グリーンフローライト・緩めてリスタート・2019年3月29日
グリーンフローライトが出ています。(意味辞典に未記載)
グリーンフローライトに求めるのは「視点の変更」。
グリーンフローライトは「学びの石」ですが、その結果として多面的な視点を持つことができるようになるわけです。
また逆に多面的な考えを持とうと思えるようになることから学ぶこともできるわけですね。
その根本にあるのは、意識がクリアになり冷静に物事を見ることができるようになることです。
カード:ワンドの10
良し悪しよりもアドバイス色が強いカード。
絵的には男が10本のワンド(杖か槍のような棒ですね)を抱えて呆然とした感じ。
そうです「抱え込んで」いるかもです。
目標は達成できたのかもしれませんが、果たしてそれで何を得たのだろうか?と悩んでいる感じがあるかも。
そして得たことに対しての重圧が今なおのしかかっている状態も。
元々が、やる気を出して責任を全うした結果なのですが、緊張状態が続きお疲れ気味なこともありでしょうか。
ここはちょっと視点を変えてリラックスしてみましょう。
同じことでも受け取り方でいかようにも変わります。
休憩を入れることで視点を変え、再スタートいたしましょう。
「責任」少し深掘り
このコラムでは何度となく「責任」という言葉が出てきますよね。
もしかしたら人によっては「責任」が重苦しく嫌な単語に思われかもしれませんよね。
実際、世の中で「責任」という単語は何か不祥事を起こした個人や組織の誰かが「責任をとって辞める」といった使われ方多いです。
「責任をとって辞める」はその人にその持ち場を任せておくわけにはいかない、さもないとその業務に支障をきたすということはあるでしょう。
そしてそれとは別に「懲罰的な引責辞任」があります。
そこで、ここで間違ってしまいやすいのは「責任」というのはそれが果たせない時は「罰」をくらうというイメージです。
で、罰をくらうなら最初から責任を負うなんてことはしたくないという感覚がわくことがないでしょうか。
そこで、様々なことに関して責任を負うことを避ける人もいるでしょう。
その代わりに、責任を負わないということはそのことに関して受け身になるということです。
例えば、選挙で投票に行かないという権利放棄は、単なる権利放棄とは違い自分たちの社会に対しての責任を負うことをせず、受け身になる状態です。後から文句を言えません。
そして最終的に人は「自分自身」にさえ責任を負うことをしなくなります。(これって前回のコラムで触れています)
そうするとこれはもう完全受け身ですね。
最後の砦(とりで)である自分自身への責任を放棄してしまっては、確かに自分自身に罰が下ってしまいます。
このメカニズムから逃れる方法はないですね。
この「責任を負える」能力は感情のレベルと連動します。
例えば「怒り」あたりより下にいる人がまともな責任を負うことはありません。(ギリギリで敵対心あたりはまだ許せるか)
それからそもそも責任というのは決して「責め」ではありません。単に自分自身が起因となって物事を動かすことです。
その中には自ら進んで受け身になることまでも含まれます。これと単なる受け身は別物です。
ただ最後に書き添えますが、責任をあまりに重く感じる必要はありません。そもそもが「自らことを起こし、その結果を引き受ける」以外のことではありません。
明日が良い日でありますように。