてはこのように・・・

ある物事に強く心がひかれること。心がとらわれて,思いきれないこと。

これ、良いことに心を強くひかれるならばそれで良いのですが、悪いことにも心ひかれるのが人間です。

非常にシンプルな例えとして「窃盗犯」。

働くよりも窃盗する方が良い、というおかしな執着があるわけです。

こんなのはもう単純に判断ミスですよね。そりゃマズイだろ、ということがわかっていない。(わかっているならもうヤケクソですね)

しかしながら、ダメとわかっていながら心が突き動かされるような執着もあります。

例えば嫉妬とか。「嫉妬の炎」と言った表現でこれを表していますね。

いじめは悪い、とわかっていても弱い者いじめしてしまう、ということもあるでしょう。

このように、心が突き動かされてしまう執着のタイプの原因として、その人の人生の過去の出来事が大きく関係することがわかっています。

その出来事の中で、自分で理解できるような場面ならその影響から脱することは比較的簡単なのですが、なかなか難しいのがかなりな意識低下があった時に刷り込まれたような「人格の規定」です。

これ、ほとんど催眠と同じに働きます。

(このことはこのコラムでも幾度となく触れています)

さて、例に挙げた窃盗犯ですが、悪いこととわかっていても心が突き動かされるようにやってしまう、という人がいるのは確かです。

このような場合、どうも過去の人生の中に刷り込まれた「窃盗犯の人格」というようなことがあると思えます。

例えば・・・「お前は働けないよ」とか「〇〇ならば窃盗犯になっちゃうぞ」とかという台詞が意識朦朧とした状態でささやかれると、それがまるで催眠術のような効果をもたらし、後になって反応的に働きます。

このような催眠効果は理性の検閲を簡単に突破し、反応的な行動に移ります。

これが窃盗という実質的な行動でなくとも例えば感情的には「嫉妬」や「憎しみ」という感情の発動にも現れます。

これ、各自にそんな催眠状態がないか、個人的に探すのはかなり難しいとは思います。

が、ひとつのヒントとして、何か衝動的にしてしまう理不尽な反応(行動や感情)があるとすれば疑ってみても良いでしょう。

これに関して過去に一体何があったのか?・・・

これを探し出しておぼろげながらでもその物語がわかれば、その分だけ「反応の力」は緩くなります。

「何があったのか」これって壮大なドラマでなく、超くだらないことの方が圧倒的に多いですよ。

それから、これらの執着を消す他の方法として・・・

理性と倫理観を徹底的に増強させる・・・これも方法です。(みもフタもないかもですが)

お釈迦様的には、どちらかと言えばこれではないかと思われます。

明日が良い日でありますように。

ジェダイト・チャレンジの準備を・2018年12月10日

ジェダイト(Jadeite)
ジェダイト(Jadeite)

ジェダイト・チャレンジの準備を・2018年12月10日

ジェダイトが出ています。 ジェダイトに求めるのは「気力をためること」。

意味辞典では触れられていない使い方ですね。

そこで、ジェダイトの基本的な働きとして「精神安定」それと「イメージと行動を一致させる」「新たな発想力を刺激する」ということがあります。

その結果、どういうことができるといえば、やろうと思っていることをきっちりと思い描き、そしてそれを実行できる状況にすることです。

これすなわち、何か行動を起こすたための「気力をためる」です。

まずは精神安定がないと考えがまとまらず右往左往したままですよね。そこでまずは精神安定を。

それができれば新しい発想を得て、そのイメージを行動に移せる準備ができるということです。

これをひと口に言って「気力をためる」とします。

精神不安定では気力がたまらんです。

さて、カードは「カップの4」。

このカードに関してはリバースの方が単純に良いのですが、正位置はちょっとアドバイス含みですね。

状態としては「閉塞感」「欲求不満」という感じ。

そしてそこから抜け出したいとは思っている様子。

またそこまで思っていなくても「退屈感」はある感じ。可能のレベルとしては高くないです。

身の回りに様々なマンネリ感があり、新しい場所に進出するべきだろうかと心のどこかにそのような考えを持っていることも。

ただ、そのまま感情のレベルが低い状態でアクションを起こすべきではないでしょう。

ここはちょっと気力をためて、現状把握とチャレジの準備をしましょう。そういう意味で「気力をためる」のジェダイトがオススメ。

人前で話すときのヒケツ

カードによるとちょっとした退屈タイムに突入のようです。

そこで今回は「へえ!」な話題を振っておきます。

様々な場面で「一人〜大勢」の前で話をしなければならないことがありますよね。

仕事の会議、プレゼン、商談、日常生活の小グループなど様々な場面で、そこで説得力を持って相手に話をする必要に迫られます。

これは苦手な人がいらっしゃるでしょう。ビビっちゃいますか?

ここに秘訣を記しておきます。

「聴衆の後ろにあなたの旗を立てる」

これだけ。

説明します。

会社の会議室でも「日本武道館」でも良いですが、その空間内にいる聴衆を自分が作った空間の中に入れます。

具体的な方法は、「自分の旗をモックアップし、その旗を何本か立てて自分の空間を形成します」

会議室なら、その部屋の四隅に自分の旗をモックアップし「これは自分の空間である」と決めてください。

で、聴衆の方はその空間の中にいる形です。

日本武道館でも同じ理屈です。

慣れれば特に「旗」は必要ありません。とにかくそこは自分の空間であることをモックアップし、その中いに人々が居ればOKなのです。

これは話が自分と相手の一対一でも同じ。

それから、話すことでなく会社の面接、採点式の競技会などでも同じ理屈です。

「相手を自分の空間に入れる」です。

話が上手い人、人前でも上がらない人など、知らず知らずに上の方法を使っているようです。

「手のひらに、人と書いてそれをなめる」

これよりもよほど効果的なのでお試しあれ。

明日が良い日でありますように。

グリーントルマリン・常識と公平・2018年12月7日

グリーントルマリン(Green-tourmaline)
グリーントルマリン(Green-tourmaline)

グリーントルマリン・常識と公平・2018年12月7日

グリーントルマリンが出ています。(意味辞典に未記載)

グリーントルマリンに求めるのは「公平さ」。

グリーントルマリンは基本的に癒し系のストーンですね。

それに公平さを求める意味として博愛的な慈愛をもたらすことがあります。

自分が癒されてないと他に慈愛をもたらすのは難しいでしょう。

厳しい状況にあっても神経をなだめてちょっと落ち着こう、という時にトルマリンは役立つパワーストーンです。

神経をなだめることができれば、正常な判断力も戻り公平な考えもできるでしょう。

さて、カードは「法王」。

少しアドバイス色があるカード。

より正しい行いを選択しさえしていれば、必ず道は開けることを示唆しているカードです。

人は誰でも迷うことがありますが、自分を含めた最大多数の人々にとっての幸福につながる方を選択する、これが最も間違いのない選択となります。

これを簡単に書けば、より良い妥協点を見つけるように努力する、となるでしょうか。

ま、人生すべてこれかもです。

ただ間違ってはいけないのは、単なる妥協ではなく、総合的により良い妥協点を見つけることです。

総合的により良い妥協点を選ばなかった文化、文明は短命に終わります。

今の状況は「常識と公平」を保って進むとき。迷ったらこれに尽きます。

「罪」について改めて考察

今回の話題は上に書きました「より良い妥協点」に沿って進めます。

犯罪というのは何を隠そう、多くの人にとって迷惑な行為に他なりませんよね。

これ、すなわち「多数の人にとってより悪い妥協点」を選択した状態です。

参考までに、よく出る生存の多重円の通り、ひとつの円だけに突出して益をなして他の多数の円に害をなすのが罪です。すなわちより悪い妥協点のことです。

▼参考リンク

生存の多重円(生存の包含関係)

例を出せば、国の存亡のために人が死ぬ、ということがあります。いわゆる戦争ですが、非常にシンプルに国というグループを支えている個々の人を死なせてしまっては、国そのものが滅びるという仕組みです。

「お国のために死ぬ」は大きな考えちがいであるどころか、それは罪だとここに明記しておきます。

他の例では、生存の多重円に見る生物界に害をなすような公害物質を垂れ流せば、巡り巡って人間生活に悪影響が及びます。

ね、どちらも結果的に文明や文化が破壊されることになってますよね。

一体何が罪なのか、それがなんで罪なのかは、生存の多重円として全体が良くなるための妥協点の取り方に間違いがないかで判断できます。

ところでなぜ妥協点と書いているのか?・・・

これはシンプルに、生存の多重円の全てにムラなく誰一人として我慢してもらう必要がないような行為というのはほとんどないからです。

これ、いわば「民主主義」ということを表していますね。多数決とはちょっと違います。

ここはちょっと考えてみてください。

明日が良い日でありますように。