カーネリアン・再生のとき・ 2018年7月25日
カーネリアンが出ています。
カーネリアンに期待するのは「再生・復活」。この辺り、意味辞典の方では触れていません。
実はカーネリアンは「悟りの石」という別名を持っています。
これ、真実を見極める能力のことですね。
このことは少し前からコラムでよく触れている「考える前に見よ」に近いです。
人は考え始めると真実から遠ざかる傾向にありです。これは対外的なことだけでなく、自分の内面に関しても同じこと。
「考える前に見よ」、これをもう極端に身近な言い方をすれば・・・
「百聞は一見にしかず」ですね。
しかしながら、人は単に見るということがなかなかできません。ときとして「先入観」を持つことも多いですよね。
先入観というのは、百聞とか、そして考えという部類のものですよね。
そして、カーネリアンが言わんとする「再生・復活」ですが、これは先入観(考え)なしに見ることができてやっとこさできます。
だって、きっちり見ることができないと、その対象の実態が不明ですから再生なんてあり得ないでしょ。
何か問題を抱えているとしても、その問題をまっすぐに見られないなら、解決のしようなどありませんから。むしろ間違ったことをしてしまうかもですよ。
ちなみに、カーネリアンが目指すのは、感情のレベルで言えば「強い興味」から上、願わくば「静穏」です。
さて、カードは「審判」。
カーネリアンにかけた願いそのまままに「再生・復活」を意味しています。
そして人生の新しいスタートとも言えます。
大変大きな意識改革のときが巡ってきているようですよ。
これはもしかすると大きな困難のさなかから現れることもあり、絶望のどん底にいたとしても、そこからきっと這い上がれることも表します。
ただし、これは本人が自ら覚醒することが必要です。
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これが難しい。
感情のレベルが低い状態でのエネルギーの振る舞い
さてさて、今回はエネルギーが悪さをする話を記しておきましょう。
エネルギーが悪さをするのは感情のレベルが低いときに起こります。
低い感情のレベルだけ下に列挙しておきましょう。
- 敵対心
- 怒り
- 秘めた敵意
- 同情
- 悲しみ
- 無気力
まず最低の「無気力」では、エネルギーは物体として凝縮します。
無気力な人はほとんど「物体」です。無反応ですし、自分からアクションを起こせません。
「悲しみ」にいる人も、程度の差こそあれ物体としてエネルギーが凝縮気味。
「秘めた敵意」「恐れ」あたりでエネルギーはどのような状態だと思いますか?
無気力のようには凝縮していないにせよ、そのエネルギーをじっと抱えて押さえ込んでる感じがわかるでしょうか。
クレクレ君になると人からエネルギーを吸い取ってでさえ抱え込みたいと思っています。
このように、レベルが下にあるほどに、エネルギーは抱え込まれて凝縮し物体化しやすいです。(もちろん、怒り以下のレベルでは自分でエネルギーをコントロールできていません。敵対心は幾らかのコントロールがなされているでしょう)
で、コントロールなしに溜め込まれ、凝縮されたエネルギーは病気の元になりやすいようです。
「笑い」が免疫力を高めることがわかっていますが、実はそれは笑うことによって感情のレベルが高まっていることに他なりません。
かなりな大笑いをした後、心から何か「シコリ」のようなものが抜けた感覚がしませんか?肉体的にも身軽になった感じがしませんか?
大笑いした後は、しばらくの間は身も心もスッキリ感があるでしょ。
これって、凝縮されていたエネルギーがある程度は解放されていることのようですよ。
ノーコントロール状態でエネルギーを溜め込むと、それが体の各所に悪さをするようです。
具体的な形になるといわゆるガンのようなことにもなり、オートマチックに働くはずの神経系に働けば様々な調整機能が失われます。これだとどんな病気にさえなる可能性ありです。元々が外的要因であるウイルス等、汚染物質等に対する防御力も落ちるでしょう。
(ちなみに、医学以外の方法で病気を治癒をする例が確かにあるようです。それは実はこの凝縮したエネルギーに触っている感じありです。)
こうして感情のレベルとエネルギーの関係を見てきましたが、要点としては「感情のレベル」は高く維持されるべきだということ、これにつきます。
心身ともに健康でいたければ、感情のレベルの高いところにいよう、です。
(ね、その方が生存性高いでしょ)
感情のレベルが低くて良いことは何もありません。最後には肉体的にも必ずダメージが来ます。
しかし、人生の中では悲しい出来事に遭遇することもあるでしょう。それでも気を取り直して少しでも上の感情のレベルにいることが生き延びるために重要です。
そして人の感情のレベルを下げたりしないことも、自分の感情のレベルを維持するのに大切です。
明日が良い日でありますように。