2016年9月13日 クンツァイト・人を助けよう/カップの10
おお!久々にとびきりの良いカード!
もうほとんど言うことなし的に良いですね。
長い間夢見ていたことが実現したりの幸運な出来事が起こりそうですよ。また人間関係では新しいパートナーが出現したり、経済的な安定などのかつて望んだことが手に入りそうです。
その喜びは周囲の人々の助けがあってこそのものと知りましょう。より一層、人々に手を貸すことで「幸せの種」をまいてください。ボランティアや寄付などを考えても良いでしょう。
そうすることで自分自身の精神も安らぎが訪れ、様々な問題も解決しそうです。こうして重荷からの解放や心の安定を得られるでしょう。
このようなときにオススメのパワーストーンはクンツァイト。
キーワードは「無償の愛」です。が、しかしこれを実行するためにはまず「自分を愛する」という難関のクリアが必要です。本日は良いカードなので、自分自身に対しての宿題の意味を込めてクンツァイトを選択しておきました。
受容すればとらわれずに済む(その3)
昨日までに「拒絶」はろくなことではないという話を書きました。
さて、何かを拒絶すると、実際にはその人はその拒絶した何かに支配されることになります。
何かを拒絶すると、その相手に支配されるということです。一方、拒絶されている方は支配を受けません。
このことについて自分自身の今までや、誰かのことについて例がないか考えてみてください。
そしてまたこの拒絶はそもそもがコミュニケーションの欠乏によって生まれていることに思いを巡らしてみてください。また、コミュニケーションが存在する理由は、様々な影響をもたらし、様々な影響を観察することです。
と、ここまで書きましたが、拒絶の逆である「受容」は単に「なんでも認める」という立場ではありません。もちろん放棄とも違います。
この受容の目的としてもっとも近いのは「諦観(ていかん)」でしょう。
諦観(ていかん):全体を見通して,事の本質を見きわめること。「時代を―する」
スーパー大辞林より
これをするためには「受容」がそれに先立ってあり、そしてそのためにはコミュニケーションが不可欠です。受容のないところに諦観はありえません。
なお、この「諦観」はもともとが仏教用語です。意味としては本来「因果の道理を明らかに見る」です。これは現在の「あきらめる」の語源で元々の意味現在の用法とは異なっています。
「因果の道理を明らかに見る」人は、その対象に囚われることはありません。
明日が良い日でありますように。