モスアゲート・執着を捨てる・2018年12月11日
モスアゲートが出ています。
モスアゲートに求めるのは「執着心を捨てること」。
ひと口に言って「自己反省のストーン」です。
自分自身のまずいところを再確認・・・これを強制的にするという、それは恐ろしいストーンですね。
ところが改めようと思えばこうしかない、ということもままあります。
まあ、そう大きく考えることでなくとも「このままではまずいよなあ」と思い当たるフシがあるなら、モスアゲートで少し具体的に掘り下げてみましょう。
さて、カードは「悪魔」。
悪魔です、アクマ、あくま。
一体どういうことでしょうね。
何かまずいことが起こるのではないかと心配するには及びません。
悪魔のカードが意味するところは「自分自身の心にある悪魔の発動」です。
ですから自分自身が何とかすれば何とでもなるということです。
心の中にある悪いことを列挙してみてはいかがでしょうか?
嫉妬、偽善、嘘、堕落、怠け心、他人を顧みない言動、暴力的な考え、詐欺、言い訳、無責任、とりあえず悪意・・・
まあこんなところでしょうか?
これらって自分で治そうとすればどうにかなります。
これらはすべて間違った執着心から起こることのようです。
執着を捨てれば、非常に晴れ晴れとした気分になりますよ。
執着についての考察
悪魔のカードに関連して執着について記します。
突然ですが、お釈迦様の教えの中枢にあるのが「執着を捨てる」ですね。
普通に執着といえば、大辞林としてはこのように・・・
ある物事に強く心がひかれること。心がとらわれて,思いきれないこと。
これ、良いことに心を強くひかれるならばそれで良いのですが、悪いことにも心ひかれるのが人間です。
非常にシンプルな例えとして「窃盗犯」。
働くよりも窃盗する方が良い、というおかしな執着があるわけです。
こんなのはもう単純に判断ミスですよね。そりゃマズイだろ、ということがわかっていない。(わかっているならもうヤケクソですね)
しかしながら、ダメとわかっていながら心が突き動かされるような執着もあります。
例えば嫉妬とか。「嫉妬の炎」と言った表現でこれを表していますね。
いじめは悪い、とわかっていても弱い者いじめしてしまう、ということもあるでしょう。
このように、心が突き動かされてしまう執着のタイプの原因として、その人の人生の過去の出来事が大きく関係することがわかっています。
その出来事の中で、自分で理解できるような場面ならその影響から脱することは比較的簡単なのですが、なかなか難しいのがかなりな意識低下があった時に刷り込まれたような「人格の規定」です。
これ、ほとんど催眠と同じに働きます。
(このことはこのコラムでも幾度となく触れています)
さて、例に挙げた窃盗犯ですが、悪いこととわかっていても心が突き動かされるようにやってしまう、という人がいるのは確かです。
このような場合、どうも過去の人生の中に刷り込まれた「窃盗犯の人格」というようなことがあると思えます。
例えば・・・「お前は働けないよ」とか「〇〇ならば窃盗犯になっちゃうぞ」とかという台詞が意識朦朧とした状態でささやかれると、それがまるで催眠術のような効果をもたらし、後になって反応的に働きます。
このような催眠効果は理性の検閲を簡単に突破し、反応的な行動に移ります。
これが窃盗という実質的な行動でなくとも例えば感情的には「嫉妬」や「憎しみ」という感情の発動にも現れます。
これ、各自にそんな催眠状態がないか、個人的に探すのはかなり難しいとは思います。
が、ひとつのヒントとして、何か衝動的にしてしまう理不尽な反応(行動や感情)があるとすれば疑ってみても良いでしょう。
これに関して過去に一体何があったのか?・・・
これを探し出しておぼろげながらでもその物語がわかれば、その分だけ「反応の力」は緩くなります。
「何があったのか」これって壮大なドラマでなく、超くだらないことの方が圧倒的に多いですよ。
それから、これらの執着を消す他の方法として・・・
理性と倫理観を徹底的に増強させる・・・これも方法です。(みもフタもないかもですが)
お釈迦様的には、どちらかと言えばこれではないかと思われます。
明日が良い日でありますように。