2015年5月13日 アメジスト・視野を広げて冷静に/正義
多少のイライラ感がある暗示。
その理由はあなたの正しさが「なかなか認められないというもどかしさ」、または何か「不公正な判定」をされていることから来る不満かもしれません。
これは身近なことから社会的なことまで様々なレベルに渡って起こりうることですよね。
しかしながら正義を振りかざすだけでは物事はなかなか解決しません。テレビの討論会を観ていても、論議するよりも自身の信念の勝ち負けのようなところに話の目的が変わってしまっているように思えます。
そうそう、この種の討論会を見ると、出演者のだいたい半分くらいは感情的になっていますよね。感情がマイナスに働き出すとまあ、ろくな討論にはなりません。建設的な話などほとんどムリ。
とまあ、人の振りを見て我が身を振り返りましょう。本当に正しい判断をしたいのなら冷静になるのが一番。
感情が波立つときこそ冷静になって一歩引いて観察してみましょう。すると全体像がより観察できるでしょう。
このようなときにお勧めのパワーストーンはアメジスト。このストーンは昔から「酔いどめの石」と言われていますが、その意味として「冷静になる」ということがあったのでしょう。またアメジストの冷静さを取り戻す意味からリラックス効果を生むことがあります。だいたい、物事はリラックしているときの方がしっかり見ることができますよね。
何が正義がわからない
いっときのことですが「マイケルサンデルのハーバード白熱教室」というのが流行りました。タイトルとして「正義について語ろう」ですね。
しかし正直なところ、何が正義かなんて考えれば考えるほどわかりません。
ま、殺人はいけません、盗みはいけません、自分にされて嫌なことは人にしてはいけません、といったように「べからず集」は思い浮かびます。しかしそれはあくまで「べからず集」であって正義とは違います。
でもこの「べからず集」が示しているのは「人の生存を脅かしてはいけない」ということにつきます。
ですから、逆に「人の生存を助ける」ということは正義にかなり近いかもしれませんね。
そこで更に視野を広げると、グループや地域社会、国、そして人類といった大きなスケールが存在します。社会性というのはそのことを意味しています。これは「自分さえうよければ」という発想の真逆ですね。
さて、「自分さえよければ」の何がいけないか?
難しそうで簡単です。
「自分さえよければ」の発想だと、人や自分が所属するグループの生存を脅かすことがありえます。「自分さえよければ」の単純な例は「盗み」ですよね。盗んで良い社会などがあったらそれは混乱し、生産性が落ちて社会が成り立ちません。社会が成り立たないことはすなわち自分自身も生きられないということです。
ですから・・・自分のひとつひとつの行動や選択は、自分だけでなく、自分が所属するグループ(最小単位は家族)、社会、国、人類、自然、地球といったレベルにまで押し広げて「何がよいのか」を判断するするのが正しいでしょう。
人類のひとりひとりが、それを十分考えられない場合には、地球は滅びる運命にあります。
明日が良い日でありますように。