ピンクオーラクォーツ・実りを受け取る・ 2018年9月10日

 

ピンクオーラクォーツ(pink-aura-quartz)
ピンクオーラクォーツ(pink-aura-quartz)

ピンクオーラクォーツ・実りを受け取る・ 2018年9月10日

ピンクオーラクォーツが出ています。(意味辞典に未記載)

ピンクオーラクォーツに期待するのは「しっかり受け取ること」。

端的に言って「受け取り許可!」のパワーストーンですね。

「何かを受け取る」というのは簡単そうでできない人が少なくありません。

日本では昔から「遠慮」が美徳とされる部分が大きく、家庭や学校でそのように教育され、社会ではそのように強要されることが少なくありません。

学生スポーツでは勝利のガッツポーズがダメ、社会に出たら残業代は不文律で申請できずと、どちらも遠慮の文化が元にはありそう。

さて、カードは「ペンタクルの女王」。

これ、「受け取れるタイミングが来ていますよ!」という暗示です。

これまで育んで来たことが実を結ぶようです。誰にも理解されないまま、ずっと努力していたことが結果を得ようとしていますよ。

ことは急展開として起こる感じあり。

ピンクオーラクオーツでしっかり受け取ってください。

尻込みして遠慮していても誰のためにもなりません!

「自分にそれを受け取る資格があるだろうか?」と意味なく悩むのはもう捨てましょう。

愛と賞賛

「受け取れる」ということはある意味「賞賛」です。

「おお、よくやった!良かったね!」ということです。

例えば、今の時期で言えば各地の災害現場で、自分自身も被災しているのに仕事をこなして復旧活動している人たち、店舗をオープンして生活物資を流通させる人たちがいます。

彼らに対して「おお、がんばってくれてありがとう。おかげさまで何とかやっていける」とかとお礼を述べるのが賞賛ですね。

賞賛を与えることができる、という状況は感情のレベルとしてはそこそこに高い位置にいます。これは間違いありません。

例えば「怒り」のレベルにいる人が人を賞賛したりはしません。

また「秘めた敵意」にいる人が嘘のための「賞賛」することがあるでしょうが、あれはあくまで「嘘」です。

さあそこで、問題は「愛」の方。

そもそもが「愛」は定義が難しいですね。

でも言えることは「愛」はその人々が感情のレベルとしてどこにいようと存在するというのが「非常にクセモノ」です。

まずい例としてわかりやすいのはDVにまつわる愛情。

加害者も被害者も、もしかしたら愛情に基づいた行動がDVになっていることもありえます。

加害者の「怒り」も被害者の「悲しみ」もそのどこかに「愛」らしいきことが絡んでいて始末に負えません。

最近の話題としてはスポーツのコーチの暴力的指導がありますが、これも昔は「愛情の表現」という言われ方をしていました。

ですから愛情表現というのは難しいとも言われます。

そこで提案なのですが、もっと日常的に「賞賛」をしてみてはどうか?ということです。

働きをたたえ、人をねぎらう。

それを心がけると、逆説的にではありますが、賞賛する人も、される人も感情のレベルが高くなると思えます。

「愛」というつかみどころがないものに左右される前に、賞賛は普通に有益に働きそうですよ。

愛しているなら、賞賛してみようではありませんか、どちらの人もきっと感情のレベルが上がります。それは良い未来を意味しています。

あ、それから「賞賛」は人のアクション(実際的な行動)に対して発せられ、「愛」の方はぼんやりしていて「頭の中にだけある」ようです。

そして「賞賛すること」そのものは考えでなく明らかにアクションですね。

「考え」は伝わりにくいですが「アクション」は伝わりやすいのです。

明日が良い日でありますように。