プレナイト・選択のために見る・2019年1月15日

プレナイト(Prehnite)
プレナイト(Prehnite)

プレナイト・選択のために見る・2019年1月15日

プレナイトが出ています。

プレナイトに求めるのは「正しい情報を選ぶ」こと。

ちょっと前にも出たストーン・・・

ポイントになるのは「見ること」。

また、他の作用として持久力アップがあり、取り組みに関してそれをやり遂げる手伝いをしてくれます。

カード:ワンドの6

良いカードです。

目標達成のチャンスが訪れそうです。そして賞賛を浴びることになりそうです。

これまでには結構厳しいことを通り過ぎ、じっと我慢の時を過ごしていたかも知れませんね。

負けたゲームも多数あるのでしょうが、なんとか乗り越えてきた感じ。

ここで気を抜かずにもうひと押しすることが大切です。

今足を引っ張る出来事が起こったとしても、これをなんとか処理して進む心構えで行きましょう。慎重に注意深くです。

見ることと考えること

何かを解決しようとするとき、見ることよりも考えることをして先に進まないことが多々あります。

なぜ、見るよりも考えてしまうのかと言えば「見る」のは怖いと思ってしまっていることがあります。

考えることならば、自分が許容できる範囲内のことで治ります。

「フタを開けて見る」というのは、中から何が飛び出すかわからないという恐怖があります。

さて、復習として以下に何かを「知る」ことに関する段階を記します。(下に行くほど物事がわからないまま)

  1. 知っている
  2. 見ている
  3. 感じている
  4. 努力
  5. 考えている

何かを知ったり、知ることによって問題を解決しようとするなら、現時点においてそれを「知っている」必要があります。

ここで「考えている〜努力」というのは未来のことであって現時点のことではありません。

もちろん、将来のことを考えるのは大切なのですが、それが本当にできるのは現時点において「見て、知っている」人だけです。

そして現時点で見て、知っている人が問題を解決する主役たりえます。

例えば・・・

突然パソコンが動かなくなったとします。(問題です)

画面が真っ暗、そしてキー入力を受け付けません。

あれやこれやと考えます、考えて考えて・・・

原因はなんだろう?

しかし考えるのをやめて「見ること」をしてみます。

すると、そのパソコンが動かない理由を知ることになります。

「あ、コンセントが抜けている」

非常にシンプルですが、これ、笑い話ではありませんよ。家電修理のサービスマンのお話ではこのレベルのことが本当にあるのです。

パソコンの調子が悪いとか、画面が真っ暗なんて、この理由を見て知るなんて怖いと思うでしょ。

わーお手上げだー!と思うでしょ。

(これは考えですよ)

だから見られないのです。

しかし実際に見ると、コンセントが抜けているだけなんです。

非常にシンプルな例ではありますが、これが考えることと見ることの違いです。

正しい選択をしたいなら、考えの中よりも、見て知ったことから選ぶのが吉。

そのためには恐怖を乗り越える必要があるでしょう。

が、その恐怖はそもそもが自分で作ったものであることがほとんどなんですけどね。(またはわざわざ取り上げる恐怖)

プレナイトの断捨離作用をもってこの「作った恐怖」を捨てたいものです。

「わからなかったら、考える前に見てみよう」です。

正しい情報は考えの中ではなく、見たことの中にありそうですよ。

また、情報を選択ができないでウロウロしている人は、見ないで考えているからなんです。

明日が良い日でありますように。

ラブラドライト・耐えて待とう・2019年1月11日

ラブラドライト(Labradorite)
ラブラドライト(Labradorite)

ラブラドライト・耐えて待とう・2019年1月11日

ラブラドライトが出ています。

ラブラドライトに求めるのは「忍耐力」。

根気や持久力を必要としそうです。その元になるのは強い信念とプラス思考ですね。

目的や問題解決のために必須のことをラブラドライトに求めます。

非常にシンプルなことですが、あきらめてしまっては何もできません。

昨日の続きのようですが、それは信念とプラス思考がないとゲームになりません。

このあたりのラブラドライトの働き、意味辞典の方ではあまり触れていませんね。

カード:ソードの女王

良いカードとしましょう。ただアドバイス色の強さもあり。

何かを成し遂げるだけの思慮や能力はあるはずです。

ただその課題がそこそこに大きなことなので立ちはだかる壁も高いのでしょう。

自分の考えが正しいこととはいえ、それが簡単に理解されないといった問題を抱えることもありますが、ここはちょっと耐えましょう。

知恵を使って物事を動かし、ゴールに向かって忍耐づよくいてください。

最初は困難があるかもしれませんが、計画を立て直したり細部を見直して遂行すれば、必ず実りが得られます。

ゲームと人生(その2)

昨日は、人のゲームを眺めているのは感情のレベルが低い状態だと書きました。

これ、端的に言えば「面白い人生」とは逆のことです。

一見は頭が良さげな「冷笑キャラ」というのもネット上には少なくありませんが、これらも人のゲームを見ているだけであって、自分は参加しない卑怯者と見て良いと思えます。

そこで、面白い人生を過ごすには、主体的にゲームに関わることです。

元々が誘われたゲームでも構いませんし、いやいや参加させられたゲームでも構いませんが、一旦参加したならば主体性を持って関わることが退屈しない秘訣です。

また、ことによってはその嫌なゲームから降りる、ということをゴールに設定するゲームもあり得ます。

こんな仕事は嫌だ!もっと良い仕事を探す!というのもゲームです。

ただしかし、前回も書きましたがゲームで負けの経験を積み重ねると、新しいゲームを設定したくなくなるでしょう。(そうして感情のレベルを下げる)

でもこればかりは他人がどうにかしてくれる問題ではありません。

過去のことを学びに変えて、新しいゲームに生かすより他はありません。

主体的にゲームに関わり、未来を思い描くことは、今現在を耐えるという努力以上にその人の能力に関係します。

思い描いたゴールに必要な努力であれば、それは本人にとっては耐えるということに値せず、楽しみですらあります。

まずは、自分のゲームを見つけましょう。

自分単独でなく、それはグループとしてのゲームもありです。

グループに参加することで自分の役割としてのゲームをプレーすることもゲームです。(家族もグループですよ)

そして過去に負けてしまったゲームの内容は、それは単なるデータとして有効活用いたしましょう。

過去に負けたゲームそのものに、現在と将来を操られてはなりません。

それから、余計なゲームをすることはマジ止めましょう。

過去に終わったゲームをまだ戦っているとか、他人の感情のレベルを押し下げるといったゲームでは自分の感情のレベルまで押し下げてしまいますよ。

感情のレベルが下がるとうことは、端的に言って「生きているのが嫌になる」ということに他なりません。

最後に書きますが、人は暇になると、本当にろくなゲームを思いつきません。

暇になる前に、自分にとって、人にとっても良いゲームを設定しましょう。

最初は小さいゲームで構わないです。

「一日一回これをする」のもゲームです。

「私はこれこれで世界制覇する」のもゲームです。

今週も最後のコラムになりました。それではまた次の日曜夜の更新になります。
違った!成人の日」が入って連休となるため、次の月曜に更新ですね!

明日が良い日でありますように。

カーネリアン・復活のとき・2019年1月10日

 

カーネリアン(Carnelian)
カーネリアン(Carnelian)

カーネリアンが出ています。

カーネリアンに求めるのは「やる気」。

カーネリアンは結構複雑な働きをするパワーストーンですが「やる気」を引き出すことは中でももっともシンプルな表現と言えます。

そもそも「やる気」というのは、自分の中にある「足を引っ張るマイナス感情」が最大限の邪魔物。

カーネリアンはその邪魔物に抵抗するエネルギー源であったり癒しであったりの役目を負っているようです。

カード:審判

良いカードです。

このカードの意味は「審判」というよりも実質的には「復活」とか「再起」に近い感じがあります。

人生を全く新しくスタートさせる、そんな時期に突入です。

様々な苦境や破綻を経験しながらも、それらの苦難が払拭されるといった覚醒があるようです。

そこで、過去に負けが込みすぎたゲームの記憶に引きづられぬよう、新しい人生に向かってのやる気を発揮するとき。

この再スタートに気づかずぼやっとしていてはなりません。動き回るなら今です。

ゲームと人生

ここでゲームというのは人生の中で目標の奪取に向けて取り組んだこと、とします。

(で、退屈な人生というのはゲームがないからです)

しかしいつもゲームでゴールを達成できるとは限りませんよね。

人生の中には様々な失敗があります。

自分のせいでなくとも突如として障害が立ちはだかり、ゴールをゲットできないということはあり得ます。

しかし人は、ゲームに負けが込みすぎると自分で新しくゲームを設定することをしなくなります。

これは要するに感情のレベルでは保守的より下に位置します。

で、自分はゲームに参加せず、人のゲームを眺めます。

そして自分は感情のレベルとして保守的以下ですから、人のゲームに対するコメントも、そうした低い感情のレベルで応答することになります。

人間、ヒマになるとろくなことをしません。「小人閑居し不善を為す」です。

誰かの行動に対する「炎上」というのは、退屈、敵対心、怒り、秘めた敵意あたりにいる人達が中心になっていることがわかるでしょう。

(ただし、その誰かさんのゲームが倫理的で正しいかは別問題ですよ)

人のゲームにとやかく言う前に、自分の人生の中にゲームを設定すべしですね。

ゲームを設定すれば,、それは感情のレベルとして「強い興味」にいることになります。

そうすると、人のゲームをとやかく言う暇がなくなるでしょう。

自分のゲームに一生懸命な人は炎上に加担している暇はありません。

「でもなあ、ゲームと言ってもやる気がなあぁ〜」と言うとき、これは自分で考えて自分でお尻を叩くのは間違いではないでしょう。

カーネリアンをお供にしてください。

明日が良い日でありますように。

プレナイト・選択と責任・2019年1月9日

プレナイト(Prehnite)
プレナイト(Prehnite)

プレナイト・選択と責任・2019年1月9日

プレナイトが出ています。

プレナイトに求めるのは「正しい選択」。

プレナイトには自分にとって必要な情報だけをフィルターにかけるように選りすぐってくれる作用がありますね。

この働きの根底にあるのは、実のところちょっとばかり「頭を冷やす」ということにありげ。

緊張があったり、うわついてのぼせ気味になっている心を鎮めてまともな判断をしようということになります。

カード:恋人たち

良いカードです。

ただしそれは「良い選択」ができていれば・・・

という条件をつけたほうが良いかもです。

新しいことが生まれる予感があるカードです。

例えば出会いがあるかもしれません。

それは恋愛系であったり、ビジネスの上でのことかもです。

そして将来の期待に胸おどるようなことがあるかもです。

ここで重要なのはなんと言っても「選択」。

そして「選択しなければならない時期にある」ということも言えそうなのです。

選択することと責任

選択するには責任を伴います。

で、優柔不断で決断することができずに選択が不能という人は、実のところ責任を負えないのではないか、という不安を抱えているわけです。

選択不能、優柔不断の正体はこれだけのことです。

で、そのような人は大切なことを他人に決めさせようとします。

そうすればその選択において自分が責任を負うことはありません。

これ、もしかしたら日本に昔から根付いている「空気を読む」とかと言う習わし、組織内での「立ち居振る舞い」の仕方と関係ありはしないかと思えてなりません。

これらの習わし、行動規範はもしかすると「個々が責任を問われずに済むかも」というセコイ損得勘定が働いてやしないかと。

で、一方「自己判断」で行動して失敗した人を見ては「自己責任だ」と声高に叫んでいるのではないかと。

でもね、元々が人の集まりというのは失敗した人でも助けなければならない「責任」があると思うのです。そうでなかったら「人々」ってなんでしょう?

それはグループとしての責任です。元々が助けあわねばこの地球上で生きていけないのが人間です。

そしてそのグループとしての責任回避をしたいがために、個々の人の失敗を「自己責任だ」と言って突き放すことをしているように見えます。

ど〜も、日本の風土には責任を負うことを回避するための圧力がずっとあるように思えてなりません。言うなれば責任回避文化です。

自分(とそのグループ)の責任を回避したいがために、個々の人には「自己責任」を押し付けていやしないでしょうか?

そんなところに、個々の真の自由や自立はないように思えます。

その選択が正しいか?プレナイトに聞いてみよう。

明日が良い日でありますように。