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ユーディアライト・自由と責任・ 2018年3月21日

ユーディアライト(Eudialyte)
ユーディアライト(Eudialyte)

(上の画像では赤いハートのビーズに挟まれたストーン)

ユーディアライト・自由と責任・ 2018年3月21日

3月21日は春分の日。「明日のパワーストーン」はお休みのはずですが、なんとなくカードを引いてしまい、ストーンも出てしまいました。

せっかくですからアップしましょう。

ここのところ要注意&アドバイス系のカードが続きましたが、どうもリセットがかかった様子。新しい旅立ちのようです。

今回のカードは「愚者」。

崖っぷちを知らずに笑いながら踊って通る男の絵です。

対するパワーストーンは「ユーディアライト」と出ました(意味辞典に未記載)

これ、カードもストーンもなかなか判断が難しいところではあります。

カードは「何でもあり」的なところがありますが、ひと口に言えば「自由」とそれに対する願望、そしてメッセージとしては「思い切って行動してみたら?」がありそうです。

そしてストーンもそれを後押しする方向の物が出てきたようです。

ユーディアライトの働きはかなり抽象的ではありますが、基本にあるのは「自分の存在を認める」があります。

自由を得るためにまず最初にすることは、自分の存在を認めること。

カードとストーンの組み合わせとして、どうもこんな感じに見えそうです。

自由と責任の考察

「自由には責任が伴う」

といったお説教を書くつもりはありません。でもなぜそうなのかと言うメカニズムに少しだけ触れておきます。

さて、どんな状況でも受け入れることができる、というその度合いに応じて自由は大きくなります。

「受け入れられない」として抵抗している限りは自由ではありません。

ただ、ここで言う自由とは、なんでも好き勝手にできると言う意味ではありませんね。

辞書から引いて正確性を保っておきましょう。

他からの強制・拘束・支配などを受けないで,自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性,内なる必然から行為する自発性などがその内容で,これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。哲学的な意味では,自らを自律的に統御し,内なる必然から自発的に行為すること。

(スーパー大辞林より)

そしてこの自由というのは、引き受けられる責任の度合いの応じても大きくなるわけです。

何事につけ、責任を負いたくないという人の自由がどれだけ少ないことか、振り返ることは簡単です。

「引きこもり」という状態が、どれくらい不自由でどれくらい責任を負っていないかを見れば一目瞭然ですよね。

そして、そのような人たちがしているゲームを見ると面白いですよ。それはそれは小さな小さなゲームです。(小さいだけでなく、猫がまたいで通るような内容でしょう)

そうして自分では責任を負わないくせに、文句だけ言うことをしていますよ。

そしてその人たちの自由は小さなものです。

今より自由になりたければ、今より少しだけでも大きい責任を負ってみること。

そして、非常に単純に言えば、自分の意思で「新しく何かをする」ということはそのことについて責任を負ってみようということに他なりません。

これ秘訣です。

明日が良い日でありますように。

ユーディアライト・自分の声を聞く/ペンタクルの4

2017年4月13日 ユーディアライト・自分の声を聞く/ペンタクルの4

今回のカードは良し悪しよりもアドバイス重視です。

守りに入っている感じがありますね。ということはすなわちそこそこな成功と安定を得ている状態を表しているようです。

また、現在がそうでなくとも近い将来には地位や経済的なこととして順調に推移することは間違いないようです。

ところが、今の「それなりに安定した状態」に一石を投じるような冒険話が舞い込むことも。これをどうするべきか考えあぐねることになるかも。

そして実際には安定欲しさに発展を妨げていることがるかもしれませんよ。

「永遠なる安定」はありません。今は心の声に従うのがベストのようです。

このようなときにオススメのパワーストーンはユーディアライト(意味辞典に未記載)。

ユーディアライトに求めるのは「心の声を聞くこと」。とても力強いエネルギーを持つクリスタルの一種です。自分が何者であるかを自分で肯定させ、その自信を支えてくれるストーンでもあります。自信、それはすなわち自分の声を聞けることです。

映画「ヒア・アフター」について

ここのところ重い話題が多いのでちょっと息抜きを。

Amazonのプライム会員だと無料で見られる映画がたくさんありますよね。

そんな中で昨日は「ヒア・アフター」という映画を見ました。

非常に静かな進行で語られるのですが、その内容は臨死体験した人、そして臨死体験後に死者とコミュニケーションできるようになった人が主人公です。

死者とコミュニケーションできる、というのは日本で言えば「イタコ」です。

しかし主人公の彼はこの能力を使うことについて否定的になります。この能力があると、一般社会では非常に「生きづらい」ということがあるようです。

それでも彼の才能を頼りに依頼者が訪れます・・・・

映画の内容はこのへんにしておきましょう。

ところで、肉親や親しい人が亡くなった後、残ったひとたちは、亡くなった人ともう一度話をしたいと思うことが多いようです。

ところで、死んだ人が何かを語ったとしてもですよ、もうそれは「超無責任」で何でも言えます。聞いた方も「死んだひとの戯言」ですから、これも超無責任で構いません。お互いに何の制約も受けないのです。涙をボロボロこぼしながら聞いたとしても、お互いが無責任でいられます。

いやー、だったらお互いに、死ぬ前に十分にコミュニケーションをとるべきなんだと思いますよ。(しかし生きているうちには責任が伴いますが)

明日が良い日でありますように。

ユーディアライト・辛かった思い出を手放すとき

2015年3月6日 ユーディアライト・辛かった思い出を手放すとき/ソードの9

過去と決別しましょう。

悩みの根源は実のところ過去に大きな原因があることがほとんどです。

同じように、将来への不安が頭をよぎったとしたら、それも実は過去に原因があることがほとんどです。

過去の時間にひっかかっていては現在の時間を無駄に消費してしまいますよ。

ここではリセットをしましょう。

今お勧めのパワーストーンはユーディアライト(意味辞典に未記載)。ユーディアライトは「縁切り石」としての働きに優れています。今、過去の出来事と縁を切るのです。

辛かった感情を手放すときです。その思いを経験値に変えて今後に活かしましょう。そのためにはしっかりと現実を見ることも大切です。

また同時にありのままの自分を認めることを手伝ってくれますから、自分がコンプレックスの塊のようだと思っている人には特にお勧めですね。

なぜ過去にとらわれるのか?

トラウマという言葉があります。「心的外傷」と訳されていますね。

今の世の中はこのトラウマという言葉が日常会話で使われるほどに厳しいのかもしれません。

過去に辛い目に遭ったという事実に関しては気の毒としか言いようがありませんが、実のところ同じ目に遭っても深刻にならずに済む人とそうでない人がいるのは不思議なものです。

それらの人の違いを見ると、深刻にならずに済む人は過去を手放すのが上手のようです。

それと、過去を手放すことが簡単にできる人というのは断捨離も簡単にできるようですね。使いもしない物を溜め込むのが好きな人は、とにかく思い出までも捨てることができません。

思い出は記憶ですから、この記憶を現実問題として消し去ることはできませんが、違う形に整理することはできます。

ある出来事があったとしましょう。それの見方を変えることで同じ出来事でも異なる感覚で捉え直すことができます。ことによっては過去が変わってしまうほどにです。

過去を捨てられない人は、何かの見方を変えられないか、または捨て去ることがとにかく勿体無いと感じているようです。

そして捨てられない人は、改めてそれを得ることがきるという自信がなく、それを捨てられないでいるようですね。それがたとえ全く役に立たない代物どころか自分の足を引っ張る物でもです。

捨てましょう。

明日が良い日でありますように。