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テクタイト・不安要素を確かめよう

2015年5月18日 テクタイト・不安要素を確かめよう/カップの3/リバース

これはちょっと要注意なカードです。

公私のバランスや愛情関連で何かうまく行っていない暗示。自分を見失っているかもしれませんよ。

状況をまずくしていることがらに関し、これは深入りは禁物です。

しかし不安要素を放置せず、これを解消するように行動しましょう。まずは、不安要素が何であるか、それを確かめてみましょう。

このようなときにお勧めのパワーストーンはテクタイト(意味辞典に未記載)。このストーンは自分の心の中を見るのに役立ちます。

不安要素というのは、実のところ他のどこでもなく自分自身の心の中にあります。しかしそもそもが嫌なものですからしっかり見ることができなかったりですね。

そこでテクタイトを使って自分の心をしっかり見つめてみましょう。不安の正体があばかれることになるでしょう。

不安の正体

不安とは、ズバリ自分自身が作ったものですね。

もちろん、ここの話はで誰かに脅されている(不安にさせられている)ということは除外ですよ。

不安が元で病気になったりもするわけですが、その原因が自分自身というのはなんとも皮肉なものです。

さて、しかしながらこの不安が好きな人がいるのも事実。何かにつけて将来を暗く予測する人がこれにあたります。

また、このような人は自分自身だけでなく、他人や他の組織についても素直に喜ぶことをせずにマイナス要素を取り上げようとします。

思いますに、このような人たちの特徴としては、意外にヒマ人であることがあります。要するに退屈なのですね。例えば仕事や生活はかなり安定していて、それこそほとんど心配する要素がないような人です。

そこで心配好きな人は、心配がないのならそこに作ってでも心配をもってくる傾向にありますよ。

その人は悪気があってそうしようとしているわけではありませんが、ある意味、どうしてもトラブルメーカーになるポテンシャルありありです。

もしも読者の方自身が「心配」を自分で作っていると思われるなら、仕事を忙しくしてみましょう。心配している余裕などなくしてしまえば良いのです。

そうそう、自分で作る不安というのは、ある意味で余裕の表れですね。それを勝手にやっている分には影響ありませんが、周囲の人を巻き込むのは止めましょう。

明日が良い日でありますように。

テクタイト・大きな変化のとき、立ち止まらずに

2015年3月30日 テクタイト・大きな変化のとき、立ち止まらず/カップの8

これまでの価値観が一変する暗示。

今まで信じてきたことがくつがえってしまう出来事が起こるかも。人生の大きな岐路に立っていると言えるでしょう。

例えば物質的な成功を望んでいた人が精神面の問題に取り組むようになったり(その逆も)、仕事の成功を望んでいた人が余暇時間の充実を望むようになったりと(その逆も)、価値観の大転換があるかもしれません。

このような価値観の変化は人間関係にも言えます。今までの付き合い方の清算やパートナーとの別れの可能性も。これらのことはことによっては大きな苦痛を伴うこともあるでしょう。

しかしながら、より自分自身の人生を生きるためには決断しなければなりません。

このようなときにお勧めのパワーストーンはテクタイト(意味辞典に未記載)。テクタイトは地球外を起源とする隕石系のパワーストーンで、宝飾系としてはあまりなじみのない物ですね。働きとしては「霊性」の強化。インスピレーション、新しいアイディアをキャッチする能力を高めます。また、持ち主の直感力を高めて「危険」に近づかないという作用も。今価値観の大変革でちょっと怖いかもしれませんが立ち止まってはいけません。

注)もともとモルダバイトもテクタイトの仲間に入りますが、ここでは色の黒い透明感のない天然ガラス質の物をテクタイトと呼び、こちらを使っていただきたいです。

それは誰の価値観か?

価値観とひと口に言っても、それがもともと自分自身によることなのか、そうでないのか?これを見極めることは簡単ではなさそうです。

なぜなら、この世の中には自分のものでない外から与えらえる価値観が多様に存在し、それが自分自身の選択によるものだと錯覚させられていることが多いからです。

親や周囲の環境から与えらえる価値観ということがあります。教育であったり、単に社会の思い込みであったり、はたまた商業主義によることだったり。

しかしながら、その価値観が単に誰かから与えれることであってもそれに気づかない場合も少なくありません。

それが誰かに与えられた価値観か、自分から掴んだ価値観か、それを判断する簡単は方法として「それについて自己責任を負えるか」ということが挙げられます。

「みんながそう言っている」
「親がそのように言っている」
「Aさんがそのように言っている」

このように、責任を自分以外の誰か社会的な習慣などに持っていけるなら、それは自分の価値観ではない可能性が大です。失敗しても自分のせいではないのです。自分のせいではない分、不平不満も多い人生になることでしょう。

「自己責任」を声高に叫ぶ社会的な現象がありますが、それでは自分自身の人生を本当に自己責任で生きることができているのか、ちょっと振り返ってみましょう。人や社会が作った価値観を借りているとしたら、それでは自己責任が成り立ちません。自己責任を引き受ける能力と、自分自身の価値観を持ち得る能力はほとんど比例していると言って良いでしょう。

明日が良い日でありますように。