「精神・感情面のサポート系パワーストーン」カテゴリーアーカイブ

精神、感情についての安定性とコントロールを取り戻すのに最適なパワーストーンのカテゴリー。多くのストーンがこの種の助けをできますが、状況に応じて最適な物を選びましょう。

クリソプレーズ・公平に判断して待つ・2019年5月9日

クリソプレーズ(Chrysoprase)
クリソプレーズ(Chrysoprase)

クリソプレーズ・公平に判断して待つ・2019年5月9日

クリソプレーズが出ています。

クリソプレーズに求めるのは「中立・公平」「熟考」。

基本的には癒し系的に、感情の波を沈める方向にあり、極端な選択を避けて中立、公平な判断力を呼ぶことができます。

感情がたかぶり過ぎてのイケイケな判断ミス、そして気分が落ち込んでしまっているとき、あまりにまずく物事を捉え過ぎるいうことを対策できます。

正しい判断には、感情の安定化が先決でしょう。

そのためにはまず、クリソプレーズのような癒し系のストーンが登場することが多いわけです。

カード:ソードの2

これは難しい、良し悪しをひと口に言えないカードです。

ただしまあ、結果オーライという感じでしょうか。

今の状態はどちらかと言えば「待ち」。

問題を抱えてはいるのですが、それは今のところ小康状態。

これをどうしようかと考えあぐねていますが、実のところ本心ではある程度の結論を得ている様子。

何かアクションを起こすようなきっかけが向こうからやってくるのを待っている感じがあります。

しかしながら、いずれにせよどうするか「選択」しなければならないのは確か。

そして最終的に答えが出るでしょう。

その選択について大切なのが「中立・公平」そして「熟考」です。

そこでクリソプレーズを取り上げました。

「冷蔵庫の中」

前回の記事で「手放せない」ことについて「知っている」のスケールを例に取り憑かれた「コレクター」について書きました。

今回はもう少しわかりやすい例を記します。

復習ですが、「知っている」のスケールとは様々なことや問題に対する態度です。

当然ですが、最上位の「知っている」が物事に対しての処理力は高いわけです。

  • 知っている
  • 見ている
  • 感じている
  • 努力
  • 考えている
  • シンボル
  • 食べる
  • etc.

さて、取り憑かれたコレクターとして「冷蔵庫の中身を捨てられない人」を取り上げます。

ね、もう食べられなくなった食材が冷蔵庫に多量にある状態です。

これは単なる怠惰でしょうか?そうかもしれませんが・・・

冷蔵庫の中身についてその人が「知っている」という状態ではないでしょう。

最初は「知っている」状態でそれを買いました。

しかしそのうち、いつ入れたかわからず、実は何が入っているかもわからず、どれが期限内かどれが期限切れか・・・わからず。

そのあたりは「知っている」とはほど遠いわけです。

手放すことができないのは、単にそのことについて「知っている」のレベルにないからですよ。

最初、たった今スーパーで買い物してきたあれやこれ、それらが冷蔵庫にしまわれます。(ここではまだ最高位の知っている、です)

そして冷蔵庫を開けてそれらを「見ている」状態となり、どんどんスケールを下がって「食べる」に行き着きます。

途中には捨てようかどうしようか「考える」というレベルも通過していますよ。

そしていつか食べるつもりの備蓄食料だ、ということの「シンボル」としての扱いもあるでしょう。

そして最終的に食べていないのに「食べる」です。

「食べる」というのは消費のことですよ。

腐らせて消費してしまったのです。

冷蔵庫の中に、部屋の中に、そこに手放せない物があるとすれば、その対象について「知っている」のレベルにないわけです。

もう知るのが嫌で「見る」ことさえ拒絶ってことがありませんか?

それじゃあ手放すことなんてできませんよね。

ちなみに、「食べる」のもっと下には本来は「ミステリー」という段階があります。

これ、本当に何ヶ月も掃除や整理したことのない冷蔵庫の一角を表します。

何があるのかマジわからないという「ミステリー」でしょ。

(ゴミ屋敷も同じです)

それでは明日が良い日になりますように。

ジェダイト・手放すとき・2019年5月8日

 

ジェダイト(Jadeite)
ジェダイト(Jadeite)

ジェダイト・手放すとき・2019年5月8日

ジェダイトが出ています。

ジェダイトに求めるのは「手放すこと」。

ジェダイトは日本では硬玉翡翠(こうぎょくひすい)ですね。

古くから勾玉(まがたま)の素材として使われていたアレです。これは主にお守り的な使われ方として防御系が多いようです。

それから意味辞典で触れられている働き以外に大切なものとして、「手放すことをいとわない」があげられます。

この手放すことですが、その根底にあるのは何と言っても「合理的な判断力」のことです。

カード:ソードの3/リバース

うわ、久々に悪いしらせ。このカードは表裏でどちらも良くない系として分類できるかもです。(捉え方は歴代の占者によって様々あり)

しかし総体としては・・・

うまく解決できない問題について消化不良気味。

「ええぃ、どうしようもないなあもう・・・」

「あああ、これはダメかもなあ、修復不能か・・・」

そんな思いに駆られているかもです。

が、裏の方がましかなあ。自分の考え方ひとつで将来を良い方に変えられる見込みあり。

というか、もうこの際はチャンスと見ましょう!

どうしようもなくなったことに、いつまでもウジウジしていてもムダ!

次のアクションを考えること、これに尽きます。

そのためには「手放すこと!」

何の役にも立たないマイナス感情を手放す!

そうすると、むしろ新しい展開が開けて問題の霧散が!

後悔とか、様々なことに対する悪感情は現在と将来に対して何の役にも立ちません。

捨てましょう。

この際ですから過去の「分析」は良しとしましょう。

出てきたデータに納得したら・・・

捨てましょう。

それでジェダイトをお勧めします。

セレニティアスでは以下の商品がありますね。

K2ムーンクオーツのバッグチャーム
K2ムーンクオーツのペンダント

「手放すこと」とあれこれ

まずは「手放す」ことと「知っている」のスケールについて書きましょう。

復習ですが、「知っている」のスケールとは様々なことや問題に対する態度です。

当然ですが、最上位の「知っている」が物事に対しての処理力は高いわけです。

  • 知っている
  • 見ている
  • 感じている
  • 努力
  • 考えている
  • シンボル
  • 食べる
  • etc

さてさて、「手放す」ことですが、もしも何かを手放せないとすれば、その対象に対して「知っている」のスケールの下の方にあるように思えます。

何かを取り憑かれたように集めるコレクターは、その対象についてかなり「知っている」かもしれませんが、もしかしたら「シンボル」としての扱いも多いかも。

もしも「食べる」にまで下がるとかなり手放せないでしょう。

次に、もともとが「問題が少なすぎる状態」にあること。

それを手放すと「手元から問題が何もなくなる」ときです。

人はいつも問題を欲しているようです。

問題がないと自ら問題を作り出すほどなのです。

不思議な話ですが本当ですよ。

それでは令和が良い年になりますように。

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに求めるのは「回復・復活」。

どちらかと言えば、愛情系で使われることが多いアクアマリンですが、実は「回復・復活」が元にあります。

「仲直りの石」というこのはまさに回復・復活です。

そして更に、その根底には癒し系的浄化力によって成り立っていることもありです。

浄化、すなわち「水に流そう」という、そんな感じがありますね。

カード:ソードの4/リバース

これはリバースでよしとしましょう。

厳しいドタバタが過ぎ去った静寂ですね。

ここで我に返って静かにしている感じ。

これは昨日の延長の「内観」に通じるものあり。

ここでちょっと休憩し、体勢を整えるタイミングに来ていそうですよ。

復活のための準備、そして再び歩み始めることになるでしょう。

かつてダメだったことも改めて取り組むことができそうです。

役に立たない懲罰ということ

懲罰(ちょうばつ)とは、 悪い行為に対して,いましめのために罰を与えること。

これは大体、罪とペアにして語られることが多いです。

単純に言って罪を犯せば罰(バチ)が当たるということです。

それは人間の法律による罰かもしれませんし、ことによっては神様から与えられる罰かもです。

しかしながら、単にいましめたところで、その人の罪がどうなるわけでもなく、(自己分析が終わっておらず、なぜ罪を犯したのかもわからぬまま)、被害者や環境への悪影響の救済もありません。

そういう意味では特に人の法律による罰はほとんど役に立ちません。

必要なのは分析と償いによってその人自身が罪を知って罪から回復することです。

ですから、もしも自分で自分に懲罰を与えていることがあるなら、それは即刻よしましょう。

本当に自分に罪があると思うのなら、分析と償いの行動を強くおすすめいたします。することは決して懲罰ではありません。

それから、法律によって厳しい懲罰を課せば犯罪抑止になるという考えもありますが、これは統計的に全く正しくないそうです。

(むしろ、モラルの低下によって厳罰化が進んでしまうという悪循環はあり。モラルの低下は罪の分析が進んでいない結果)

法則としての罰その1

ところで、人の法律としての罰と、自分の意思によって自分に与えた罰以外に、法則として働く罰が「二つ」あります。

そのひとつが・・・

生存の多重円の構造による自然に起こる罰です。

生存の包含関係
生存の包含関係(多重円)

この円の中心にいる自分だけの生存性だけを最優先にし、他の最大多数の輪の生存をくじくことがそもそもの罪なのはお分かりだと思います。

で、ここで自分を包含する他のレベルの輪の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局自分が潰されてしまいます。

これが罪によって起こる自動的な罰の法則です。

国というグループでもって個人の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局は個々人の生存性が下がり、国が維持できません。

これって戦争に突入し、結局は滅びの道を歩みます。これ、罪による罰の法則です。

面白いことに、この生存の多重円による法則は、その時々の文明・文化に左右されません。

これによって滅びる文明は滅んでいますよ。いくつもです。

法則としての罰その2

前に書きましたが、過去の罪が現在に影響する・・・

これ自体がもう罰ですね。

過去の罪に縛られることは現在においてその人の生存性が下がることになります。

過去に間違ったのと同じ混乱が起こると、また間違ったアクションをしてしまます。

自己分析がないがために、その罪を正当化し、率先してその間違ったアクションをしてしまうこともあり・・・

それでも誰にも罪はある

誰にも罪あります。

人は全知全能ではありませんから。当然ですよね。

長い一生とか、自分では意識できないようなこともあり。

人によって数限りない転生の過去の歴史の中で・・・

しかし私は罪深い!と言って嘆く必要なありません。

どうしても知識不足で最善策が取れないこともあり、悪気のない過失による罪だってあります。

また、単に勘違いとして「あれは罪だ!」と思い込んでいることもあり。

生存の多重円として、全体がうまく生き延びる方法について、知識を高め、倫理観をアップさせる以外にはありません。

そこから立ち直るには、この罪をどうやって処理するかを自分で考え、行動するかです。

それから、最後になりますが・・・

自分が行動することで罪を犯してしまわないかとビクビクする必要はありません。

これ自体が自分の生存生を下げる罪かもですよ。

もし間違ったことに気づいたら、誰もが納得できる償いをして、そうして先に進みましょう!

こんなとき、アクアマリンの「水に流そう」が良いかもですよ。これ、「回復のとき」です。

罪と罰の話。これで一旦終了です。

明日が良い日でありますように。

アメトリン・バランスが取れている・2019年4月24日

アメトリン(Ametrine)
アメトリン(Ametrine)

アメトリン・バランスが取れている・2019年4月24日

アメトリンが出ています。

アメトリンに求めるのは「バランス・調和」。

アメトリンは意味辞典にあるように、相反することのギャップを埋めることを表しています。

世の中、そしてこの宇宙には裏表やプラスとマイナスといった相反することがあり、しかしそれで成り立っていることもあり。

アメトリンはこれら様々なことをバランスどりし、最適解を得られるように導きます。

あちらが立てばこちらが立たずといった問題を抱えてしまうことがありますが、最終的には落ち着くところに落ち着くよう、調和がとれた解決策が欲しいものです。

カード:節制

まさにアメトリンの世界ですね。

バランス、調和が取れている状況を表しています。

偏った解決策を取らず八方よしの状態を築けるでしょう。

また、仕事やプライベートを上手にバランスさせ、調和がとれた生活をすることでなお良い状態を作れることも。

ところで、この宇宙にある様々にバランスを取らなければならないこととは、実はそれが「生存の多重円」です。

生存の包含関係
生存の包含関係(多重円)

ここのところコラムで話題にしている「罪」とは、どこかの円だけ突出して生き延びようとするために他の円の生存をくじいている状態のことを言います。

(例えば自分だけ生き延びようとして家族やグループを捨てる、とかね)

今持っている知識を最大限に使って、生存の多重円のバランスを崩さないことが望まれます。

やり直す方法(その2)

前回のコラムでは間違った選択をした「混乱の瞬間」を探すことをおすすめしていました。

今回の記事はそれの追加情報です。

なお、「罪」と言うと仰々しいですよね。ですので罪と言わずとも「選択に失敗したと思えること」とか「実は後悔している何か」と言い換えても良いです。

なぜ間違ったか?そして・・

同じ過ちを犯さないためには、「混乱」を探して自分がどうして間違ったアクションを行なったかを知ることが必要です。

罪を犯してしまったその選択を今から悔やむことをするよりも、なぜ間違ったかを知りましょう。

そして今から振り返ってみると、より良い選択肢があったはずだと思えるかもしれません。

しかし、あのときの自分としては、知識の量としてあれが精一杯だったかもしれません。

そしてここであの罪の「動機」を求めないことです。

これが始まると堂々巡りになりますよ。例えば、やられたのでやり返したという動機に着眼することは大間違いの元ですよ。

とにかく、自分が取るべきだったと思われる最善策が他になかったかを考えてみてください。正しい動機とは「間違った選択は何だったか」です。

それがことによっては「他になすすべがなかった」という結論になることもあるでしょう。(何年か先にはまた異なる結論になることもあり)

あの時点で「他になすすべがなかった」のなら、それを罪に問うのはちょっと酷かもですよね・・・

じゃあ、自分を罪に問わないであげればいいのです。

その代わりに、「あのときもっと広い知識を持っていたら、あれはしなかった」という感想を持てるかもです。

でも、どうしようもなかったとは言え、他に迷惑をこうむった人がいるのなら、何か償いをするのは誰にとっても良いことです。

当時の当事者に対してそれができないのであれば、その代わりになるような社会的活動なども考えられます。

罪と罰

端的に言って罰は何の役にも立ちません。

しかし社会の中で人々の生存に対して目に見えて迷惑千万であると、とっつかまって罰を与えられます。(逮捕ですね)

現状、刑務所という仕組みがあり、そこで名目上は「罪の償い」をすることになっています。

しかし、これはあくまでも懲罰にしかなっておらず、その人が罪の重さから逃れられず、そして二度と同じ罪を犯さないためのアクションがありません。(あるとしてもそれは死刑という最終手段)

実際には懲罰は何の役にも立たないばかりか、再犯の動機を与えすらします。(復讐ですね)

ですから、自分に罪があると思っている人は、くれぐれも自分に罰を与えないことです。これは何の足しにもなりません。

するべきことは、自分が納得できるだけの「助け」を人や社会に返すことにつきます。

とにかく、自分を罰するのではなく、他の生存(自分の生存も)を助けて間違いを取り戻すというアクションに着眼してください。

これは本当に気分が晴れますよ。

次回はさらに突っ込んだ不思議な話の領域に突入します。

明日が良い日でありますように。