ガーデンクオーツ・リフレッシュしよう/ワンドの4

2016年6月21日 ガーデンクオーツ・リフレッシュしよう/ワンドの4

おや、昨日に続きまた良いカードですね。そしてちょっとのアドバイス。

今までの行動に対して何らかの結論が出て、そして幸運がもたらされるようです。そしてどうやら「節目」の日になるようですよ。

信頼を置けるパートナーや仲間を得られる兆候もありますね。

ただ、これまでちょっと頑張り過ぎていた、またはこれからもそのまま突っ走ろうという傾向もあり。

今の所まではこれで良かったかもしれませんが、頑張る以外の方向で人付き合いしてみることをお勧めいたします。

そうすることで今までに気づかなかった幸福を得られることもあるでしょう。

この節目に、ちょっと日常から離れ、主に心を休ませてあげましょう。もちろん、レクリエーションをしてリフレッシュも良いですよ。

このようなときにオススメのパワーストーンはガーデンクオーツ(意味辞典に未記載)。

ガーデンクオーツはもろに「癒し系」「やすらぎ系」です。ここまで突っ走ってきた人は、ちょっとばかり休憩をしようではありませんか。走ったらどこかで休憩する。その方がトータルは持続力が続くものです。

カラパイアから、前世の話について

不思議情報サイトのカラパイアに以下のような記事が出ていました。

「生まれ変わり」は本当にあるのか?前世の記憶を持つ6人の子供たちのケーススタディ

さて、前世についてはこのコラムでも時折は取り上げていますが、それがあるのかないのか?どちらにしたって証明することは難しいですよね。

ただ、筆者の個人的な感想としては、前世を肯定した方がよほどつじつまが合う話が確かにある、と思っています。それが本当に前世のことかどうかわからないとしても、肯定すれば解ける謎がありそうです。

さて、カラパイアの記事はそもそもがどこか他の情報源からの引用なのですが、この種の話で抜けていることに「前世」があるとして、さらにその「前世」については言及がないことです。

何世代も前へずっと連綿と続く前世のことについての言及は、もしかするとこのコラムくらいなのかもです。

ところで、子供が話す前世の記憶は、それを実際に検証してみると当たっている部分と、どうも当たっていない部分があったりです。

例えば、前世で「なんとか」という街に住んでいて、自分はそこで「誰それ」として生きていた、という話がある場合のこと。

街の名前は当たっていても、その名前の人物が住んでいた形跡を発見できなかったり。そうなると、その記憶が否定されやすいのです。

そうして「やっぱ違うよね」・・・

で、終わりにしたくなる「否定派」の考えもわからなくはありません。

ただね、これまでに書きましたように、前世の前世のそのまた前世といった連綿と続く生涯があるなら、その記憶がどの世代のことであったのか、ごちゃ混ぜになっても無理はありません。

住んでいた街の記憶はひと世代前の前世で、住んでいた人物名は別の土地での3世代前の記憶であったりとか、そんなごちゃ混ぜがあり得るでしょう。

だってねえ、一年前のことはおろか、昨日のことだって覚えていなかったり勘違いしたまま覚えていたりということがあるでしょう。

それが前世とか何世代も前の話になるともう十年とか百年単位で遠い昔のことですよ。実際には今を生きているこの人生のことでさえ、記憶は曖昧なのです。

ですから、証言通りの前世の記憶を発見できなかったとしても、それだけでは前世を否定することはできないと思っています。

明日が良いに日なりますように。

ロードナイト・幸せのおすそ分けを/カップの3

ロードナイト(Rhodonite)
ロードナイト(Rhodonite)

2016年6月20日 ロードナイト・幸せのおすそ分けを/カップの3

うれしい出来事が起こるかも?

気がかりになっていた問題の解決とか、周りに喜ばれての昇進など、良い流れに乗っているようですよ。

これらは実際のところ周囲の人々の援助があってのことだと思い返しましょう。

にっこり笑って喜びをかみしめつつ、助けてくれた周囲の人に感謝し、周りの人に幸せのおすそ分けをしていくと、もっと大きな喜びが。

このようなときにオススメのパワーストーンはロードナイト

ロードナイトは人の気持ちや愛情を人に正しく伝える役割があります。その根本には、自分の気持ちと行動をしっかりリンクさせることで合理性を維持することにあります。この場合の「合理性」とは、思ってもいないことが口から出る、ということがないことですね。このあたりの解説は意味辞典には載っていませんね。

依存するにも良し悪しがある

これまでに「他人の評価に依存する」ということを中心に書いてきました。

そこで今回は「依存」それ自体に焦点を当てます。

実のところ「依存」それ自体が悪いわけではありません。

しかしながら「良い依存の状態」と「悪い依存の状態」が存在するのは確かです。

その人が自分でコントロールしていない依存、誤解し、理解していない依存だけがまずいのです。

もう一つは、自分が依存していることを知っていない状態もまずいのです。

ここで生存の多重円を見てみます。

生存の包含関係
生存の包含系(多重円)

中心に自分自身があって、その上位に種々の円がありますが、中心の自分自身はその上にある円に依存して生存が成り立っています。

明らかに、一人の人間は「依存」して存在しています。

これを書きながら思い出すのが以下の言葉。

「助けてください」と言えたとき、人は自立している。

この言葉は安富歩氏の「生きる技法」という本に出てきます。

安富歩(やすとみ あゆむ)東京大学東洋文化研究所教授

「助けてください」と言うときというのは、自分が何かに依存するのだ、ということを自覚しているという状態の表れですよね。

自分が何かに依存していることに無自覚な限り、その人は決して自立することはないのです。

明日が良いに日なりますように。

タイチンルチルクオーツ・行動あるのみ/皇帝

2016年6月17日 タイチンルチルクオーツ・行動あるのみ/皇帝

行動力、決断力を発揮できる日です。(なんとなく、ここ数日はお話が続いているようです)

ですから、進めたいプロジェクトや解決したい問題があるなら速攻で取り組んでください。

妥協したり「待ちの姿勢」でいてもことは進みませんよ。

やりたかったこと、欲しいもの、解決したいことに対して行動を起こす日です。

今日はひたすら行動あるのみ。

そもそもがひたむきな努力なしには向上はないのです。

このようなときにオススメのパワーストーンはタイチンルチルクオーツ(意味辞典に未記載)。

求めるのは強いリーダーシップ、大きな前進の力ですね。普通のルチルクオーツよりもさらに強力です。チームを率いるビジネスマンは必携ストーンと言えるでしょう。

評価を人に委ねることの続き

評価に関しての続きです。

昨日は「肉の焼け具合」というなんともバカみたいなお話を例にしました。

しかしながら「もう焼けたかな?」と人に評価を委ねることは、端的に言って肉の焼け具合についての「責任放棄」なんですよね。

さて、ここで「責任」ということを振り返ってみます。

何にも責任がない状態というのは、それはそれは自由な気がしますが、実際はその逆です。

責任を負わない度合いに応じてその人の自由さがなくなります。

「え?そうなの?」と疑問に思いますか?

だってそうですよ!

また焼き肉の例ですが、肉の焼け具合の評価を人に委ね、焼肉の責任を放棄していれば、その人は自由に焼き肉を食べられないのです。

誰かが「もう焼けているよ」と言うまで、あなたは肉を食べられないのですよ。
逆に、もっと焼いた方が美味しそうだからもっと焼こう、という自由もありません。

このような不自由をしていると、実は自分自身の感情のレベルまでが下がってきます。

評価を人に委ねる、すると指示を待つことになる、そして責任を放棄することになり、そしてあなたは誰かのコントロール下に入り、そして自由がなくなります。

そして、誰かからの良い評価を得ようと、それだけが目的化してしまい、自分を見失いますよ。そういう人に中身はありません。良い評価のためなら嘘をつくということまでするかもです。

自分らしく生きようと思えば、そこに嘘が入る余地はありません。

明日が良いに日なりますように。

アンバー・助言で解決/ペンタクルの王子

アンバー
アンバー(Amber)

2016年6月16日 アンバー・助言で解決/ペンタクルの王子

まずまずのカードです。

目の前には様々な可能性が。そのためにあなたは様々な準備ごとを始めようとしているかもしれません。今はそれをするにふさわしい気力がみなぎっている様子です。

もしも問題があるのなら、それは信頼できる人物からの助言でクリアできる暗示です。

思わぬ助けやヒントは人との出会いの中でもたらされるでしょう。

頭を柔らかくして助言を聞いてみましょう。昨日は助言を聞くな、でしたが今回は聞くことになりました。何か状況が変わってきていますね。

将来に対する可能性はあなた自身が握っています。そのためにはいつも研鑽と努力を怠らないこと。

このようなときにオススメのパワーストーンはアンバー

アンバーは人の話を正しく理解できるようにサポートします。そもそもが人間関係を良く保つ働きがあるストーンですから、その結果として聞上手にもなれるわけですね。(このあたり、意味辞典の方では細かく触れてはいませんね)

評価を誰かに依存すると何が起きるか?

昨日は「アドバイス」に関することから芸術系のことに関する「評価」について触れました。

そこで本日は「評価」それ自体について少し触れておきます。

日常的に最も簡単な「評価」には以下のようなものがあります。

「このお肉、もう焼けたかなあ?」

肉の焼け具合に関する評価ですね。そして「もう焼けたかなあ?」と、彼はその評価を誰かに依存している状態です。

ね、実のところ、評価を自分以外の誰かに委ねて依存していれば「肉の焼け具合」の評価さえできない愚かな人になるわけです。サバイバル能力はありません。

だってねえ、人生を過ごすというのは多分、肉の焼け具合よりも難しい判定の繰り返しですよ。

ところが、人類は生まれてすぐには一人で生きられないがために、そのサバイバルの多くを母親(またはその代わりになる人物)に委ねます。はっきり言ってほどんとのことの評価を母親に依存している状態にならざるを得ません。

さて、ここでまた哲学的になりますが、自分で何かを評価するには自分自身の空間を持つ必要があります。自分の空間の中にその対象物を置いて、初めて自分でそれを評価できます。そうでなければ、その対象物を正確には見ていない状況なのです。肉の焼け具合すらわかりません。

ま、肉を焼くという行為は彼自身が過去に何度も経験ありなはずで、彼自身に蓄積されたデータすら使えないという、なんとも哀れな状況なのです。評価を誰かに依存する、というのはこういうことになるわけです。

そしてオマケとして評価には二種類あることを書き留めます。

一つは、過去のデータと照合して現在のものを知る評価。

もう一つは現在の状況そのものをしっかり見て「わかる」評価。

前者は一般的な職人の技。後者は職人ではあるかもしれませんが、達人の域の人のことです。達人は、過去のデータと関係なく現時点のそのデータを評価し処理できます。

普通の職人は、過去にデータが存在しないものの評価はできず、処理もできません。まったく新しい状況では手も足も出ません。

ね、ですから、芸術系で誰かさんの評価を仰ぐのは要注意なんです。職人レベルの判定者では、あなたの斬新な作品のことなどわかりはしないのです。それが権威者であれば、あなたをくじくことしかできません。

とにかく、評価の依存体質からは抜け出せねばなりません。そのためには自分自身の空間、そして存在性が最重要です。(空間については過去記事にあったでしょうか)

明日が良いに日なりますように。