2016年2月3日 ラブラドライト・乗り越えるべき試練/ワンドの5
まるで試されてているかのような出来事が起こるかもです。(と言っても決して悪い暗示とは思えません)
ここでは自分が本当に正しいと思っているならその信念を押し通すのが吉。
もしかすると、かなりな困難や予想外の事態に陥ることもあり、ことによっては全てを放り出したいと思えるほど。
これまで様々に努力を重ねてきたはずなのに、なぜこんなことがという理不尽なことが起こる可能性さえありますが、信念を曲げずに進むことによって必ず打開できるはず。
ただし、そのためには大きな変革が必要となるでしょう。このとき、もしかすると周囲の理解を得られないこともあるでしょうが、少しずつ賛同者が増えて大きな利益をもたらす暗示があります。
このようなときにオススメのパワーストーンはラブラドライト(意味辞典に未記載)。
ラブラドライトは物事を最後までやり遂げられるようにサポートしてくれます。また考えがまとまらないときにラブラドライトを見つめながら思考を自由にしてみてください。様々な考えの中から正解を見つけ出せるはずです。
人生の仕組みあれこれ
今回のカードはちょとした試練を暗示しているようです。しかし、しっかりとこれを切り抜けましょう。
まあ本当に、人生は試練の連続。試練がないところに成長もありません。
ところで、最近ネットで拾った面白い言葉がありますので紹介しましょう。これはオーストラリアの先住民、アボリジニに伝わる言葉。
「我らは皆、この時この地の過客にすぎぬ。ここに来たのは、観察し、学び、成長し、愛するがため。そして皆、故郷へと帰って行く。」
かなり哲学的かつ宗教的な響きがあります。
正直なところ、これを書いている私自身は上の言葉が真理を現わしていると思えてなりません。
人生ということを、一段上から見下ろして観察してみると、まさにこう言ったことではないでしょうか。
さらに、これに仏教系の思想を加えるならば、「そして人生は輪廻する」ということになるでしょう。
人生の中ですることとは何か?
その答えはアボリジニが言う通り、観察し、学び、成長し、愛するがため、それ以外にはないでしょう。
以上のことだけでもかなりインパクトがありますが、さらに・・
「知れば知るほど必要な物は少なくなる」
ううむ、まさにコレ。
このコラムで以前少し触れましたが、「物を持ちすぎると自分自身が物体になる」ということのまさに裏返しの言葉になるでしょうか。
これをもう少し、身近な例に例えると、物体それ自体にこだわり、執着すると、自分自身が物体になるということです。
以上のことは、人間は体がその本体であって、死ねば灰燼に帰して何もなくなるという思想の場合には全く当てはまらず、考慮の余地のないことではありましょう。
ただ、私自身の「記憶」としてここに記しておきます。
「人間の本質部分は物体ではありません」
とは言ってもピンとこないお話ですよね。それでは仮定として以下のような例を挙げておきます。
誰かが死んだとします。その体は心臓が止まって医学的に死亡が認められています。体の死は、体が物体であることの結末です。
そして、その人の魂というのがあると仮定しましょう。魂は死んだ物体の体から抜け出します。
が、もしもその魂が「物体を欲しがる人生を送っていた」としましょう。
そのような場合には体という物体が「自分自身」であるという錯覚、間違いを犯しているのがほとんどです。自分自身を体その物だと思い込んで生活しているのでそうなっても無理はありません。
で、自分が物体だと思っていた人は、死んでしまった体から離れられない、または「その場所」という物理的な空間に縛り付けられる・・・ということになります。
世に言う「自縛なんとか」です。
上の説明でなぜ「自縛なんとか」が存在し得るかわかったでしょうか?
あ、いえいえ、これは全て仮定の話です。
明日が良い日になりますように。