シトリン・希望の星・2019年4月16日
シトリンが出ています。
シトリンに求めるのは「自分を信じること」。
シトリンは一般的に金運ストーンとして使うことがありますが、セレニティアスではこの用途に使いません。
それよりも自己実現系ですね。(それを通じて金運に結びつけることもありとして)
シトリンのポイントとなる働きは「自信・勇気・明るさ」をもたらすことです。
実のところ、これを実現するには精神安定系とともに過去のトラウマを防ぐような癒し系の要素が根本にあるのは確かです。
カード:星
おお!良いカードですね。
導きの星が輝いています。
あきらめかけていたことがあるなら再チャレンジのとき。
そして希望を叶えるために第一歩を踏み出すチャンスの到来です。
自分自身で希望を捨てない限り、この星はいつでもあなた自身を照らし続けていることを忘れないでいましょう。
アイディアがあるならそれを具体化するときでもあります。
感情のレベルを「使う」その2
さてさて、さらに具体的な感情のレベルの話を続けます。
まずは下のスケール(ものさし)を記しておきます。
- 静穏 合理的
- 熱狂 ↑
- 陽気
- 強い興味
- 保守的
- 満足
- 退屈
- 敵対心
- 怒り
- 秘めた敵意
- 恐れ
- 同情
- 悲しみ ↓
- 無気力 不合理
題材:ブラック企業で働くと・・・
ブラック企業のエゲツない就労状況が話題になることがあります。
それを知った時に第三者の感想として「なんでそんな職場を辞めないのだろう?」と思ったことはありませんか?
しかし当事者は辞められないのですよね。
心身ともに限界なのに、自分からは辞められないのです。
とにかく日々暮らすための収入のためとか、次の就職が難しいだろうと考えてとか、理由は様々でしょう。
ところが、ブラック企業で働きすぎて命を落とすほどの人の中には、それらの条件に当てはまらない人も少なくありません。
例えば実家に帰ればとりあえず当面は食べられるとかね・・
ではなぜ辞められないのか?
それはそこで働いている人々の感情のレベルが最低の「無気力」にまで落ちてしまっているからです。
自分の命が脅かされるほど理不尽なことでも引き受けてしまい、寝食を忘れて働き続けます。
それは「こんなのおかしいだろ!」という当たり前で合理的な判断をする気力が奪われているわけですね。
「理不尽なことに抵抗しない」というのは感情のレベルの中では「無気力」ですよ。
これに近いこととしてDV被害者にも同じことが起こります。
暴力を振るわれることに対して抵抗せず「無気力」に陥っているわけです。
ここで言えることは、ブラック企業やDV加害者は、悪辣な意図によって被害者の感情のレベルをとことん下げることをしているということです。
被害者の感情のレベルをずーっと下げて下げて「無気力」にまで到達させると抵抗しなくなり、どんな理不尽なことでも引き受けるということです。
(なにせ合理性においては最低ランクですから)
実は、筆者自身が書きたくないのでこれまで書きませんでしたが、「感情のレベル」の一覧の最も下、すなわち「無気力」の下には、実は「死」があります。
また、無気力でブラックな働かせ方をさせられている人(そしてDV被害者)を救い出しにくいのは、無気力であるがために自分で声を上げないという現実もあります。
ちなみに、収入のためにやむなくそこで働いている人の場合は、そこに「自己決定」という合理性があります。(感情のレベルとしては保守あたりか)
これは「無気力」でなく、声を上げる必要があるならそうするし、辞める時には辞めるでしょう。(感情のレベルとしては保守を脱して強い興味あたり)
さらに「ブラック企業反対!」としてデモ参加や署名を集めているような人は「悲しみ」や「怒り」から始まり「強い興味」といった感情のレベルにまで到達していると言えそうです。
国全体の感情のレベルで考える
上の例では就労に重点を置いて書きましたが、「無気力になる」ということについては様々な分野にまたがります。
例えば・・・政治
政治に無関心、というのは政治に関して国民が「無気力」なこともあり得ます。
国家自体がブラック化すればそのようになります。
筆者個人としては、日本が(一部分でも)そうなっている可能性を否定できません。
よしんば「無気力」でないとすれば「無責任」でしょう。
国民が国全体に対して無責任(レベルとし退屈〜満足あたり)で良いはずはありませんが「無気力」よりもよほどマシです。
でもね、結局は多くの国民の無責任(感情のレベルとして退屈〜満足あたり)なことの結果として、最終的なしわ寄せが行く立場の弱い人々が「無気力」に落とし込められていると見ることができそうですよ。
ちなみに、排外主義的な思想は感情のレベルとして「恐れ」あたりのもの。思い当たるフシがありませんか?
そして最後に、あなた自身がどの感情のレベルにいたいかは、自分が自分で決定できます。これが自己決定です。
明日が良い日でありますように。
質問なのですが、「自己中心的で、好き勝手やって、他人が迷惑に思っているのに注意しても聞かない人」は感情のレベルとしては『満足』なのですか?
そしてそれに抵抗(したけど、聞き入れてくれないので)できない、なので無視(触れないように)している私は『無気力』なのでしょうか・・・。
おお、これは良いご質問をいただきました。
ご自身の身の回りにあることと照らし合わせて観察するのは大変良いことと思います。
お寄せいただきました文面からのみの判断になりますが、以下の通りの回答となります。
まず『自己中心的で、好き勝手やって、他人が迷惑に思っているのに注意しても聞かない人』のこと。
感情のレベルは「満足」ではないですね。もう少し低めです。
お答えとしてその人は「敵対心」あたりが中心になっているでしょう。
調子が良いときで「退屈」、悪いときは「怒り」。
(表から見えるとは限りませんが)
【満足】
そこで、まずはみきさんが思われた「満足」という状態を説明します。
例えば、美味しいご飯を食べられるだけ食べて充足した気分。
これが「満足」です。
満足している人は、とりあえず人の話は聞くだけ聞けると言う能力はあります。
そしてある程度の返答もしますが、ただしそこそこ無責任な内容になるでしょう。
満足のレベルにいる人に何かを相談すると、そこそこ話を聞いてくれますが(形だけでも)、その人自身は責任を負わない形での返答になります。(適当な返答です)
満足レベルに固まっている人に何か問題の解決を相談しても、役立つことはありません。
◆
【敵対心】
次に、お問い合わせにいただいた「好き勝手やる人」の「敵対心」について。
「敵対心」にいる人は周囲に対して反対の「意図」をぶつけてきます。
「注意しても聞かない」と言うのはこのことです。
これは明らかに意図と意図がぶつかりあっていますね。これが「問題」ということの成り立ちです。
ね、その人の周りには問題が起こるでしょ。
その人は周囲に相反する意図をぶつけたいですから、身勝手で好き勝手です。
【退屈】
その人が調子良いときはひとつ上の「退屈」にいるでしょう。
退屈は、日曜日に家ですることがなくゴロゴロしているお父さんのような状態。
「掃除の邪魔だから外へ行って!」と言われれば「ああ、わかったよぉ」と言ってそうします。基本的に無責任ですが、聞く耳は持ち、人の意図に同意もできます。
【怒り】
その人が調子悪いときは「敵対心」のひとつ下「怒り」にいます。(表から見えないかもですが)
さてそこでみきさんはその人を「無視」しようとしているわけですね。
これは「無気力」ではありません。
「無視する」のは積極的なアクションであって自己決定が働いています。
「無気力」というのは自己決定がない状態です。
また、例えばあの「身勝手な人」の指示をみきさんが引き受けたとしても、それは一定の評価の元に、自分で決定してそれを引き受ける、というアクションがあると思います。それも自己決定は働いていて「無気力」ではありません。
例の人に日常的に対応するには、その人よりひとつ、ふたつ上のレベルにいることです。
こちら側で「敵対心」にまで落ちてはいけません。
実質的には、みきさんは例の人に対して退屈か保守的あたりの態度で接しているのではないかと思います。
長くなりましたが、以上の通り回答します。
ありがとうございます!
そうか、「無気力」ではないんですね。
安心しました。
安心したら「難しいけど面白いな」って思えました。
もっとレベルを上げるために努力します^^