2016年3月16日 アクアマリン・頑張った人に祝福の日/ペンタクルの10
おや!これは素晴らしいカード。
近い将来の非常に良い状態を暗示しています。仕事が十分に評価され、未来にわたって地位の向上がありえます。
または生活にあまり変化がなかったとしても、その堅実性を理解し、満ち足りた心で過ごすことになりそうです。
場合によっては転居をしてそこが永住の地になったり、新しく家族を迎えたりということもあるでしょう。
でもちょっと待ってくださいよ。良いカードといっても、それは今まで努力を重ねてきた人にとっての良いカードと思いましょう。
とにかく、ここしばらくの努力に何らかの結果が出る日です。
良い結果なら素直に喜び、不本意であれば反省してやり方を改めましょう。
このようなときにオススメのパワーストーンはアクアマリン。
頑張ってきた人にはもはやパワーストーンも必要ないくらいに良いカードが出ていますよね。それでもアクアマリンを使う理由は、これまで努力していた人に対しては心の疲れを、思う結果が得られない人にはそのがっかり感を洗い流してもらう目的です。いずれにせよ、アクアマリンは心に溜まった疲れを取るのが得意なわけです。
感情とアートの関係について
本日は良いカードなので、よもやま話のひとつをどうぞ。
ちょっとかしこまった話になるかもしれませんが、人間の感情とアート(芸術)について小さな論考(とある説)を述べてみます。
芸術といえば、人によっては何かとっつきにくい響きがあります。ひと口にいえば「高尚でよくわからん」ということになるかもしれません。
とりえず、まずは辞書の上で「芸術」の定義を明らかにしておきます。
げいじゅつ【芸術】
特殊な素材手段形式により,技巧を駆使して美を創造表現しようとする人間活動,およびその作品。建築彫刻などの空間芸術,音楽文学などの時間芸術,演劇舞踊映画などの総合芸術に分けられる。
(スーパー大辞林より)
さて、多くの方は例えば音楽を聴いて「素晴らしいな〜」と感じたり、ことによってはその感動で涙したりすることもあるでしょう。
素晴らしい映画だって同じことですよね。テレビドラマだってそうでしょうし、小説などの文章でも同じでしょう。
これらはひと口にいえば「感動」です。
ところで感動というのは「心の働き」ですよね。これらをもっと日常的にシンプルに例えれば・・・
楽しいドラマを見て笑った
悲しい小説を読んで泣いた
あの絵は非常に怖かった
コンサートへ行って熱狂した
悲しい曲を聴いてしんみりした
絵画展へ行ってみたが退屈だった
まあ、大体こんなことが挙げられます。
以上の例は、これまで何度も取り上げました「感情」のレベルのどこかにありげです。
- 陽気
- 強い興味
- 保守的
- 満足
- 退屈
- 敵対心
- 怒り
- 秘めた敵意
- 恐れ
- 同情
- 悲しみ
- 無気力
- 死(物体)
しかーし!
これらの感情のレベルにはない「感動」というのも確かに存在します。
ここでもうネタをばらしてしまいますが、芸術的なことに対する感動というのはこれまでに書いてきた「感情のレベル」の中のどれにも当たりません。端的に書けば最上位の「陽気」など十分に突破してもっともっと上の方にあります。
ね、本当にムチャクチャ感動したときって、普通の「感情のレベル」のどれにも当てはまらないことがあるのがお分かりになるでしょうか?
その感動で涙することもありますが、それはうれし涙でも悲しい涙でもありません。あなたが作品に触れて、その大きな感動が感情のレベルのどこにもないのであれば、それはかなりな芸術作品を鑑賞していたことになります。(あなたにとってはですが)
辞書の定義によると芸術が作っているのは「美」です。もう一般的は感情のレベルの中では分類不能な情報です。(美と言っても単に「まあキレイ」ということではありませんよ)
ですから・・・逆にいえば・・・ある作品が感情のレベルのどれかに当てはまるようであれば、それは芸術ではありません。
音楽、絵画、物語などなど、分野は様々に作品が存在しますが、それが芸術かそうでないかをある程度分類することができます。
一般的に氾濫していて手に入る作品は、多くの場合は普通の感情レベルの中にあります。これはもう完全に「感情ビジネスのネタ」として売り買いされているものであって芸術とは別な物です。または、ビジネスのネタでなければ普通の感情レベルにある「感情」を動かすメッセージ以上のものではありません。
そして芸術を受け取るには、一般的な感情のレベル以上からのコミュニケーションですから、それはまあ、ある程度の修練が必要になることがあります。
明日が良い日になりますように。