ホワイトハウライト・いとわずリトライ・ 2018年7月6日
ホワイトハウライトが出ています。
ホワイトハウライトに求めるのは「リトライの勇気」。
ホワイトハウライトは基本的に感情をコントロールすることに長け、ストレス耐性を上げる働きですね。
感情の波を沈めるというある意味癒し系でありながら、持ち主をアクティブにするちょっと特殊な働き方をしていますね。
上下する感情のレベルを低いところから高いところに引き上げてくれることを期待しましょう。
さて、カードは「ワンドの10」。
まあ良いカードでしょう。
今がある種の「区切り」にあることを意味しており、新しく出発する兆しを表します。
とりあえず、なんらかの結論が出ているようですが、ことによってはその結果に満足していない可能性も。
そして、これから改めてことに取り組む決意をしつつも、そこかからくる重圧にうんざり気味な可能性もあり。
しかしここは気分をリフレッシュしてスタートしましょう。
同じことに取り組むとしても新たな気分で、新しいアプローチ方法を取るのがひけつ。
理解することの深掘り
ここのところ、このページへコメントをいただき嬉しく思っています。
そのコメントはただのコメントでなく、記事内容についてご自身が実際にご存知の現実と照らし合わせていらっしゃるのが素晴らしいと思います。
ここで思い当たるのが「理解すること」です。
一般的な日本の学校では試験に通るための勉強ばかりをしてきました。
これ、実際にはほとんど記憶力テストに過ぎません。本当にその課題を理解し自分のものにしているかどうかはまったくの別問題でしょう。
ここで思い出していただきたいのが「理解の三角形」です。
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学んだ知識はそのことについてのリアリティを持つこと。これがなければ理解にはなりません。(この三角形からリアリティを取り去ると三角形ができません)
単に記憶するという学習では何のリアリティもありません。(すなわち真の理解はありません)
ですから何か新しく知ったデータやそれから導き出された知識は必ず、自分がそれまでに見聞きしたり体験したことに当てはめてみることが重要です。
例えば国語(漢文)的な学習として「小人閑居して不善をなす」という言葉を学んだとしましょう。意味としては以下の通り。
器量の小さい人、人徳のない人、小人物はひまでいると,とかくよくないことをする。
これを「ああ、そうですか」と覚えるのではなく、そのような例を自分の体験や記憶から探し出して実際の例を引っ張り出します。
もしも記憶の中に例がないなら、そのような場面を想定したシーンを自分で構築してみることができなければ「理解」とは言えません。
そして、新しく見聞きした場面について「これっていわゆる、小人閑居して不善をなす、ってあれだよねえ」とふと思い至るということも必要で、そうして初めて意味を理解し、使える知識として持つことができるわけです。
その上で「じゃあ小人が不善をなさないようにするにはどうするべきか」を考えられるようになることも大切です。
ここまでくると、本当の知識と理解があり、そしてそれが教養の一部となるでしょう。
明日が良い日でありますように。