2015年6月23日 プラチナルチルクオーツ・自分自身に答えがある/女教皇
今回のカードはひと口に良し悪しを語りにくいものです。ただ、道標が暗示されている感じ。
それは「素直に自分の声を聞け」ということのようです。
しかしながら、その中には知りたくないことも含まれているかもしれません。それでもそれに向き合うことで内面的な成長があるのでしょう。
このとき、自分を見る目は可能なかぎり客観的であるべきでしょう。今最も大切なのは真実を求める姿勢です。
目を閉じ、「本心の声」を聞くと進むべき道、決断すべきことへの答えが見つかるでしょう。
このようなときにお勧めのパワーストーンはプラチナルチルクオーツ。
このストーンの働きはズバリ「現在の自分像を自覚させる」です。(なんとなく昨日の続きみたいではありますね)
「本当の自分」というのはなかなか見つけにくいものですね。
自分探しの旅〜私はどこにいるのでしょう?
「自分探しの旅」なんてナンセンス!という意見が散見されます。
まあ確かに、自分探しができるということは、ことによっては余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な人の特権にも見えます。
家族を養うためにとにかく働くとか、家族の介護で休みなく働いているという人、闘病中の人にとっては別世界の話に見えます。
さて「自分探し」というとき、具体的には「やりたいことがみつからない」ということが含まれるでしょう。
かたや、さきほどの家族を養うとか介護をしているという人では「やりたいかそうでないかでなく、やらなきゃいけない」ということによってそれをします。その人に責任においてそれをしています。そうです責任です。
そして「やりたいことがみつからない」と言っているうちには何に対しても責任を持つことはないかもしれません。
責任を持たないということは「コントロールしないこと」です。そして「やりたいことがみつからない」と言っている人は、実のところ「コントロール」とうことについて負けが込んだゲームを数多くしてきたのかもしれません。
「何かをうまくコントロールできなかった」(責任を取れなかった)
よって、その人はそれを嫌いになり、他にできることを探しに出ます。
しかしながら、新しい何かに取り組むとき、最初からものごとを上手にコントロールできることなどありません。多少かまたはかなりな度合いで「混乱」が生じているはずです。その混乱を治めることができるようになることが、その道のプロであり、それを好きになるということです。
ですから、コントロールできなかったことを取り上げ、それを自分に向いていない、面白くないと評価してしまうのはかなりな早合点でしょう。混乱を治める努力の積み重ねがスキルアップであり、より責任を負えるようになることです。
そして、そもそもが、自分など探すまでもなく、あなたはそこに居ます。責任を負うことをよしとするかしないか、その違いが存在の違いです。
明日が良い日でありますように。