「癒し系パワーストーン」カテゴリーアーカイブ

癒し系にお勧めのパワーストーンに関する記事を集めています。癒しとひと口に言っても様々なケースがあります。あなたにピッタリのパワーストーンを見つけましょう。

アメトリン・未来を作ろう・2019年5月16日

アメトリン(Ametrine)
アメトリン(Ametrine)

アメトリン・未来を作ろう・2019年5月16日

アメトリンが出ています。

アメトリンに求めるのは「受容力」。

アメジストとシトリンが合体したストーンですね。

ポイントとしては「相反することのギャップを埋める」ことから、今回は受容力をアップさせることを目的に使います。

そしてアメトリンには癒し系としてリラックス効果を持ちますが、これはそもそもが「受容力アップ」によってもたらされることがあります。

カード:ペンタクルの王子

良いカードでしょう。

未来に向けて研鑽を積もうとしている様子があります。

そのためにはある程度は物事に耐えることが必要かもしれませんが、それに対しても乗り越える気力が充実しているようです。

問題があるとしても、信頼できる人物や他から考えを導き入れることで柔軟な解決を見いだせることでしょう。

そのためには、偏りなく様々な意見を取り入れられる姿勢を保つことが大切。

経済面では嬉しい出来事があるかもですよ。

全体決定について(Pan-determinism)

人生はゲームに例えることができます。

これは将棋やチェスのボードの上で自分自身が駒になって戦う感じです。

ゴールを知っていて、自分が何を演じているのか、それを理解して進めるゲームですね。

しかし、単に駒として動いているときには見えないことがあります。

おかしいなあ、こんなはずでは?

人生には様々な疑問が湧き、どうして良いか分からないことが起きますよね。

そんなとき、ゲームの駒を演じるのを一時的にやめてみて、そのゲーム盤を上から見てみましょう。(例えて言えば、神の目になって)

対戦者の目的は、自分の目的は、戦局は、果たしてこのゲームそれ自体がそのそもまともなものなのか?

そんなことが見えてくるかもです。

そうすると、対戦者がやりたいことを理解できることもあります。

「あ、それなら半分譲っても構わないし、その方が全体としてうまくいくかも・・・」

そんなことに気づくかもですよ。

こういうとき、極端な考えを持っているとそれができません。相手を叩きのめすまで死闘を繰り広げようとしてしまいます。

ま、そんなことをしているのはそもそもが感情のレベルとして「敵対心」あたりに下がっていてそれから上がれない哀れな人々のすることですが・・・

ゲームを上から眺め、そして自分がどうするか決定すること、これを「全体決定」と言います。

全体決定:(Pan-determinism パン・デターミニズム)

これができるようになるには「受容力」のアップを必要とします。(そこでアメトリンがオススメなのです)

対戦者がどうしたいのか、これを知るには「対戦者になってみる」ということが必要になります。

単に相手を打ち倒すことに取り憑かれていては自分自身を含めた全体の生存にプラスにならないことの方が多いのです。

これ、組織や社会の運営、資本主義や国会決議で見失われて久しく思えます。

明日が良い日になりますように。

アマゾナイト・安心が訪れる・2019年5月14日

アマゾナイト(Amazonite)
アマゾナイト(Amazonite)

アマゾナイト・安心が訪れる・2019年5月14日

アマゾナイトが出ています。

アマゾナイトに求めるのは「成長」「行動」「積極性」。

アマゾナイトは様々な働きを持つ使いやすいストーンです。

見た目には優しいパステルカラーをしたストーンで、癒し系な雰囲気ですが、実際には「希望の火をともす」強いエネルギーを持っています。

今回はこちらの働きを主に使います。(意味辞典ではあまり触れていませんね)

また今回のカード(ソードの9/リバース)から、気持ちの切り替えをさっさとやろうと言う部分でも大変有用です。

「行動」に関しては頭脳を明晰にすることでするべきことに順位をつけ、さっさとそれに手をつけられるようになります。

カード:ソードの9/リバース

ソード系のカードは表の方が悪いか、または表裏のどちらも良くない判定が多いですね。

今回のソードの9/リバースでも選者によっては悪い方がありますが、サイクルの終わりに近い「9」と言うナンバーから、リバースで良しとします。

抱えていた問題が解決しそうですよ!
今はぐちゃぐちゃでもきっとそうなる!

実は、その問題というのは単に考えすぎであったり、問題でないことを問題にしてしまっていたりかもです。

確証なく疑っていたり、単に誤解していたりが自分自身にあったかもしれないことを知りましょう。

これらか解消してみると、自分を取り巻く人々に対して誠意を持って対応することをお忘れなく。

そうしながら自分自身がきっと成長しますよ。積極性をもち、新しい行動を起こしましょう!

間もなく!

大きな安心、幸福が訪れます。

疑うならコミュニケーション

物事を疑いだすと、いろいろなことがグルグルと頭によぎってああでもないこうでもないと考え出します。

そのうち「きっとこうだろう」という決めつけも起きてきます。

最後にはそれがまるで事実であるかのように取ってしまいます。

まったく確証がないことなのに、なんでそのような考えになるのか不思議なのですが、そうなるケースが多々あります。

「疑い」は感情のレベルとしてそこそこ低い起きますから、大体は悪い方へ悪い方へと考えますよ。

ソードの9というのはそのような状態を表しています。

疑いがあるとき、事実を知るための処方箋、それは簡単。

コミュニケーションです。

このコミュニケーションは人と人が話すだけではありません。

自分自身が何かのフタを開けて、それを「見る」ということです。

ね、「見る」・・・これは「知っている」のスケールの途中にありますよ。

で、「知っている」に到達します。

「知っている」ですからもう「疑う」必要はありません。

「疑う」は「食べる」の下にある「ミステリー」にありますよ。

ですからコミュニケーションです。

明日が良い日になりますように。

クリソプレーズ・公平に判断して待つ・2019年5月9日

クリソプレーズ(Chrysoprase)
クリソプレーズ(Chrysoprase)

クリソプレーズ・公平に判断して待つ・2019年5月9日

クリソプレーズが出ています。

クリソプレーズに求めるのは「中立・公平」「熟考」。

基本的には癒し系的に、感情の波を沈める方向にあり、極端な選択を避けて中立、公平な判断力を呼ぶことができます。

感情がたかぶり過ぎてのイケイケな判断ミス、そして気分が落ち込んでしまっているとき、あまりにまずく物事を捉え過ぎるいうことを対策できます。

正しい判断には、感情の安定化が先決でしょう。

そのためにはまず、クリソプレーズのような癒し系のストーンが登場することが多いわけです。

カード:ソードの2

これは難しい、良し悪しをひと口に言えないカードです。

ただしまあ、結果オーライという感じでしょうか。

今の状態はどちらかと言えば「待ち」。

問題を抱えてはいるのですが、それは今のところ小康状態。

これをどうしようかと考えあぐねていますが、実のところ本心ではある程度の結論を得ている様子。

何かアクションを起こすようなきっかけが向こうからやってくるのを待っている感じがあります。

しかしながら、いずれにせよどうするか「選択」しなければならないのは確か。

そして最終的に答えが出るでしょう。

その選択について大切なのが「中立・公平」そして「熟考」です。

そこでクリソプレーズを取り上げました。

「冷蔵庫の中」

前回の記事で「手放せない」ことについて「知っている」のスケールを例に取り憑かれた「コレクター」について書きました。

今回はもう少しわかりやすい例を記します。

復習ですが、「知っている」のスケールとは様々なことや問題に対する態度です。

当然ですが、最上位の「知っている」が物事に対しての処理力は高いわけです。

  • 知っている
  • 見ている
  • 感じている
  • 努力
  • 考えている
  • シンボル
  • 食べる
  • etc.

さて、取り憑かれたコレクターとして「冷蔵庫の中身を捨てられない人」を取り上げます。

ね、もう食べられなくなった食材が冷蔵庫に多量にある状態です。

これは単なる怠惰でしょうか?そうかもしれませんが・・・

冷蔵庫の中身についてその人が「知っている」という状態ではないでしょう。

最初は「知っている」状態でそれを買いました。

しかしそのうち、いつ入れたかわからず、実は何が入っているかもわからず、どれが期限内かどれが期限切れか・・・わからず。

そのあたりは「知っている」とはほど遠いわけです。

手放すことができないのは、単にそのことについて「知っている」のレベルにないからですよ。

最初、たった今スーパーで買い物してきたあれやこれ、それらが冷蔵庫にしまわれます。(ここではまだ最高位の知っている、です)

そして冷蔵庫を開けてそれらを「見ている」状態となり、どんどんスケールを下がって「食べる」に行き着きます。

途中には捨てようかどうしようか「考える」というレベルも通過していますよ。

そしていつか食べるつもりの備蓄食料だ、ということの「シンボル」としての扱いもあるでしょう。

そして最終的に食べていないのに「食べる」です。

「食べる」というのは消費のことですよ。

腐らせて消費してしまったのです。

冷蔵庫の中に、部屋の中に、そこに手放せない物があるとすれば、その対象について「知っている」のレベルにないわけです。

もう知るのが嫌で「見る」ことさえ拒絶ってことがありませんか?

それじゃあ手放すことなんてできませんよね。

ちなみに、「食べる」のもっと下には本来は「ミステリー」という段階があります。

これ、本当に何ヶ月も掃除や整理したことのない冷蔵庫の一角を表します。

何があるのかマジわからないという「ミステリー」でしょ。

(ゴミ屋敷も同じです)

それでは明日が良い日になりますように。

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリン(Aquamarine)
アクアマリン(Aquamarine)

アクアマリン・回復のとき・2019年4月26日

アクアマリンが出ています。

アクアマリンに求めるのは「回復・復活」。

どちらかと言えば、愛情系で使われることが多いアクアマリンですが、実は「回復・復活」が元にあります。

「仲直りの石」というこのはまさに回復・復活です。

そして更に、その根底には癒し系的浄化力によって成り立っていることもありです。

浄化、すなわち「水に流そう」という、そんな感じがありますね。

カード:ソードの4/リバース

これはリバースでよしとしましょう。

厳しいドタバタが過ぎ去った静寂ですね。

ここで我に返って静かにしている感じ。

これは昨日の延長の「内観」に通じるものあり。

ここでちょっと休憩し、体勢を整えるタイミングに来ていそうですよ。

復活のための準備、そして再び歩み始めることになるでしょう。

かつてダメだったことも改めて取り組むことができそうです。

役に立たない懲罰ということ

懲罰(ちょうばつ)とは、 悪い行為に対して,いましめのために罰を与えること。

これは大体、罪とペアにして語られることが多いです。

単純に言って罪を犯せば罰(バチ)が当たるということです。

それは人間の法律による罰かもしれませんし、ことによっては神様から与えられる罰かもです。

しかしながら、単にいましめたところで、その人の罪がどうなるわけでもなく、(自己分析が終わっておらず、なぜ罪を犯したのかもわからぬまま)、被害者や環境への悪影響の救済もありません。

そういう意味では特に人の法律による罰はほとんど役に立ちません。

必要なのは分析と償いによってその人自身が罪を知って罪から回復することです。

ですから、もしも自分で自分に懲罰を与えていることがあるなら、それは即刻よしましょう。

本当に自分に罪があると思うのなら、分析と償いの行動を強くおすすめいたします。することは決して懲罰ではありません。

それから、法律によって厳しい懲罰を課せば犯罪抑止になるという考えもありますが、これは統計的に全く正しくないそうです。

(むしろ、モラルの低下によって厳罰化が進んでしまうという悪循環はあり。モラルの低下は罪の分析が進んでいない結果)

法則としての罰その1

ところで、人の法律としての罰と、自分の意思によって自分に与えた罰以外に、法則として働く罰が「二つ」あります。

そのひとつが・・・

生存の多重円の構造による自然に起こる罰です。

生存の包含関係
生存の包含関係(多重円)

この円の中心にいる自分だけの生存性だけを最優先にし、他の最大多数の輪の生存をくじくことがそもそもの罪なのはお分かりだと思います。

で、ここで自分を包含する他のレベルの輪の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局自分が潰されてしまいます。

これが罪によって起こる自動的な罰の法則です。

国というグループでもって個人の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・

結局は個々人の生存性が下がり、国が維持できません。

これって戦争に突入し、結局は滅びの道を歩みます。これ、罪による罰の法則です。

面白いことに、この生存の多重円による法則は、その時々の文明・文化に左右されません。

これによって滅びる文明は滅んでいますよ。いくつもです。

法則としての罰その2

前に書きましたが、過去の罪が現在に影響する・・・

これ自体がもう罰ですね。

過去の罪に縛られることは現在においてその人の生存性が下がることになります。

過去に間違ったのと同じ混乱が起こると、また間違ったアクションをしてしまます。

自己分析がないがために、その罪を正当化し、率先してその間違ったアクションをしてしまうこともあり・・・

それでも誰にも罪はある

誰にも罪あります。

人は全知全能ではありませんから。当然ですよね。

長い一生とか、自分では意識できないようなこともあり。

人によって数限りない転生の過去の歴史の中で・・・

しかし私は罪深い!と言って嘆く必要なありません。

どうしても知識不足で最善策が取れないこともあり、悪気のない過失による罪だってあります。

また、単に勘違いとして「あれは罪だ!」と思い込んでいることもあり。

生存の多重円として、全体がうまく生き延びる方法について、知識を高め、倫理観をアップさせる以外にはありません。

そこから立ち直るには、この罪をどうやって処理するかを自分で考え、行動するかです。

それから、最後になりますが・・・

自分が行動することで罪を犯してしまわないかとビクビクする必要はありません。

これ自体が自分の生存生を下げる罪かもですよ。

もし間違ったことに気づいたら、誰もが納得できる償いをして、そうして先に進みましょう!

こんなとき、アクアマリンの「水に流そう」が良いかもですよ。これ、「回復のとき」です。

罪と罰の話。これで一旦終了です。

明日が良い日でありますように。