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パワーストーンセレニティアスのオーナーです。パワーストーンの言葉を聴いてお客様にフィッティングする仕事をしています。

ソーダライト・ケンカはいくない・2018年11月26日

ソーダライト(Sodalite)
ソーダライト(Sodalite)

ソーダライト・ケンカはいくない・2018年11月26日

ソーダライトが出ています。

ソーダライトに求めるのは「情緒・精神安定」。

今回ソーダライトの働きとしては意味辞典にあることそっくりそのままですね。

「ちょっと落ち着け!」です。

やけになってムチャクチャなことをする前に、我に返って状況をよく見ようとか、そのような用途に使います。

また、勝手に作る「悪い想像」をせずに理性的に考えられるように導いてくれますよ。

なんでソーダライトが必要なのか、今回のカードを見れば一目瞭然。

さて、カードは「ワンドの5/リバース」。

あまり出たことがないカードです。

絵柄としては五人の男が棒を持って戦っておりますね、喧嘩してますね。そしてそれが逆位置に。

はっきり言ってちょっと注意。

争いごとによって混乱が生じることがあるようです。

相反する意図の衝突や、信頼のぐらつきから精神的な負担増があるかも。

そんな状態ですから元の目的に向かっていられない状態が起こるでしょう。

しかし、ここは冷静になって問題の解決に当たるところ。そうしてチャンスを待ってください。

そして、悪いことの想像を止めることです。

使うパワーストーンとしてアメジストでも良いかと思いますが、こと「悪い想像を止める」部分に関してソーダライトを起用します。

癖(クセ)を治す奥義

突然ですが、最近知った「クセの治し方」について記しておきます。

その方法は簡単なのですが、その代わりに奥義っぽく意味がわかりにくいかもです。

癖(クセ)の正体

まず、癖の正体を解説します。

それは自分が自分に備え付けてしまった「自動機械」と例えることができます。

人生の中で、何も考えることなく自動的に処理すれば良いことは多いですよね。

判断なしに機械的にできればそれで構わないことです。

これ、普通に言えば「習慣」です。

例えば喫煙。食後とか、何かの行動の節目節目に「一服」というのが一般的な喫煙習慣ですね。

これ、判断なしに機械的にする行動です。これが喫煙に関する「自動機械」という状態です。

ある時、この自動機械を自分で自分にくっつけてしまったわけですね。

そしてその習慣を止めようにも、自分でその自動機械を止めることができず、逆にコントロールされてしまっている状態になるわけです。

これが癖(クセ)とか、習慣をやめられない状況のようです。

この自動機械の例えを「喫煙習慣」として取り上げましたが、これはあらゆるクセとか行動原理全般に現れますよ。

また、クセは自動機械として作動していますから、本人は全く気づかないこともありですね。

癖(クセ)の自動機械を破壊する

さて、この自分で作ってしまった自動機械の破壊の仕方ですが、以下の手順です。

1)その自動機械をモックアップする。

2)モクアップした自動機械を破壊する。

3)上の1)2)を繰り返す。

これを、完全に自由に行えるようになるまで繰り返し、その機械の設定まで変更を加えられるほどに支配できたらOKです。

簡単でしょ。

モックアップとは「創造して形作ること」です。目の前に、その機械があるように想像することですね。

これ、ことによってはモックアップそれ自体が困難だという人がいるでしょう。その場合には「そのような自動機械がそこにある、という考えを得る」ということでもよしとしましょう。

そしてそれを破壊するには「そのような自動機械を破壊するという考えを得る」ということでOKということになります。

さて、自動機械の目的は、元々が外からの影響をものともせずに「自動的に動く」ことでした。

これが強固になるために、創造主である自分自身の影響も受けなくなっていることがクセをやめられない理由です。

明日が良い日でありますように。

お知らせ2018年11月22日

明日、11月23日は勤労感謝の日として休日ですね。

休日の前日につき本日の明日のパワーストーン更新はおやすみです。

次回更新は11月25日(日)となります。またお会いしましょう。

 

マラカイト・自己改革とコントロール・2018年11月22日

マラカイト(malachite)
マラカイト(Malachite)

マラカイト・自己改革とコントロール・2018年11月22日

マラカイトが出ています。

マラカイトに求めるのは「自己改革」。

マラカイトはどちらかと言えば癒し系に使いやすい働きを持っていることが紹介されていますが、実は!自己改革系としても有用です。このあたり、意味辞典の方では触れていませんね。

この自己改革はマラカイトが持っている「他人の気持ちを読む」ところに負う部分があります。

自分の言動が相手にとってどのように影響するか、このようなことを考えられるようになることから、自分の言動をより良い結果を生む方へ変えていける可能性があるわけです。

さて、カードは「力(チカラ)」。

うへぇ!一昨日もこれでした。

力の制御が不可欠な局面にあることは確か。そして自己信頼のもとにこの力をコントロールしていくことで状況は好転する。

力(チカラ)のあれこれエッセイ

このコラムでは過去にも「力」についてよく触れていますね。ここいらで少しまとめっぽく記しておきましょう。

力を使うとき、必要な三項目は以下の通り。

  • 知識
  • 責任
  • コントロール

力を使うにはそれがどのように作用し、どのように使うべきか知識が必要。

力を使うにはその結果において責任が伴う。

力を使うにはそのコントロールが必要。

これを感情のレベルに照合してみると、感情のレベルが高いほど力を上手に使えることになる。

▼参考ページ「感情のレベル」

感情のレベル 参考資料

例えば、感情のレベル「悲しみ」にいる人に力を使うことを任せられるでしょうか?

じゃあ「怒り」のレベルにいる人には?

それなら「退屈」とか「保守的」な人なら?

ね、これら感情のレベルが低い状態では力をうまく使えそうにありません。

感情のレベルが低いと、特に「責任」と「コントロール」の部分がかなり怪しくなっています。

それと重要なのは「倫理観」ですねぇ。

世の中のパワハラというのを見てください。倫理観が低いとそのパワーの使い方がめちゃくちゃです。

感情のレベルで言えば「秘めた敵意」〜「敵対心」あたりの低いところにありますよ。

社会的にどんな見せかけの感情のレベルを装っていても、その人の内心は本質的な感情のレベルに従った行動をしていますよ。

ちなみに、「秘めた敵意」とか「敵対心」のレベルにいる人は、その原動力として「恐怖」があります。

「恐怖」は、私が見る限りに多いなと思い当たることして自分が先に犯した罪がその根底にある感じ。

罪と動機の悪循環がそこに存在するようです。

「声高に人を非難する人は、実はそれに先立って罪を犯している」という法則です。

明日が良い日でありますように。

アメジスト・その正義は正義なのか・2018年11月21日

アメジスト(Amethyst)
アメジスト(Amethyst)

アメジスト・その正義は正義なのか・2018年11月21日

アメジストが出ています。

アメジストに求めるのは「冷静さ・理性」。

これはもう定番の使い方ですね。アメジストの根本です。どちらかと言えば愛情系よりもこちらで使う方が多いですよ。

むしろ、冷静になるところからダメなカップルがそのまま別れに突入することもありますから、使い方には注意です。これも定番の注意事項。

さて、カードは「正義」。

良し悪しよりもアドバイス色が強いです。

とりあえず、自分自身では正しい行いをしよう、という状態にありますが、その正義が通らずイライラすることがあるかもです。

また、この正義感がちょっと暴発すると「義憤にかられる」という状況にもなりやすいものです。

【義憤】
道義にはずれたことに対して感ずるいきどおり。「―を覚える」

正義を振り回す前に、ちょっと冷静になって全体が丸く収まる考え方がないか、また、相手がうまく正しいと思われる行いをするように工夫できることはないかを考えるのは価値があることでしょう。

究極の善と悪(そして起因と受け身)

実際には究極的、または絶対的な「善」も「悪」もないようです。

この宇宙にある善悪は、すべてが比較の問題であって良さの程度、悪さの程度の差、または見方の差でしかありません。

これまでに皆さんも見たことがあるでしょう。

「私が絶対に正しい!」と主張する人のことを。

その人が主張する正しさは、様々な人が評価をすると様々な結論が生まれることでしょう。

それもあってアメジストを取り上げ、ちょっと冷静に考えてみようよ、としています。

ただ、絶対的な善悪を信じることは誰にとってもその権利はある、と付け加えておきます。

起因と受け身の続き

前述の「善悪」の話に絡め、前回書きました「起因と受け身を逆転させる話」の続きを書きます。

前回は受け身でいるのが嫌なら起因になろう、ということの例を書きましたが、今回は逆に、「起因になるのが嫌なら受け身なる」例を。

「起因になるのが嫌」というのは日常的に探しにくいように錯覚するかもしれませんが、実は結構多いです。「受け身になるのが嫌」なのと同数と考えても良いでしょう。

例えば・・・

あたなが車を運転していて赤信号なら止まりますよね。

これってすなわち事故を起こすという「起因」になるのは嫌ですから、赤信号を受け入れる、という受け身になっている状態ですよ。

まあ実際にはルールを守るというのは何かの起因にならないようにルールの受け身になるということですけどね。

しかし、信号を無視して赤信号で道を渡ろうとする歩行者がいた場合にはどうしましょう?

青信号で交差点に差し掛かったあなたは、やはりブレーキをかけて事故を防ぐのではないでしょうか?これはルールではなく、自分自身の考えです。

人を跳ねることの起因になりたくはなく、ブレーキを踏まされる、という受け身になっていますよね。

このとき、どんな作用が働いているかと言えば、運転者である自分自身が、歩行者の立場になってみるということをしています。「まんまだと大怪我するよ」と思うわけです。

ここまでは「起因になるのが嫌なので受け身になる」という話です。

もしこの場面で起因と受け身の入れ替わりを起こさないと、とりあえず人を跳ねることになったかもです。

さてさて、今度は善悪についてこの場面を借りて考えてみます。

その、信号無視をしていた歩行者がお年寄りだったとしましょう。

その老人は青信号で道を渡り始めたかもしれませんが、渡りきれずに信号が変わってしまった、ということもあり得ます。

まあ、これは結果的にルールに沿うことに失敗していますが、これをむやみに責め立てることにそんなに価値はないでしょう。

人には過失もあれば、「仕方がないなあ」ということもあります。

で、車の運転手が「自分の方は青信号で突入したまでであって、そこに人がいるかどうかは知ったことではない」と言い出すのもどうかしていますよね。

「善悪に絶対はない」です。そして、起因と受け身を軽々と入れ替えてみたら、その瞬間に善悪判断の基準が逆転したり・・・

起因と受け身を容易に変えられる感覚が、より全体として生存的な結論が出せそうですよ。

それには冷静でいることです。だからアメジストをお勧めします。

明日が良い日でありますように。