日々の記事はちょくちょく書くかもです。
セレニティアスの営業
- 4/27~5/6の期間、商品発送は毎日可能です。
- 宅配による商品お受け取りも可能です。
お問い合わせの返信につきましては通常の平日通りの運用とし、順次返信を差し上げます。
長い・・・
あまりにも長いGWです。
カレンダー通りに記事アップのスケジュールとすると空白ありすぎ!
そこで、この10日間の休みのどっかで、ふと記事アップすることになると思います。ですからチラ見して更新をお確かめください。
日々の記事はちょくちょく書くかもです。
お問い合わせの返信につきましては通常の平日通りの運用とし、順次返信を差し上げます。
長い・・・
あまりにも長いGWです。
カレンダー通りに記事アップのスケジュールとすると空白ありすぎ!
そこで、この10日間の休みのどっかで、ふと記事アップすることになると思います。ですからチラ見して更新をお確かめください。

アクアマリンが出ています。
アクアマリンに求めるのは「回復・復活」。
どちらかと言えば、愛情系で使われることが多いアクアマリンですが、実は「回復・復活」が元にあります。
「仲直りの石」というこのはまさに回復・復活です。
そして更に、その根底には癒し系的浄化力によって成り立っていることもありです。
浄化、すなわち「水に流そう」という、そんな感じがありますね。
これはリバースでよしとしましょう。
厳しいドタバタが過ぎ去った静寂ですね。
ここで我に返って静かにしている感じ。
これは昨日の延長の「内観」に通じるものあり。
ここでちょっと休憩し、体勢を整えるタイミングに来ていそうですよ。
復活のための準備、そして再び歩み始めることになるでしょう。
かつてダメだったことも改めて取り組むことができそうです。
懲罰(ちょうばつ)とは、 悪い行為に対して,いましめのために罰を与えること。
これは大体、罪とペアにして語られることが多いです。
単純に言って罪を犯せば罰(バチ)が当たるということです。
それは人間の法律による罰かもしれませんし、ことによっては神様から与えられる罰かもです。
しかしながら、単にいましめたところで、その人の罪がどうなるわけでもなく、(自己分析が終わっておらず、なぜ罪を犯したのかもわからぬまま)、被害者や環境への悪影響の救済もありません。
そういう意味では特に人の法律による罰はほとんど役に立ちません。
必要なのは分析と償いによってその人自身が罪を知って罪から回復することです。
ですから、もしも自分で自分に懲罰を与えていることがあるなら、それは即刻よしましょう。
本当に自分に罪があると思うのなら、分析と償いの行動を強くおすすめいたします。することは決して懲罰ではありません。
それから、法律によって厳しい懲罰を課せば犯罪抑止になるという考えもありますが、これは統計的に全く正しくないそうです。
(むしろ、モラルの低下によって厳罰化が進んでしまうという悪循環はあり。モラルの低下は罪の分析が進んでいない結果)
ところで、人の法律としての罰と、自分の意思によって自分に与えた罰以外に、法則として働く罰が「二つ」あります。
そのひとつが・・・
生存の多重円の構造による自然に起こる罰です。

この円の中心にいる自分だけの生存性だけを最優先にし、他の最大多数の輪の生存をくじくことがそもそもの罪なのはお分かりだと思います。
で、ここで自分を包含する他のレベルの輪の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・
結局自分が潰されてしまいます。
これが罪によって起こる自動的な罰の法則です。
国というグループでもって個人の生存性をないがしろにすると何が起こるのか・・・
結局は個々人の生存性が下がり、国が維持できません。
これって戦争に突入し、結局は滅びの道を歩みます。これ、罪による罰の法則です。
面白いことに、この生存の多重円による法則は、その時々の文明・文化に左右されません。
これによって滅びる文明は滅んでいますよ。いくつもです。
前に書きましたが、過去の罪が現在に影響する・・・
これ自体がもう罰ですね。
過去の罪に縛られることは現在においてその人の生存性が下がることになります。
過去に間違ったのと同じ混乱が起こると、また間違ったアクションをしてしまます。
自己分析がないがために、その罪を正当化し、率先してその間違ったアクションをしてしまうこともあり・・・
誰にも罪あります。
人は全知全能ではありませんから。当然ですよね。
長い一生とか、自分では意識できないようなこともあり。
人によって数限りない転生の過去の歴史の中で・・・
しかし私は罪深い!と言って嘆く必要なありません。
どうしても知識不足で最善策が取れないこともあり、悪気のない過失による罪だってあります。
また、単に勘違いとして「あれは罪だ!」と思い込んでいることもあり。
生存の多重円として、全体がうまく生き延びる方法について、知識を高め、倫理観をアップさせる以外にはありません。
そこから立ち直るには、この罪をどうやって処理するかを自分で考え、行動するかです。
それから、最後になりますが・・・
自分が行動することで罪を犯してしまわないかとビクビクする必要はありません。
これ自体が自分の生存生を下げる罪かもですよ。
もし間違ったことに気づいたら、誰もが納得できる償いをして、そうして先に進みましょう!
こんなとき、アクアマリンの「水に流そう」が良いかもですよ。これ、「回復のとき」です。
罪と罰の話。これで一旦終了です。
明日が良い日でありますように。

プレナイトが出ています。
プレナイトに求めるのは「内観」「真実を選ぶ」。
内観(ないかん):自己の内面を見つめ,そこにあるものを探求すること。
プレナイト自分にとって必要な情報を選び出す能力をサポートします。
そのためにはまず、真実を見極める目を持つことですよね。
これをさらに砕いて言えば・・・
Aということと、Bということがどう違うのかを見極める能力のことです。
かな〜り、理性的になるということです。
そして、面倒がらずにひとつのことに取り組める粘り強さももたらしてくれる、自己実現系のストーンと言えます。
よしとしましょう。
最終的に何かを見出す前夜にいる感じ。
自分の中や過去を見つめて何らかの結論を見つけようとしています。
あれは自分にとって一体何だったのか?
進んでいる道は正しいのだろうか・・・
様々な疑問に自分で応えようとしています。
精神的な成長の時であるとも言えそうです。
もうじき明るい結論が導き出せそうですよ。
今回の話題も最終段階に近いです。
今回はちょっと不思議領域へ入ります。
このコラムでは時折「もしも輪廻転生があるとすれば」ということで話をすることがあります。
で、今話題の「罪」についても触れておくことになります。
過去の罪が現在の生活に影響するのは確かです。
自分の罪を責め続けて現在の生活に縛りを加えている場合、そして無反省のために同じ間違いを何度でも繰り返す場合があります。
端的に言って「分析と償いのない過去の罪は現在に影響する」です。
そこで、もしも人が輪廻転生するとなると・・・
これはエライことになりますよ!
だって過去の何世代もの罪が現在の「生」に影響することがあり得そうじゃないですか!?
輪廻があったとして、人の肉体が滅ぶ(死です)と同時に、その人の罪がすっかり整理されるとは思えません。
罪というは肉体でなく、その人の精神自体に刻み込まれることですよきっと。(もしかしたらこれが真の原罪かもですよ)
で、輪廻転生して何回も「生」を受けていれば、どうしても罪の回数ってハンパないことになります。
さて、ある罪を犯したとして、そこにある「混乱」と取ったアクションを明らかにしないことには、また同じ混乱が起こると同じ間違いをします。
また、ことによっては上のような分析をしないと「正当化」が始まり、むしろそれが正しいことのようにして同じ間違いを率先して行うことになります。
ということは・・・
ひとつの罪は原因を分析して自分で理解しない限り連鎖する可能性があるわけです。
ということは、ひとりの人の中で、何度もしてしまう同じような種類の過ちには、発端になったただひとつの罪があるということです。
となると・・・
輪廻転生で何度も生きている人でも、繰り返される罪の発端を探し出すことができるということです。
むしろ、連鎖のお尻の方を解決しても根本的な解決にはならない可能性があり、できる限りは発端に近いところを見つけ出す必要ありです。
同じような失敗を繰り返す、という人は、是非とも発端になった最初の出来事、そこにある「混乱」を発見して整理してみてください。
ことによっては罪だと思っていたことがそうでないこともあり得ます。
これを発見すると随分気が楽になりますよ。
やり方のポイントは簡単、できるだけ古い記憶に触ります。
そうだ、そう言えばプレナイトです。
このような内観を行うにはもってこいです。
明日が良い日でありますように。

アメトリンが出ています。
アメトリンに求めるのは「バランス・調和」。
アメトリンは意味辞典にあるように、相反することのギャップを埋めることを表しています。
世の中、そしてこの宇宙には裏表やプラスとマイナスといった相反することがあり、しかしそれで成り立っていることもあり。
アメトリンはこれら様々なことをバランスどりし、最適解を得られるように導きます。
あちらが立てばこちらが立たずといった問題を抱えてしまうことがありますが、最終的には落ち着くところに落ち着くよう、調和がとれた解決策が欲しいものです。
まさにアメトリンの世界ですね。
バランス、調和が取れている状況を表しています。
偏った解決策を取らず八方よしの状態を築けるでしょう。
また、仕事やプライベートを上手にバランスさせ、調和がとれた生活をすることでなお良い状態を作れることも。
ところで、この宇宙にある様々にバランスを取らなければならないこととは、実はそれが「生存の多重円」です。

ここのところコラムで話題にしている「罪」とは、どこかの円だけ突出して生き延びようとするために他の円の生存をくじいている状態のことを言います。
(例えば自分だけ生き延びようとして家族やグループを捨てる、とかね)
今持っている知識を最大限に使って、生存の多重円のバランスを崩さないことが望まれます。
前回のコラムでは間違った選択をした「混乱の瞬間」を探すことをおすすめしていました。
今回の記事はそれの追加情報です。
なお、「罪」と言うと仰々しいですよね。ですので罪と言わずとも「選択に失敗したと思えること」とか「実は後悔している何か」と言い換えても良いです。
同じ過ちを犯さないためには、「混乱」を探して自分がどうして間違ったアクションを行なったかを知ることが必要です。
罪を犯してしまったその選択を今から悔やむことをするよりも、なぜ間違ったかを知りましょう。
そして今から振り返ってみると、より良い選択肢があったはずだと思えるかもしれません。
しかし、あのときの自分としては、知識の量としてあれが精一杯だったかもしれません。
そしてここであの罪の「動機」を求めないことです。
これが始まると堂々巡りになりますよ。例えば、やられたのでやり返したという動機に着眼することは大間違いの元ですよ。
とにかく、自分が取るべきだったと思われる最善策が他になかったかを考えてみてください。正しい動機とは「間違った選択は何だったか」です。
それがことによっては「他になすすべがなかった」という結論になることもあるでしょう。(何年か先にはまた異なる結論になることもあり)
あの時点で「他になすすべがなかった」のなら、それを罪に問うのはちょっと酷かもですよね・・・
じゃあ、自分を罪に問わないであげればいいのです。
その代わりに、「あのときもっと広い知識を持っていたら、あれはしなかった」という感想を持てるかもです。
でも、どうしようもなかったとは言え、他に迷惑をこうむった人がいるのなら、何か償いをするのは誰にとっても良いことです。
当時の当事者に対してそれができないのであれば、その代わりになるような社会的活動なども考えられます。
端的に言って罰は何の役にも立ちません。
しかし社会の中で人々の生存に対して目に見えて迷惑千万であると、とっつかまって罰を与えられます。(逮捕ですね)
現状、刑務所という仕組みがあり、そこで名目上は「罪の償い」をすることになっています。
しかし、これはあくまでも懲罰にしかなっておらず、その人が罪の重さから逃れられず、そして二度と同じ罪を犯さないためのアクションがありません。(あるとしてもそれは死刑という最終手段)
実際には懲罰は何の役にも立たないばかりか、再犯の動機を与えすらします。(復讐ですね)
ですから、自分に罪があると思っている人は、くれぐれも自分に罰を与えないことです。これは何の足しにもなりません。
するべきことは、自分が納得できるだけの「助け」を人や社会に返すことにつきます。
とにかく、自分を罰するのではなく、他の生存(自分の生存も)を助けて間違いを取り戻すというアクションに着眼してください。
これは本当に気分が晴れますよ。
次回はさらに突っ込んだ不思議な話の領域に突入します。
明日が良い日でありますように。