ホークスアイ・力のコントロール・2019年7月9日
ホークスアイが出ています。
ホークスアイに求めるのは「洞察力」。
今回はシンプルにホークスアイのレギュラーな使い方となります。意味辞典にある内容そのままですね。
ホークスアイの働きの基本原理は否定的なマイナス感情を取り除くことにあります。
物事を正しく見るために、まずは自分の中にある否定的な感情を処理することが大切。
素直に見てこそ対象を正しく理解できるのです。
カード:力(ちから)
厳しい状況にもたじろがず立ち向かっている姿が現れています。
しかしカードのデザインでは女性がライオンを手なづけている様子が。
これは「力づく」でなくコントロールの大切さを表しているように見えます。
このためには観察する能力、洞察力が必要。そこでホークスアイの登場となります。
直面することを放棄する
さてさて、以下が「知っている」のスケールです。
- 知っている
- 見ている
- 感じている
- 努力
- 考えている
- シンボル
- 食べる
etc.
選挙の投票に行かない人は、ほとんどの場合が政治を「どうしようもないこと」の「シンボル」にしてしまっている傾向にあります。
シンボルとは単なるマークです。すでにそれ自体には意味がありません。
すでに意味を知る必要がない(としている)ところにシンボルが使われます。
上のスケールで「シンボル」の上に「考えている」がありますね。ですからシンボルまで下がるともう「考える」ことはしません。
そのような人にとって政治は考えることもなく「どうしようのないこと」のシンボルです。
「考えている」は「シンボル」よりもマシかもしれませんが、「見ている」や最上の「知っている」とはかけ離れており、文字通り考えているだけです。
むしろ、知ったり見たりを放棄した時に「考えている」にまで落ちるのです。
考えてばかりいて見ることをしなければロクなことは起こりません。
ちなみに、陰謀論者の多くは、知ることも見ることもできなくなったときに陥る「考えている」の中に誕生します。
知ることの対象にリーチできなくなると、自分の中に「知っている」を捏造する必要性が生まれ、そこで話が作られます。
(都市伝説はこうして生まれるわけです)
そして陰謀論はさらに落ちて「シンボル」になります。
さて、なぜ人がある主題において「知っている」から「シンボル」以下に落ちるのかと言えば、その主題に対して「直面するのを放棄する」ことから始まります。
これは思いますに「努力」の段階あたりに起きやすい感じです。
これは実はマスコミの中ですでに起こっています。
国会では国民に対して非常に影響がある法案がいくつも採決されていますが、マスメディアはそれを報じません。
マスメディアが国会に直面するのを放棄しています。
すると・・・国民は当然ながら「知っている」から遠ざかり「見ている」ことすらできなくなります。
そして人によっては「努力」で克服するのですが、それができないと「シンボル」まで落ちます。
明日が良い日になりますように。