アイオライト・岐路に立っている・2019年5月13日
アイオライトが出ています。
アイオライトに求めるのは「新しい思考」「決心」。
おなじみの解説としては昔は羅針盤(今で言うコンパス、方位計)の部品に使われたと言うストーン。
これがあってか人生の羅針盤とも言われていますね。
さてさて、この根本にあるのは何かと言えば「自分の言動に責任を持つ」その能力を高めることにあるかもです。
そして、どんな場面においても打開策を見つけていく姿勢を保つことも特徴。
これらのことから、進むべき道を自分で決めて、そしてそれに向かって進んで行く能力を高める、とこう言うことになりますね。
これ即ち、確かに羅針盤なのかもです。
それから、アイオライトに望むこととして「新しい思考」を上げましたが、これは頭をスッキリとさせる働きから取り上げました。
モヤモヤして考えがまとまらないとか、何かに囚われるのは思考が硬直して先に進まないからですよね。
新しい思考が打開策をもたらします。
カード:カップの8
良し悪しよりもアドバイス色が強いカードですね。
何か価値観の転換を図るべきタイミングに来ているかもです。
今まで追い求めていたことに対して興味を失ったり、知らなかった分野のことに興味を持つことがあるでしょう。
これがことによっては人生の岐路になることがあるかもです。
何かを大きく変えようとするときは、様々なことからの決別があるでしょう。
これはある程度の苦痛があるかもです。
しかし、自分にとって真に価値があると思える人生を歩むためには勇気ある決断が必要です。
「現時点にいること」そして所有権
前回、人は「現時点にいない」度合いに応じて現時点での物事の処理ができなくなることを書きました。今回のコラムはその続きです。
これをちょっとメカニカルに説明しておきます。
さて、人はなぜ過去の時間に引っかかり、現時点において「心ここにあらず」になるのでしょうか?
その理由をシンプルに書くと「過去の時間を手放すことに失敗している」となります。
これは少し「は?」と思われる話になりますが「所有権」を意識することと関連があります。
「何々は私のものだ」と言うことと「何々は私のものではない」のどちらも、実は自分が決定することです。
不思議に思われるかもしれませんが、そうなんですよ!
これは法的、道義的な問題よりも根本的なこととして捉えてください。
例えば、道に停めてある車を見て「これは私の物だ」と言い出しても構いません。
そう思ってから法的な問題をクリアするためにお金を積んで名義の変更をしたって構いはしませんが、それは人間が後付けで作った単なる決まりです。
このように、所有権というのは元々が根本的には「その人がどう思うか」で決定されています。本当ですよ。
で、過去の時間に引っかかっているのは、過去の出来事の所有権を放棄できない状態です。
「所有すること/しないこと」を自分で決定するのは、実は人の能力の中にあります。
ちなみに、この捨てても構わない過去の時間は、誰かがあなたの首根っこを捕まえて「これはあなたのだからね、何とかしなさいよ」と言ってはいませんよね。
元々は捨てようと思えば捨てられる、所有権を放棄できる何かですよ。
明日が良い日になりますように。