クンツァイト・夢が実現する・2020年12月25日
クンツァイトが出ています。求めるのは「人との縁を大切に」「リラックス」。
クンツァイトは基本的に愛情系のストーンですね。
穏やかで優しいエネルギーを持っており、持ち主を慈愛で包みます。
(もちろん癒し系でもあります)
それがあれば、人との関係性を良好に保つことに困難さがなくなり、リラックスした状態で人付き合いできるようになるでしょう。
自分を愛するように人と接することで、自分と人を幸福にすることができます。
全体が幸福でなければ自分も幸福になれないことを知りましょう。
クンツァイトと相性が良いストーン
精神的な浄化作用として癒し系ですね。不安や恐怖を取り除くことが得意です。
クンツァイトの慈愛をしっかり受け取れるようにベース部分を整える感じがあります。
カード:カップの10
これは最上級に良いカード。
夢に見ていたことが実現するなど幸運が訪れる兆し。
十分に満足がいく暮らし、愛情の充実などなど。
望んだ生活として、安住の地を定めたりと飛躍的に経済的な余裕が生まれることでしょう。
これらの結果を得られるのは、他でもないあなた自身が他に注いできた愛情がタネになっています。
これからも人々との縁を大切に、恩を忘れずに関係を育みましょう。
周囲への援助を惜しまず、社会的な貢献をすることで自己成長もあります。
難題はうまく解決され、心配事はすぐに吹き飛ぶでしょう。
ここで精神的なゆとりが生まれますから休息を取るのも吉。リラックスしてください。
ヘルプのトラウマを補足
前回は日本について「ヘルプできないことのトラウマ」がありはしないかと書きました。
今回は「ヘルプのトラウマ」について補足しておきます。
人間を始め、多くの生物は「仲間を助ける」という根源的な性質を持っているようです。
それがあって、種としての存続を可能にしているのでしょう。
ところが少なくとも人間の場合、心やその反応が邪魔し、この「ヘルプ」がスムースでなかったり、変にねじ曲がってしまうことがあります。
例えば、満員電車でお年寄りに席をゆずることを考えてみてください。誰でもが躊躇(ちゅうちょ)なくできるでしょうか。
また近頃では「マタハラ」と言って、元々はヘルプされるべき妊婦さんがハラスメントの対象となるといったおかしなことも起こっています。
なんでこんなことになるのか?
これは多くの人が「ヘルプに関するトラウマ」を抱えていることが考えられます。
それは多くの場合「誰かを助けることに失敗した」という嫌な経験が元にあります。
その出来事は、大事件もあり得るでしょうが、小さいことの積み重ねがあります。
例えば幼い頃、家族というグループへの参加意識が芽生えた頃、何か家の手伝いになることをしようと思ったことがないでしょうか?
自分で考えてやったり、親に言われてその手伝いをしたところ、それが失敗して叱られるといった出来事。
他には、本当に些細なヘルプを申し出たところ、にべなく断れれた時の感覚。これは「お前は不要だ」と存在を否定されたような気分があるかもです。
このような小さな出来事が家庭内、学校、職場で繰り広げられます。
そうして次第に(人によってですが)、小さなトラウマがチリと積もって「私は誰かをヘルプできない」という方向に固まることになります。
また、少しは大きな出来事として、誰かを本当に助け損なう事件に遭遇することもあるでしょう。
例えば、病気の家族を金銭的な理由で助けることができなかったとか。もっと良いアドバイスをしていれば、もっと的確に援助していれば相手が怪我をすることはなかっただろうとか。
この様な大きな出来事では、自分自身に罪を感じてしまうことになります(過失も含まれます)。
こうして自分自身に罪を感じ、それだけならまだマシですが、その罪を逃れようとするのも人情。するとその失敗を正当化するための理屈をひねり出します。
それは「相手が悪いのだ」です。
そして、新しく起こった「ヘルプするべき場面」でそれが起動します。
例えば、前述の「マタハラ」を見てください。
助けるべき人が電車に乗ってきます。助けなきゃいけないと思います。しかしできない・・・
「満員電車に乗ってくる妊婦さんが非常識だ」になります。
自分が過去に体験したヘルプの失敗記憶が蘇り(本人はそうと知らず)、そしてトラウマが刺激され、失敗の正当化から相手を攻撃するわけです。
それに打ち勝つには再びですが・・・
「合理性」「理性」「善意」「倫理」しかありません。
そしてもうひとつ。
誰かがあなたを助けようとしたとき、もしもそれが不要だと思ったとしても、先に言うことは「ありがとう」。
それから相手が納得するように助けが不要だと言うことを教えてあげましょう。これは相手に不要なトラウマを植え付けないためにです。
また相手がヘルプに失敗したとしても、ありがとうが先にあり、失敗をとがめないこと。
明日が良い日になりますように。